みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2467 『イーハトーヴォ(第一期)』より(#3)

2011-12-20 09:00:00 | 賢治渉猟
 高橋慶吾の「賢治先生」の続きである。
 慶吾はそこで次のようなことも語っていた。
 又、先生は女性及び性慾の方面に於いて禁断主義を実行され、「俺はトルストイ以上の仕事をしてゐるのだ」と申されたり、「山を東から西にも、西から東にもうつす力があるんだ」と申された事もあり、「仕事をなすにはどうしても性慾を節して行くより道がない」と申され、その事を実行されたのであります。その事に関連して、某一女性が先生にすつかり惚れ込んで、夜となく、昼となく訪ねて来たことがありました。その女の人は仲々かしこい気の勝つた方でしたが、この人を最初に先生のところへ連れて行つたのが私であり、自分も充分に責任を感じてゐるのですが、或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、台所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そこに肥料設計の依頼に数人の百姓たちが来て、料理や家事のことをしてゐるその女の人をみてびつくりしたのでしたが、先生は如何したらよいか困つてしまはれ、そのライスカレーをその百姓たちに御馳走し、御自分は「食べる資格がない」と言つて頑として食べられず、そのまゝ二階に上つてしまはれたのです、その女の人は「私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて……」とひどく腹をたて、まるで乱調子にオルガンをぶかぶか弾くので先生は益々困つてしまひ、「夜なればよいが、昼はお百姓さん達がみんな外で働いてゐる時ですし、そう言ふ事はしない事にしてゐますから止して下さい。」と言つて仲々やめなかつたのでした。
 先生はこの人の事で非常に苦しまれ、或る時は顔に灰を塗つて面会した事もあり、十日位も「本日不在」の貼り紙をして、その人から遠ざかることを考へられたやうでした。又、その頃私がおうかがひした時、真赤な顔をして目を泣きはらし居られ「すみませんが今日はこのまゝ帰つて下さい。」と言われたこともありました。
 お父さんはこう言ふ風に苦しんでゐられる先生に対して「その苦しみはお前の不注意から求めたことだ。初めて会った時にその人にさあおかけなさいと言つただらう。そこにすでに間違いのもとがあつたのだ。女の人に対する時、歯を出して笑つたり、胸を拡げてゐたりすべきものではない。」と厳しく反省を求められ、先生も又ほんとうに自分が悪かったのだと自らもそう思ひになられたやうでした。

<『イーハトーヴォ(第一期)創刊号』(宮澤賢治の會)より>

 もちろんここに登場する〝某一女性とは(充分な検証もなされずに一方的に)「悪女伝説」化されてしまった高瀬露のことである。しかし私はこの高橋慶吾の証言を読むにつけ、巷間言われている「高瀬露悪女説」を流布させた方々はアンフェアだと思う。もしここで高橋慶吾が喋っていることが事実であるとすれば、この件に関する評価は父政次郎のこの評価こそが妥当なのであって、一人高瀬露だけが悪いわけではないことは明らかなこと。露の行為を責めるのならば、この際の「顔に灰を塗る」ような行為も同様に訝しむべきことである。いやそれ以前に、折角露がカレーライスを作ったがそれを勧められた際に、肥料相談に来た農民の手前遠慮してのことだろうか、頑なに食べもせずに自分は「食べる資格がない」と辞退したのでは露も立つ瀬がないし、このようなことは賢治が責められることはあっても露が責められるべきことではなかろう。

 一方では、そもそもはたしてこの高橋慶吾の証言をそのまま鵜呑みにしていいのだろうかという不安が私にはつきまとう。なぜなら、ここで高橋慶吾が語っていることは彼がどこまでを実際見ていて、どこからが伝聞したものなのか、それらが曖昧のままに語られているのではなかろうかと直感したからである。
 つまりここで語られている次の各項目は全て事実であったり、慶吾が直接その場面にいて目の当たりにしていたりしたことかということである。中には明らかに疑問符を付けたくなるものさえある。
(1) 某一女性が先生にすつかり惚れ込んで、夜となく、昼となく訪ねて来たことがありました。
(2) 或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、台所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そこに肥料設計の依頼に数人の百姓たちが来て、料理や家事のことをしてゐるその女の人をみてびつくりしたのでしたが、先生は如何したらよいか困つてしまはれ、そのライスカレーをその百姓たちに御馳走し、御自分は「食べる資格がない」と言つて頑として食べられず、そのまゝ二階に上つてしまはれたのです、その女の人は「私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて……」とひどく腹をたて、まるで乱調子にオルガンをぶかぶか弾くので先生は益々困つてしまひ、「夜なればよいが、昼はお百姓さん達がみんな外で働いてゐる時ですし、そう言ふ事はしない事にしてゐますから止して下さい。」と言つて仲々やめなかつたのでした。
(3) 先生はこの人の事で非常に苦しまれ、或る時は顔に灰を塗つて面会した事もあり、十日位も「本日不在」の貼り紙をして、その人から遠ざかることを考へられたやうでした。
(4) その頃私がおうかがひした時、真赤な顔をして目を泣きはらし居られ「すみませんが今日はこのまゝ帰つて下さい。」と言われたこともありました。
(5) お父さんはこう言ふ風に苦しんでゐられる先生に対して「その苦しみはお前の不注意から求めたことだ。初めて会った時にその人にさあおかけなさいと言つただらう。そこにすでに間違いのもとがあつたのだ。女の人に対する時、歯を出して笑つたり、胸を拡げてゐたりすべきものではない。」と厳しく反省を求められ、
(6) 先生も又ほんとうに自分が悪かったのだと自らもそう思ひになられたやうでした。

 では次回はこれらの各項目について少し検討してみることにしたい。

 続きの
  ”高瀬露は悪女ではない(#1)”へ移る。
 前の
 ”『イーハトーヴォ(第一期)』より(#2)”に戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2466 稲作と『農業科学博物館... | トップ | 2468 稲作と『農業科学博物館... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治渉猟」カテゴリの最新記事