広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

少し昔の弘前駅

2017-06-22 23:16:45 | 津軽のいろいろ
前回に続き、15年ほど昔の弘前の記録。今回は弘前駅。
現在の橋上駅舎ができたのは、2004年12月。4代目だそう。
(再掲)西側・中央口。ホテルルートイン弘前駅前から撮影
駅舎・自由通路は、上の写真右・南側の黒い箱型の建物。
左側の茶色い建物は、1987年にできた駅ビル「アプリーズ」。新旧駅舎いずれとも、つながっていた/いる。

僕の利用回数としては3代目駅舎のほうが多いわけで、もちろん記憶しているものの、例えばアプリーズとどうつながっていたかといった細部の記憶はない。これは先代の秋田駅舎でも同じことだけど。
大雑把には弘前も秋田も、横に長い建物で、ホームに面して改札ブースがずらりと並んでいた。国鉄のある程度の規模の地方駅は、どこも似たようなものだけど。

3代目駅舎は1981年完成だったそうなので、20年ちょっとで解体されたことになる。
一方、先代の秋田駅舎は35年ほど使われた。一般に秋田市より弘前のほうが古い建物を大事にする傾向があるけれど、駅舎は逆だったみたい。

では、当時の写真をいくつか。まず、参考として、
(再掲)現在の弘前駅中央口。ホテル東横インは2007年オープン
上の写真とほぼ同じアングルの15年前がこちら。
2002年4月
バス乗り場などは既に新しくなっている。駅舎より駅前広場整備のほうが先だった。
写真を改めて見て気がついたことが2つ。右手前にケヤキだろうか木があって、その周囲に座れるようになっているが、今はなくなってしまった。
それと、左の「1」乗り場の奥(見えないけど2番乗り場前)に、小さな建物があった。バスの案内所らしい。現在は、同じような建物が南側(写真の背後)、地下道出入口付近にあるので、後で移築されたのだろうか。分かりやすさとしては、駅出入口正面すぐのこの位置のほうがいいな。

旧駅舎が明確に分かる写真はこれぐらいしかないのだけど、雰囲気はお分かりいただけるだろうか。
上記の通り、まだ20年しか経っていない建物だから、外観に古さは感じない。駅の構造としては古くなってしまったが、2017年の今でも通用しそう。
駅舎とアプリーズの色合いが統一されていたのはよく覚えているけど、微妙に色合いは違ったようだ(順番からすれば、アプリーズが駅舎に合わせたということか)。茶色系統の細かいタイルを並べた壁面は、当時の流行りだったのか、秋田空港なんかもちょっと似た感じ。
両者の境に白い部分があって、その上に「JR弘前駅」とのネオンサイン。そこがコンコース・改札口への入口だったか。

駅舎前にはアーケード状の屋根付き通路があり、現在もあるリンゴが載った郵便ポストが置かれていた(写真では白い服の人で隠れている)。南側には喫茶店(JRが運営?)があった。2階建てか3階建てだったようだけど、2階以上は客は立ち入れなかったかな。

屋上にはねぷたの写真入り「We Love HIROSAKI/地域とともに歩む 東奥日報」の看板があって、下の壁面に改めてJR東日本のロゴと、アナログ時計、その下に逆三角形のマークがあるが、正体不明。
2002年10月。東奥日報のねぷたは色あせ気味?
現在の駅舎は、JRと並んで「弘南鉄道」の文字も出ているが、先代駅舎には見当たらない。

東奥日報の看板の下のJRの宣伝は「ヨーデル&やまびこ」。
東北新幹線八戸開業はこの年の12月。それまでは、高速バス「ヨーデル号」で盛岡へ行き、新幹線「やまびこ」に乗り換えるのが、仙台・東京へのメインルートだった。

【2020年9月15日追記】弘前市立中央公民館のツイッターで、平成2(1990)年の弘前駅舎の写真(大町町会「大町・わが町~平成二年の町並から」の転載)が紹介されていた。時期的に、建物は本記事で紹介しているのと同じ。
それを見ると、上の写真の「JR弘前駅」の緑色のネオンはなく、その下の白い壁の部分に赤色で「弘 前 駅」と表示されていた。また、その右のアナログ時計から下に、白い看板状のものが取り付けられ「21世紀まで  日です」のカウントダウンがあった。2002年に時計直下にあった逆三角形のマークは、その看板の中にある。もしかしたらライオンズクラブとか?? 僕が弘前にいた、21世紀直前の1990年代後半に残っていてもおかしくないが、見覚えはなし。


2003年夏でも3代目駅舎がまだ使われていた。内部を少々。
コンコース。2003年7月(以下同)
昔の秋田駅もこんな感じだったはずだし、今の大館駅なども似ているが、思っていたより広い。自動券売機やみどりの窓口の窓口は右側だった。
ラッチと呼ばれる駅員が入って改札業務を行う箱と通路の扉がずらりと並び、その向こうは1番線ホーム。冬は風が入って寒そうだけど、風よけなどは別段設置されなかったっけ。【23日補足】現在の大館駅などでは、アルミサッシの引き戸が後付けされているようだ。寒い日は閉めるのだろう。
ラッチ・通路の数もかなり多い。最近の記憶では、新幹線開業前の富山駅並み。

改札口はJRと弘南鉄道で別だったが、改札内に入れば区切りなどなくJRと共用。単にきっぷを見せる場所が違うだけ。
外から見て左側が弘南鉄道の改札口(券売機や窓口も左側だったはず)だったはず。それ以外はすべてJR分だが、時計の下に「JR改札口→」とあるように、JR利用時に通る入場用改札口は、右端。写真に写っている中央部のラッチは出口(集札)として使われ、列車到着の都度1つからせいぜい3通路ほど開き、それ以外は閉まっていた。
他のホームへの跨線橋の階段は左右両方にあったが、弘南鉄道のホームへつながるのは弘南鉄道改札口から遠い右(南)側だけ。動線としてはやや難ありだった。

下の写真は列車到着時だが、降車客が少ない列車だったようで1つのラッチにだけ駅員が入って集札している。
この写真だけ2003年8月

JR改札口周辺。右が入場口
上の巨大な時刻表も懐かしい。
入場用改札口だけは透明な風よけがある。その上に、方面別の3色LEDの発車標。原則として発車10分ほど前にならないとホームに入れてくれなかったので、「改札中」を表示するようになっている。(昔の秋田駅もそうだったし、現弘前駅舎でも自動改札設置前はそうだった)
「あけぼの」が懐かしい

ところで、2つ上の写真では、入場口左・時計の下に何やら装置があり、赤LEDで「お得なきっぷの」と表示されていて、その下が大きな横長画面のようになっている。

これは「電子掲示板」と呼べばいいのだろうか(現在ではネット掲示板と混同されそうだけど)。「デジタルサイネージ」の走りといったところ。通常はお得なきっぷなどの紹介、遅延運休発生時にはその告知をしていた。

この装置は表示方式がユニーク。「書いて消して消して書ける」というキャッチコピー(今は使ってない?)のタカラトミーの「せんせい」という磁気を使って文字や絵をかける玩具(磁石の粉が入った小さなカプセルが並んでいる)があるけれど、それを大きくしてコンピューターと接続したもの。液晶ディスプレイが高価で視野角が狭いなど未熟だった当時は、判読しやすく、表示内容を保持するのに電力がかからない(写真では照明は点灯している)メリットがあったのだろう。
なお、スコアボードやスポーツ試合での大型デジタル時計には、「磁気反転式」の表示装置が使われているが、それとは別。

1995年開学の秋田公立美術工芸短期大学(現・秋田公立美術大学)にも、弘前駅と同じくらいの大きさのものが2台あって、学生向けの情報(休講や呼び出し等)を伝える掲示板として使われていた。短大最後の年・2012年秋に撤去されたようだが、その年度までの学生には「マグメディア(パイロットの商品名? 現在は他社へ事業譲渡?)」として認知されていたようだ。
また、秋田テルサにも「マグメディア」があったものの、2012年の包括外部監査で使っていないことを指摘されている。
秋田駅にはなかったはず。弘前駅でも新駅舎へは継承されなかったはずで、美短と比べても短命だったようだ。


そして、2003年8月19日をもって3代目駅舎は役目を終えた。以下、2003年10月撮影。
3代目駅舎が解体されていた。これは南端?
工事中は、南側の現在駐車場になっているところに、仮駅舎が置かれた。
仮駅舎
リンゴポストも移設、「弘南鉄道」の表示あり。
仮駅舎改札口周辺。発車標は旧駅舎のものを移設したようだ
上の写真で改札内に見えている車両は弘南鉄道の電車。仮駅舎が南側にあることが分かる。

JRのホームそのものは、上屋以外は新旧駅舎で基本的に同じ。
1番線。線路寄りの一部を除いて屋根がなくなった。
写真の奥が南側・秋田方向なので、見えている跨線橋が、旧改札口右の弘南鉄道にもつながるもの。その奥右に仮駅舎の改札口があった。
この時は(おそらく2・3番線に着いた)列車を降りて改札口へ向かっているのだが、これまでならあまり利用者がいない、北側の跨線橋を渡って来て、1番線上をぞろぞろ歩いている。工事に伴い、9月1日から列車の停車位置が北(青森)側へ移動していたため、そのほうが近かったようだ。

掲示を抜粋。左が南・秋田方向。ピンク色が仮駅舎で、内部の配置が分かる
掲示の写真を見て思い出したが、弘南鉄道弘南線乗り場は、この工事でホームが新しくなったのだった。
JRと完全に分離され、弘南鉄道の弘前駅としての機能はすべて線路東側へ移った。


もう1つ、昔の弘前の話題をいずれまた
コメント (2)
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