まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

掃除

2017-02-28 | 暮らし

何日か家をあけると掃除をしていないことが気になる。こんな時ルンバがあったらお任せして外出できるだろうか。いや、娘の家でルンバの働きを見ていたら心もとなかった。行きたい所へなかなか行けずに、何回もチャレンジして諦めて方向転換して同じところを回っていた姿が可哀想だった。

娘の家の新築祝いに友達から頂いたのを、みんなで見ていて、見ているくらいなら掃除せーやって感じだった。始めの頃は珍しがっていたけれど、今はどこにいるのかとんと見かけない。ルンバの動く条件のひとつに、障害物のないことというのがある。障害物がないというのは、片付いているということだ。ルンバは片付けはしないのだ。子ども達の脱いだものが床にあったり、取り込んだままの洗濯物があってはいけないのだ。ルンバは可愛いロボットで、自分で充電器の所へもいけるけど、階段から落ちてけがをするルンバもいるし、外へ出て放浪の旅に出るルンバもいるらしい。「あたしゃ、このうちの者にあいそをつかした・・」と、いう訳ではないだろうが。

しかし、掃除はやはり人間がしなくてはならない。先日NHKの「100分で名著」で「正法眼蔵随聞記」(しょうぼうげんぞうずいもんき)を、やっていた。道元の教えである。その中で、生活そのものが修行であるというところがあって、本当にそうだなあと思ったのが、ひたすら掃除をすること。料理をすること。など日常生活の中に道を求める心があるという。

考えてみたら、自分たちの汚れを自ら美しくすることは当たり前で、そのことは気持ちの良いことにつながる。話はとぶが、トイレの蓋が勝手に開いたり、水が勝手に流れるっていうのも、なんか違うんじゃないかなあと思う。介護される人なら良いけれど、健康な人が自分の始末が出来ないっていうのは違う気がする。でもウオシュレットは気持ちいい。修行をとるか、快感をとるかという選択を迫られる。わたしは意志薄弱だ。誘惑に負けやすいタイプである。この世の中は誘惑が多い。美味しいものがあり、楽しいことがあり、おもしろいものが溢れている。わざわざ苦行をする人は少ない。弓道の修行をしているようで、実は楽しんでいる。

そんなこと言いながら、洗濯は洗濯機に任せているし、あまり大きな口をきける立場ではないね。どうしてこんなに忙しいのか、これも修行なのか。


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