みちのくの山野草

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関徳弥の『短歌日記』(検証に耐え続ける<仮説>)

2014-02-04 08:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
“関徳弥の『昭和五年短歌日記』”による検証
鈴木 さて、私たちが考察した限りにおいては、“関徳弥の『昭和五年短歌日記』”は実は昭和6年用として関が使ったものであるという結論に達したが、こうなれば、そのことは次の「昭和6年」の場合に他の資料と共に再考せねばならないので、その結論に基づいた検討はその時まで保留しておきたい。
 ここでは「昭和5年」に関する最後の考察として、新聞報道された“関徳弥の『昭和五年短歌日記』”の「10月4日」と「10月6日」に書かれている内容そのままを用いて<仮説:露は聖女だった>を検証してみたい。
 ではまずその日記の記載内容の確認だ。
 10月4日:夜、高瀬露子氏来宅の際、母来り怒る。露子氏宮沢氏との結婚話。女といふのははかなきもの也。
 10月6日:高瀬つゆ子氏来り、宮沢氏より貰ひし書籍といふを頼みゆく。
となっている。
 ではこの記載内容をどのよう解釈し、どう判断するかだが荒木はどう考える?
荒木 まず10月4日については、10月4日の夜関徳弥の家に、花巻女学校で同級生であったナヲ(徳弥の妻)を訪ねて高瀬露がやって来たが、その際に徳弥の義母ヤス(ナヲの母、賢治の叔母)がやって来て怒った。それは高瀬露と賢治の結婚話についてであった。そしてその様子を見ていた徳弥は「女といふのははかなきもの也」と感じた、という解釈でいいのだろうが、その中身が判然としていないところがあるので判断しずらいな。
吉田 ここで問題となるのが、まず「露子氏宮沢氏との結婚話」であり、これがどのような結婚話であるのかが見えてこないことだ。『岩手日報』新聞報道によれば、記事の中に
 (賢治が亡くなる三年前の)昭和五年まで、露との間に結婚話が続いていたことを示す証拠
という見立てが載ってはいるものの、このことに関してはそれまでも、そしていまに至っても何ら新たな証言も資料も見つかっていないからはたして「露との間に結婚話が続いていた」と言えるのかどうか。
 そして次が、徳弥は誰に対して「女といふははかなきもの也」と言ったかだが、これだけでは誰に対してだったのかは特定しにくい。となれば、現段階では一般に「女といふははかなきもの也」と徳弥は感じたとしか言えず、それ以上でもないしそれ以下でもないので検証のための資料としては使えないだろう。
 かりに10月4日日の記載内容を無理矢理使ったとしても、その内容だけを以てして露を「悪女」と決めつけることにはもちろん無理がある。
検証に耐え続けている<仮説>
鈴木 また、義母が何に対して具体的に怒ったのかもわからないからこれ以上のことは推測でしか言えない。となれば、義母が怒ったことをもってして<仮説:露は聖女だった>の反例とすることはできない。
吉田 端的に言えば、「母来り怒る」だけを以てして露を「悪女」にできないことは明らかであり、そうなればいままでこの<仮説:露は聖女だった>が検証に耐えてきたことを考えれば、それを棄却するほどのことでもない。
荒木 一方の10月6日については、内容的にはっきりしているから解釈で悩むことはない。こちらの方の意味は、高瀬露が翌々日の6日また関家にやって来て、宮澤賢治から貰ったという書籍を返してほしいとナヲに頼んで置いて帰って行ったという解釈以外にないだろう。
吉田 前々日に結婚話があったということだから、露はけじめを着けるために以前賢治から貰っていた本を結婚を前にして賢治に返したと判断できるので、露のそうした行為、誠実ともとれるそのような行為は<仮説:露は聖女だった>を裏付けこそすれ、その<仮説>の反例になることがないこもこれまた明らかだ。
鈴木 ここまでいろいろ調べてきてわかるように、関徳弥という人は信頼できる人だ。だから、この日記の記載内容がでたらめことを書いていることはなかろうと判断はできるが、いかんせんこのような記載内容だけではその事情が漠然としすぎているので、これらの記載内容だけで露のことを「悪女」にできないことはもちろんだ。
 したがって、これらの内容を以てして<仮説:露は聖女だった>を棄却できない。これらの漠然とした記載内容で、さっき吉田も言ったように、これまでに検証に耐えてきたこの仮説を覆すわけにはいかないからだ。
荒木 となれば、“関の『昭和五年短歌日記』”が新たに見つかったからといって<仮説:露は聖女だった>を棄却する必要はないということになる。いやあ嬉しいな。
 鈴木は当初から「昭和5年」は難題だと言っていたから、もしかすると<仮説:露は聖女だった>の反例が出て来て、今まで検証に耐え続けてきたこの<仮説>を棄却せねばならんかもしれぬとちょっと不安があったが今回も検証に耐えてくれた。
 なんとなんと残すは昭和6年~昭和7年だけだとなった。もしかすると、この<仮説>は案外最後まで耐え続けてくれるかもしれん。
鈴木 まあ、今のところは<仮説:露は聖女だった>は検証に耐え続けているのだが、そのうちどんでん返しが起こるかもしれんぞ。
荒木 おいおい、脅すなよ。
吉田 どうも、この日記の記載内容についてはまだ引っかかりが残っていて釈然としない。ついては、僕たちがたどり着いた結論に基づいてこれを「昭和6年」の中に組み入れて再度考察し直せば新たな展開が見えてくるかもしれない。

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