みちのくの山野草

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『イーハトーブ騒動記』について(#1)

2016-05-29 09:00:00 | 賢治関連
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 賢治に関連があると思われる本のタイトル『イーハトーブ騒動記』(増子義久著、論創社)に惹かれ、その頁を捲り始めた。実は著者の増子氏はあの岩波書店の「同時代ライブラリー」シリーズの中の一冊である『賢治の時代』(岩波書店)の著者でもあったからなおさらにである。

「はじめに」
 その「はじめに」は次のようにして始まっていた。
「あの日」から五年がたった。戦後日本の行く末を決定づけるとその時は誰しもが考えていたはずの「東日本大震災」――まるであの災厄が夢まぼろしであったかのように、記憶の風化がいま、加速しつつある。
「3・11」以降、この国はどう変わったのか。いや、変わらなかったのか。この物語は震災直後、詩人で童話作家の宮沢賢治の理想郷「イーハトーブ」の足元で繰り広げられた、見るも無惨な光景を当事者の立場から再現する内容になっている。
              <『イーハトーブ騒動記』(増子義久著、論創社)pより>
 たしかに著者の言うとおりで、投稿者の私も以前であれば何度か行っていた三陸のボランティア活動には全く行かなくなってしまっている。ただただ恥じ入ってしまうばかりだ。実は、その活動の一端としてある一つのことを内々企ててはいるものの、その見通しも良くない。
 横道にそれてしまった、話を元に戻す。著者は、
 賢治は自作の詩「雨ニモマケズ」の中で受難者に「寄り添う」ことの大切さを「行ッテ」と直截に訴えている。『イーハトーブ騒動記』の中で暴かれた光景の数々はまさにこの精神の対極に位置していた。
              <同pより>
と続けていた。さて、それはどのような光景だったのだろうか。

「いわてゆいっこ花巻」 
 同書によれば、著者の増子氏は、十数人の市民有志に声をかけて震災3日後の平成23年(2011年)3月14日に「ぼくらの復興支援――いわてゆいっこ花巻」を設立したという。端的に言えば「結いの精神」(ゆいっこ)を発揮しようと、具体的には、
 温泉に一緒に浸かって背中を流してあげたい。暖かいみそ汁とご飯を口元に運んであげたい。こんな思いを共有する多くの人たちとわたしたちは走り出そうと思います。
              <同36pより>
とその設立趣意書の中では訴えたという。
 たしかに花巻は温泉も多いから、沿岸被災者の中で内陸に避難した罹災者に対しての支援の仕方としてはグッドアイディアだ。ちなみに、震災二ヶ月後の花巻市内への避難数は502世帯(1050人)に達していたともいう。こうして、増子氏は当時そして今も花巻市議会議員であり、彼はこの「いわてゆいっこ花巻」の中心人物として、市側へ働き掛けたりしながら支援活動に邁進したいったようだ。
 そして増子氏は、
 避難者を受け入れた温泉旅館などには災害救助法の規定に基づいて、一日人当たり五千円(三食付)の公費が助成され、その後、転居した場合の家賃負担も二年間免除されることになっていた。日本赤十字社も洗濯機や冷蔵庫、テレビなどの、いわゆる六点セットを支給するなど最低限の生活基盤もやっと整いつつあるかに見えた。
 そんな中、「ぜいたくは望みません。でも、夜寝る時にはやはり布団がほしい。こたつに足を突っ込んでうたた寝する毎日です」――。こんな電話が「ゆいっこ花巻」に殺到するようになった。
              <同38より>
と続けていて、そこでこの実態を踏まえて、花巻市議でもある同氏は花巻市議会において、
 「地域防災計画には生活必需品の支給規定がある。この際、義援金を取り崩して布団を支給する考えはないか」と当局側に見解をただした。
              <同39pより>
 ところが、同書によれば、この「義援金」に関しては盛岡市や一関市の処理の仕方と異なり、花巻市の場合は「義援金」と「寄付金」の口座を一本化していたという。つまり、被災者への義援金が結果的には市の一般会計の歳入に入ってしまったことになった(と理解すればいいのだと私は解釈した)。そこで増子市議は、平成23年の六月定例議会でこのことを質したのだが、結局は同議会の最終日に、
 法令を無視した形で一般会計に計上された「被災者受入事業補助金」はこうした疑念を積み残したまま、可決された。反対に回ったのはわたし一人だった。
              <同47pより>
ということである。さてこれで平成23年の六月定例議会までの経緯がある程度わかったのだが、タイトルにある「騒動」はこれらとどう関連するのか。

「騒動」の切っ掛け
 「騒動」の切っ掛けは、まさにこの六月定例議会で起こったという。前掲書は次のようにそのことを述べている。
 六月定例議会の議案審議が行われた六月二十三日(二〇一一年)、二階傍聴席には大槌町など沿岸被災地から花巻市内の温泉旅館などに一時避難している人たちが傍聴に詰めかけていた。
「義援金流用」疑惑を追及する緊迫したやり取りに内陸避難者たちは身を乗り出すようにして聞き入っていた。…(投稿者略)…昼休みの休憩が宣言された直後、わたしは傍聴席がざわめいているのに気がつき、二階へ駆けあがった。
「議員の一人から、さっさと帰れという暴言を浴びせられた。身ひとつで投げ出されたわたしたちは帰る場所はないのです」。青ざめた表情の内陸避難者たちは唇を震わせながら訴えた。「おれの耳にもはっきり届いた」と小石さんも憮然とした表情で吐き捨てた。
 賢治が受難者に寄り添う気持ちをくどいように「行ッテ」と繰り返す、その言葉に逆らうような暴言騒動にわたしはその時、心底、怖気づいてしまったのを覚えている。天に唾するとはこのことではないのか――。
 午後の審議の最後にわたしは議長に対して、「これが事実だとすれば、被災者のこころを傷つけるだけではなく、議会全体の品位を汚す許されざる行為だ。事実関係を調査してほしい」と申し入れた。
              <同53pより>
 たしかにそのとおりであり、このような発言が事実であったとすれば、それは普通であればあり得ない暴言であり、大震災で罹災してやむを得ず内陸に避難していた人たちに対するとんでもない侮辱であり、許されざる行為である。その発言者の品位を私も疑う。ついてはなにはともあれ、「事実関係」をまずは明らかにせねばならない。

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《鈴木 守著作案内》
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 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。

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