みちのくの山野草

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〔聖女のさましてちかづけるもの〕

2014-02-06 08:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
検討すべき残りの資料は何か
鈴木 さて、以前
 賢治が下根子桜から撤退した後において問題となるのが、次の
   (3) (4) (5) (15) (16) (17) (19) (20) (21) (25) (27) (28) (29) (30) (31)
ということになろうが、これらにつては後程改めて皆でまた考察せねばならないと思う。
と述べたものだったが、これらの中の
     (3) (4) (15) (25) (29) 
についてはその後考察が済んだ。なおかつ(19)及び(21)は「昭和6年7月7日の日記」からの「抄」だからこの2つについても実質検討は済んでいる。
 したがって、現時点で私が知っている露関連の資料等の中で検討せねばならないと思っているリストはその残りで、以下のとおりだ。
( 5) 〔聖女のさましてちかづけるもの〕(昭和6年10月24日)
(16) 『宮沢賢治の手帳 研究』(小倉豊文著、創元社、昭和27年8月)
(17) 『四次元44』(宮沢賢治友の会、昭和29年2月発行)<佐藤勝治「賢治二題」>
(20) 『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社、昭和42年)
(27) 『宮沢賢治の愛』(境忠一著、主婦の友社、昭和53年3月)
(28) 『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社、昭和53年12月)
(30) 『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉豊文著、筑摩書房、昭和58年10月)
(31) 『年表作家読本 宮沢賢治』(山内修編著、河出書房新社、平成元年9月)
これらのうち、最後のものを除いては皆昭和6年10月24日付の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕に関連している資料ばかりだ。
荒木 じゃあ、いよいよ「昭和6年」に入るべ。
〔聖女のさましてちかづけるもの〕
鈴木 では、この年については〔聖女のさましてちかづけるもの〕に尽きることになりそうだが「昭和6年」に入るか。
荒木 そもそも、その〔聖女のさまして云々〕とはどんな詩なんだ?
吉田 それは、例の『雨ニモマケズ手帳』の中に書かれた、昭和6年10月24日付の次のような詩だ。
  10.24 ◎
   聖女のさましてちかづけるもの
   たくらみすべてならずとて
   いまわが像に釘うつとも
   乞ひて弟子の礼とれる
   いま名の故に足をもて
   われに土をば送るとも
   わがとり来しは
   たゞひとすじのみちなれや

               <『校本宮澤賢治全集第十二巻(上)』(筑摩書房)36p~より>
鈴木 ちなみに、これはその手帳にどのように書かれているかというと、次のようになっていて、
【「雨ニモマケズ手帳」29p~30p】

【「雨ニモマケズ手帳」31p~32p】

           <『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
これを文字に実際起こしてみると次のようになる。
10.24◎
   聖女のさまして
       われにちかづき
           づけるもの
   たくらみ
   悪念すべてならずとて
   いまわが像に
        釘うつとも

   純に弟子の礼とりて
   乞ひて弟子の礼とりて
              れる
   いま名の故
             足を
               もて

   わが墓に
   われに土をば送るとも
   あゝみそなはせ
   わがとり来しは
   わがとりこしやまひ
   やまひとつかれは
      死はさもあれや
   たゞひとすじの
       このみちなり
            なれや

           <『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
全く逆であった可能性も
荒木 それにしても、書いては消し、消しては書きと何度も書き直しているところからは賢治の葛藤や苛立ちが窺えるね。
吉田 内容的には、相手に対しては「悪念」というきつい用語を用いようとしたり、その人を「乞ひて弟子」となったと見下ろしたり、「足をもて/われに土をば送るとも」というようにどうも被害妄想的なところがあったり、一方自分のことは「たゞひとすじのみち」を歩んできたと高みに置いているところもあったりのこの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕から浮き彫りになってくる賢治は、女性から言い寄られた男のそれではなくて、かえってつれなくされて虚勢を張っている男ともとられかねない。
鈴木 それから、「あゝみそなはせ」とあることからは、賢治としてはこの相手の女性のことをそれまではかなり評価してきたということが言えそうだ。
荒木 そうか、そのような女性に対してまさか「悪念」などという言葉を使おうとしたとはな…それも詩においてだぞ。今、電子辞書で引いてみたならば
 悪念:悪事を心にたくらんでいること。他人に恨みを抱くこと。悪心。
            <『広辞苑』より>
とある。ちょっとショックだ、今まで抱いてきた賢治のイメージからはほど遠い詩だ。この詩を詠む前に賢治には余程のことがあっんだろうな…劇的な何らかの出来事が。
吉田 それにしても、下根子桜時代のおそらく昭和2年の夏頃から、
   しかし彼女の情熱が高まると共に賢治の拒否するところとなった。
              <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』359pより>
ということのようだが、それから約4年以上も時が経ってからもこのような、佐藤勝治の表現を借りるならば
 彼の全文章の中に、このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない。これがわれわれに奇異な感を与えるのである。
              <『四次元44』(宮沢賢治友の会)10pより>
と言うような詩を詠む賢治の心理は僕にはわからん。いくら何でもこれだけの長期間執念を持ち続けることは普通の人にはとても無理だろう。
鈴木 一般には、この「聖女のさま」した人物とは高瀬露だといわれているようだが、もしそうだとするならば露を拒絶し出した時から、いま吉田が言ったように約4年後でもこれほどの「憤怒」を込めた〔聖女のさましてちかづけるもの〕を詠むなどということはとても私には考えられないことで、さっき荒木も言ったように、おそらくその間に賢治は予想もしていなかったような何らかの出来事があったと考えた方がいいのではなかろうか、と今私も思い始めている。
荒木 あるいは、俺は賢治が好きだから賢治がどうのこうのとは言えないが、さっき吉田がさりげなく『つれなくされて虚勢を張っている男ともとられかねない』と言ったが、一般的に言えば実は振られた男の恨み節のそれと考えることの方が遙かに理にかなっていると指摘されるかもな。
吉田 実は案外、二人の関係は巷間伝わっているような立場とは全く逆であったという可能性もある。
鈴木 立場が全く逆であったという可能性か…流石にそれはないだろうと思っていたが、いままで賢治のことを少しく調べてきてみてつくづく思い知らされたことは、巷間流布している通説とその真実とは全く逆だったということがいくつかあったからな。まして学問のスタートは疑うことから始まるともいうからここは先入観を棄ててみるか。
荒木 先入観を棄てるというならば、そもそも本当にこの「聖女」とは露なのかということも含めてな。この詩からは、それが露だということは簡単には言い切れないのではないべが…。
吉田 関連して、今あることを思い付いた詩がある。
鈴木 なんだそれは?

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