瀬崎祐の本棚

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浜木綿 古谷鏡子 (2020/06) 空とぶキリン社

2020-06-19 08:05:48 | 詩集
 第5詩集。89頁に22編を収める。

 人影の途絶えた人工物の中に話者はたたずむ。それは煉瓦造りの塀や石の壁で確立された風景だ。たったひとりでいる話者は、そんな場所でそこにはいない人を見ている。
 「石の壁に」は、蝉の抜け殻を見ている作品。話者はその「からっぽのからだのなか」にあるものを感じ、流刑地サハリンの調査報告を書いたチェホフを思う。そしてシベリア鉄道での旅を約束していた友達を思う。

   友人は
   ひとりで 先に出かけてしまった
   いまごろあなたはどのあたりの軌道を走っているのだろう
   冥王星が惑星の輪からはずされたように
   暗闇のなかを たったひとりで
   まわりつづけ

 そして話者の目の前には冬の風が吹きぬけるからっぽのからだがあるのだ。誰もいない地に肉体はありながら、想念はそこにいない人を追っている。

 詩集の後半では柔らかな自然の中での作品となる。花が咲き、夏が来て秋が来る。そしてくもはそらをながれ、月は欠ける。ここでも「あなた」は出てくるのだが、それ以外の他者はあらわれない。風景の中でやはり話者はいつも独りでいるようだ。
 「擬態を生きる」。ある種の生物は本当の自分の姿を隠して生きる。それが生き延びるための方法であるわけだ。

   それは擬態じゃないよ と あなたは笑う
   そう 擬態を生きるということはとても滑稽な話かもしれない
   人はその滑稽な日々を大まじめに生きようと 懸命に
   コンピューターのキイをたたき じゃがいもの皮をむく

 特有の個人的な部分を隠して、無名のサラリーマンとなり無名の主婦となる。人も必死に擬態をして社会の中で生きているわけだ。それが生き延びるための方法なのだろうか。虫は葉っぱにぶらさがって演技をしているが、あなたはどうする?と問いかけての最終行は「あの空の 流れる雲のかたまりからぶらさがってみようかな くもの糸の」。かなり絶望的な状況なのだが、作者にはさらりと身をかわしているたくましさがある

 片耳をなくして空を飛べなくなった兎の作品が3編ある。与えられた状況の受容と、その場での意思が寓話として描かれていた。
コメント
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