みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「10番稿」封印(杉浦静氏の見方)

2017-03-13 10:00:00 | 賢治作品について
 杉浦静氏は、『宮沢賢治 明滅する春と修羅』において次のようなことを述べていた。
 …草稿が見直され、<第三集>の構想にそったスケッチの選択がなされていった時、性急な理想や理念を語ったスケッチや、偏狭な共同体の後進性や排外性と認識されたものへの苛立ちや、それらから感じ取った反感・悪意を書きとめたスケッチは「この篇みな/疲労時及病中の/心こゝになき手記なり/発表すべからず」と記した「未定稿」として「黒クロース」表紙にまとめられていったのであろう。そして、一人の帰農知識人の農事の中での自然との交感、農民との交流、自らの農耕生活の苦闘のコスモスとして、昭和六年の<第三集>はまとめられようとしたのである。
               <『宮沢賢治 明滅する春と修羅』(杉浦静著、蒼丘書林)177p>
 ということは、10番稿に収められた詩篇は、
 性急な理想や理念を語ったスケッチや、偏狭な共同体の後進性や排外性と認識されたものへの苛立ちや、それらから感じ取った反感・悪意を書きとめたスケッチ
が該当すると杉浦氏は推測していることになる。したがって、木村東吉氏の、「慢」の思想が見られる詩篇を封印したという考え方と杉浦氏の考え方とは観点を異にしているように私からは見える。

 一方で杉浦氏は同書において、昭和6年頃の賢治の構想に基づく<第三集>の復元を試みており、まず、
 …<第三集>の場合、宮沢賢治による編集の<場>をくぐりぬけた詩集として全集収録の詩集は提示されているのではない。全集編集者による宮沢賢治の<第三集>なのであり、そのようなものとして全集収録の<第三集>本文は読まねばならないのである。
というような留意点を杉浦氏は主張していた。だからもしこの主張が正しければ、私は大いなる誤解をしていたことになる。なぜならば、私は「春と修羅 第三集」とは基本的には賢治が編集したものであり、ほぼ誰からも異論のない詩篇からなり立っているものとばかり従前は思っていたからである。ところが現実は、実は賢治が封印したはずの詩稿群「和風は河谷いっぱいに吹く」「あすこの田はねえ」「野の師父」等が、いわば賢治の遺志に反して巷間知られている現「春と修羅 第三集」に所収されているということであり、このことをこの度分かった私としては複雑な気持ちだ。実は、「第三集>の場合、宮沢賢治による編集の<場>をくぐりぬけた詩集として全集収録の詩集は提示されているのではない」のであった。

 そして杉浦氏は続けて、
 このような立場から、宮沢賢治による編集の構想を推測した結果がさきのリストである。「農民芸術概論」の理想を持って、一人の農民として、農村に飛び込んだ宮沢賢治は、農村の共同体の中に溶け込めず疎外され、周囲の農民から反感をもたれ、苦悩し、その結局農村の現実を変革しえない自らに対する絶望にいたり病に倒れていった。しかし、そのなかでも、厳しい労働の中に充足を感じ、若い農民に期待し、さらに農聖への畏敬や肥料設計の結果への喜びなどのわずかな明るい時間を持ち得た……。このようなかたちで、農民生活期の賢治像は語られることが多かった。そしてそれを語るのに「七三五 饗宴」、「一〇八二〔あすこの田はねえ〕」(旧題名「稲作挿話」)や「一〇二〇 野の師父」、「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」、「一〇八九〔二時がこんなに暗いのは〕」(旧題名「雨中謝辞」)などのスケッチが、よく引用された。
 しかし、これらの心象スケッチは、さきのリストに見られるようにこの時期の構想からは排除されているのである。
                <『宮沢賢治 明滅する春と修羅』(杉浦静著、蒼丘書林)169p~>
と述べ、そのリストを掲げてる。
 ちなみに、それは以下の詩篇26篇<*1>であるという。
706 村娘
711 水汲み
714 疲労
718 蛇踊
718 井戸
726 風景
728 圃場(〔驟雨はそそぎ〕)
733 休息
736 〔濃い雲が二きれ〕
739 朝 (〔霧がひどくて手が凍えるな〕)
740 秋
741 白菜畑
1012 会合(〔甲助 今朝まだくらぁに〕)
1014 春
1017 開墾
1025〔燕麦の種子をこぼせば〕
1030 春の雲に関するあいまいなる議論
1032 森(〔あの大もののヨークシャ豚が〕)
1036 燕麦播き
1043 市場帰り
1053 朝(〔おい けとばすな〕)
1056 〔秘事念仏の大元締が〕
1068 〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕
1079 僚友
1080 〔さわやかに刈られる蘆や〕
停留所にてスヰトンを喫す

 そこで、現「春と修羅 第三集」所収の詩篇から「10番稿」を除いた(ただし、背景を水色に着色した「秋」等の5篇は残してある)一覧表に、杉浦氏のリストに掲げてある詩篇に◎印を付けてみると下表のようになる。

 したがって、〝賢治が封印した詩稿群〟いわゆる「10番稿」はこのリストから皆除外されるものとばかり私は思っていたが上掲リストには「秋」等の5篇は残っているし、封印されていなかった詩篇でも杉浦氏のこのリストからは排除されている(それは、詩稿用紙の「右端余白上方」に〝了〟という記号付されているか否かによるもののようだが、このことについては私はよく理解できていない)ものもかなりある。

<*1:投稿者註> 杉浦氏の論考〝「春と修羅 第三集」の生成〟(『宮沢賢治・第十一号』(洋々社)所収)における同リストでは、この詩篇26篇の他にもう一篇「709 春」も含まれている。

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