みちのくの山野草

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佐々木多喜雄氏の論考から学ぶ(#7)

2017-09-13 10:00:00 | 賢治の稲作指導
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影)
 「6.賢治の農業実態 ⑶ 文学関係者みた賢治の農業」より
 では今回は、佐々木多喜雄氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-<承前②>』の最後に残った次の項、
 ⑶ 文学関係者みた賢治の農業
についてである。
 この項では、同氏は
 賢治の没後10年頃の戦前までの、主に中央文壇関係者は、賢治の農業をどのように見ていたのだろうか。それらの人人の発表文から拾ってみよう。
と言って、関係者のそれぞれの次のような一文、
・百姓の父宮澤賢治さん
・社会人としての自覚に新しく、実践の確かな足どりは労働と性欲に日夜を消耗して居る昔ながらの農民達をどんなに啓発し、向上させたか知れないのである。…。羅須地人協会の仕事は農村社会学者の理論を遥かに凌いで、直接農民をうるおした。
・一生を殆ど東北地方の農業のために尽くした彼は、世の所謂文士とは全く類を異にする一生を送ったのです。
・もともと宮沢賢治という詩人が、農民の土の生活と環境を一つにして生活し、そこに農業経営の化学を注ごうと献身したのであったから、その文字(ママ)の生活性への定着はきわめて自然の順序だったのである。
・活眼を以て農村の現実に身を潜め、声明を都心に運んで喝采を博すの道を避けて、…。同時により多くの時間を、詩作と変わらない情熱を以て農民たちの不幸を現ずる為に、胸詰まらせながら東田西田の水加減、肥料の案配などに捧げていたのである。…(投稿者略)…
・彼が農民の生活を高め上げることに一身を挺していたということは明瞭な事実である。
・宮沢賢治の大きな価値は、何よりも実践と表現の渾然たる一致にある。…、水稲品種の改良、実質的な肥料設計は、いわば明確な精神を以て行われたのである。…。特に稲熱病との格闘に終始した実践家。…。農に殉じて早死した人間。
・賢治は、何よりも先に、新しい農民指導者の先駆であった。
             〈『北農 第75巻第2号』(北農会2008.4)77p~〉
を紹介している(私も、かつてであればこれらの一文をことごとく素直に信じていたものだ。そして今では、よくぞこんなことが躊躇いも戸惑いもなく多くの人々によって語られてきたものだと驚くばかりだ)。

 そして次に、同氏は以前の自身の論考や今回のこの論考で明らかにしているように、事実に会わない内容が多いことが分かるとして、
・賢治は百姓の父でもなかったし、
・近郊の一部農民への肥料設計にしても、成功、失敗相半ばし、喜ばれることもあったし、ひんしゅくを買うこともあった。
・賢治は思想家ではなかった。
・農村社会学者の理論を遥かに凌ぐものもなかった。
・総じて直接農民をうるおしたのもごくわずかの例であった。
・…(投稿者略)…
             〈同78p〉
と断じていた(かつてとは違って、今の私はその通りであったということを知っている)。そして同氏は、
 ここで示した文学関係者(投稿者註:主に中央文壇関係者)の賢治の農業実態への認識は事実に基づくものではないと考えられるのである。
とまとめている。

 さらに同氏は、
 戦後からかなり時を経て、賢治研究が盛んになった近代から現代に至っても、それ以前のものに拠っているのか、事実から遙かに遠い認識が示されて例も少なくないのである。
             〈同79p〉
と評し、続けてその実例をいくつか挙げていた。
 そして本論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-<承前②>』の最後を、
 以上から、中央文壇関係者による賢治の農業実態についての見方や認識は、前述した賢治の農業実態からすると、他からの伝聞や賢治作品のメモをそのまま事実とした故に生じた、本当の姿からは遠くかけ離れた、架空の虚像であると言っても過言ではないであろう。
             〈同80p〉
と締め括ったいた。
 たしかに、私がここ10年程の検証作業を通じて痛感したことはこのことであった。例えば、先行の発表資料等を引例するのはいいとしても、その典拠を明示していない場合があまりにも多かった。あるいは、自身が現地に足を運んで直接確かめたりすることなどもあまりしていないのではなかろうかと私には思えるもの、裏付けを取ることもなく、まして検証したとはとても思えないものもなども多々あった。あるいはまた、そのまま作品を還元しているものも少なくなかった。そしてこれらのことは中央文壇関係者のみならず、である。

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