広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

クリーンアップとリフレッシュインあきた

2017-06-08 00:02:23 | 昔のこと
前回の「雄物川流域一斉清掃」で思い出したのが「クリーンアップ」。
秋田市では、毎年春~初夏の日曜日に、市街地の旭川の護岸の下・水際まで人が下りるなどした大々的な一斉清掃活動が、恒例のイベントとして実施されていた。そのイベントの名称が「クリーンアップ」だったはず。
僕が子どもの頃には市民に定着していて、僕はこれでクリーンアップという言葉を知ったし、「(環境美化の)クリーンアップ」といえば旭川でやるものを連想する。参加したことはないですが…

でも、近年はやったという話を見聞きしない。
北都銀行の行員や関係者が似たようなことをやっているのが報道されるけれど、それは北都銀行独自の行事だから違うだろう。

過去の「広報あきた」などで調べた。
まず、正式名称は「クリーンアップ作戦」。「作戦」が付くとは、今まで知らなかった。
1971年に「旭川クリーンアップ作戦」として始まり、その後(遅くとも1979年)旭川以外の市内のいくつかの河川、公園、海岸にも対象を拡大し「クリーンアップ作戦」として続けられた。
言い出しっぺは秋田青年会議所だったようだが、後に(遅くとも1976年)市民憲章推進協議会、町内会、婦人会なども加わった実行委員会を組織。
なお、「クリーンアップ作戦」は全国各地で行われているが、開催地どうしの横のつながりは、別段ないのだろう。秋田で始まった頃は、時期的に「スパイ大作戦」の影響だろうか?

秋田市役所は主催など直接的には関わらなかったのが意外。もちろんゴミ回収では市が関わらないとならなかっただろう。なお、旭川など雄物川の支流の管轄は、秋田県。


第2回である1971年は5月7日に開催されていたが、遅くとも1976年には6月開催になり、以降、6月第1日曜日で定着。
少なくとも1972年や1998年には、当日早朝に決行を知らせるのろしを打ち上げていた。運動会のように。

1984年には3万5千人が参加。【2018年6月2日追記】20周年の1991年6月2日も3万5千人が参加したらしい。
初期~1980年代頃には、クリーンアップ終了後に、千秋公園などで写生大会、フォークダンスやゲームといったレクリェーション、茶会などのイベントが開催された。
旭川にコイを放流したのも、クリーンアップの一環だったようだ。

クリーンアップ開始10周年を記念して1981年からは、秋田青年会議所が毎年4月に旭川上流でサケの稚魚の放流も実施。

上記の通り秋田市は主催者ではないが、1990年代までは、広報あきたでクリーンアップの実施を告知していた。トップ記事だったり、ほぼ1面全面を使ったり、大きく扱うことが多かった。
ところが、1999年辺りからは、広報の告知が見当たらなくなる。
ネット上では、2002年にはクリーンアップが開催されていたようなページが存在するが、それ以降は不明。
クリーンアップ作戦はフェードアウトしていったということだろうか。

サケ稚魚の放流は現在も行われており、報道されることがある。
また、現在、6月始めに千秋公園で流派を越えた野点「千秋茶会」が開催されている。今年は6月4日開催で悪天候だったため、秋田市文化会館内で実施したとのこと。
千秋茶会は1979年に始まったそうだが、これって、もしかしたらクリーンアップ後の茶会が、独立して今も続いているということなんだろうか。【2018年5月26日追記】2018年5月26日付秋田魁新報に、40周年に当たっての茶会実行委員会会長へのインタビューが掲載。茶会が始まった経緯についての話の中では、クリーンアップうんぬんは出てこない。単に県内の流派合同茶会が企画されたがふさわしい建物がなく、野だてになったのが今も続いているとのこと。(←表向きの理由であって、実際にはクリーンアップもからんでいたのかもしれないけれど…)

前回の通り、2009年からは「雄物川流域一斉清掃」が、(かつての?)クリーンアップと同じ日に実施されている。
主催者は違うけれど、クリーンアップ作戦の流れを汲んだイベントということなんだろうか?
旭川のほうは、昔に比べればきれいになって、大々的に掃除する必要もなくなったのか。
6月6日の旭川・五丁目橋上流側。水かさは通常よりちょっと多い程度まで減った
ゴミは少ないけれど草が伸びているのが気になる。これは道路管理者である県の仕事なんだろうけど、ボランティアでなんとかできそうでもある。
【19日追記】忘れていたけれど、この道では、おそらく個人でボランティアとして掃除や草刈りをされている方がいらして、上の写真の草も、6月中旬には刈られていた。ボランティアがもっと広がってもいいとも思うが、道路管理者はそれに任せきりでいいのかとも思ってしまう。




一方、「クリーンアップ作戦」とどこか混同しがちなものが、もう1つあった。
「春に市内一斉で町内ごとに掃除する」ヤツ。名称は変遷があるので、後述。
僕が子どもの頃は、自動車の冬タイヤとしてスパイクタイヤが使われていたため、雪融け後には、舗装が削られた粉じんが道端で真っ黒くなっていた。雪に隠れていたゴミとともに、それを一掃するものだったのだろう。【8日補足・スパイクタイヤは1991年春から使用禁止となった】

遅くとも1981年には始まっていたが、当時は「全市一斉清掃運動期間」として、数週間の期間内に清掃することになっていた。末期には、市内を4ブロックに分けて、3月末~4月の日~火曜の3日間ずつを割り当て、トータル4週間かけていたようだ。回収や処理の都合か。
市民憲章推進協議会と市の主催。

秋田市制100周年の前年である1988年からは、「全市一斉清掃」として全市で同じ4月の日曜日の午前に行うことになった。「リフレッシュ・インあきた」が合言葉。
初回は4月10日で、やはりのろしが打ち上げられた。

以降、4月の第2日曜日で定着し、1992年から1998年頃までは、一斉清掃の名称というか愛称を「リフレッシュ・インあきた」としていた。
2000年代になると、第3日曜日に繰り下げられる年も出てきて、現在では「毎年4月第3日曜日に」といつの間にか1週間遅くなってしまった。
同様に2000年代には「リフレッシュ・インあきた」の名が聞かれなくなるが、2006年辺りからは「春の全市一斉清掃(あきた・ビューティフル・サンデー)」という、別の呼び名が出てくる。

この日程とビューティフルサンデーは、秋田県が関係してくる。
あきたビューティフルサンデー」とは、秋田県が2002年から全市町村に呼びかけている、雪融け時期の一斉清掃のこと。初期は4月第2日曜で、現在は第3日曜だが、雪の状況等により別の日に行う市町村もある。
秋田市では、意義も日程も、前から独自にやっていたものと同じなので、単に愛称が付いた(変わった)だけの形。

ビューティフルサンデー自体の実施日が第2第3日曜をうろうろしている。
これは、秋田県知事選挙の影響だろう。選挙期間中~投票日と重ならないようにしたと思われる。

2017年もあきたビューティフルサンデーは実施されたが、秋田市の広報ではその表記はない(2015年から)。
しかも、県のホームページでは秋田市は「春の一斉クリーンアップ」を行うとしているが、実際には「全市一斉清掃」である。


全市一斉清掃の主催者は、上記の通り、「~期間」だった頃は秋田市と市民憲章推進協議会が主催し、同一日実施になってからもそうだった。広報では2003年まで確認。
2005年からは、市と市民憲章推進協議会の名を出さない、何かあいまいな表記になっていた。「町内で力を合わせて(2005年)」とか「町内のみなさんで(2016年)」とか。【8日追記】2005年には雄和町と河辺町が秋田市に合併している。旧両町だった地域への配慮があるのかもしれない。
今年は「各町内会が主体となり、毎年4月第3日曜日に~」かつ「実施の有無は各町内会で決定し」という記述が登場。
実際には何年か前からやるかやらないかはご自由にという感じだったけれど、それが公式に認められたということか。
街がきれいになったということもあるかもしれないけれど、日曜日は誰でもヒマなわけではなく、参加できるほどの人がいなくなったり、それぞれ事情がある町内・家庭が増えたということだろう。


まとめると、
6月は「クリーンアップ作戦(現在の実施は不明)」と「雄物川流域一斉清掃」。
4月は「あきたビューティフルサンデー」の1つである「全市一斉清掃」で、(昔の)愛称は「リフレッシュ・インあきた」。

【2021年2月25日追記】2021年度から、秋田市の「全市一斉清掃」が「春の清掃月間」に変わる。ホームページで「例年実施している全市一斉清掃について、令和3年度は各町内会の実情に応じて清掃活動を行えるよう、実施期間を4月の1か月間とすることといたします。」と告知。
4月1日から30日の間で、やりたい町内はやってください。出たゴミは市が集めます。という形。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする