まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

開設記念大会

2014-03-14 | 弓道

弓道の開設記念大会が日曜にある。九谷焼の三人展は17日までなので、日曜は申し訳ないが休むこととなる。開設記念では矢渡を七段に昇段したK先生がするが、第二介添えをわたしがすることになった。病後の体力不足で、蹲踞に耐えられるか心配で、毎日TVを見ながらこらえているが、やはり心配で、昨日の夜は先生の稽古の合間に時間を合わせた。案の定、矢をかえす時、道場の框のところで蹲踞でふらついた。年のせいにしよう。

今日は、第一介添えのTさんと三人で和服も着て合わせた。第二は入場の時に早からず遅からず射手に常に気を送り、的前では蹲踞で耐えに耐え、戻るときは全体の間を計り、道場に上がるときは第一介添えとの間をとりと、結構しんどく気を使う。今日の稽古では、いきなり草履を履くところでなかなか足が入らず焦ったし、戻りの間は間延びしたしと、反省ばかり。

作品展と大会と、イベント事が重なり、だんなから「なんでもそこそこにやろうとせず、ほどほどにしなさい」と、注意されたので「そこそことは、底辺の底底でどれも底辺だから大丈夫」と、ああ言えばこう言うヤバ妻だ。(素直でないやばい妻のこと)ついでに、高い山は底辺が広くなければ築けないので、わたしは頂上を支える役割ではと思う。

では、ほどほどに成功しますように。

 


五彩遊悠三人展

2014-03-14 | 九谷焼

3月9日から始まった三人展に、毎日、必ず知り合いや友達が来てくれるので嬉しい。今日はアスリート系の先輩が来てくれて、「見直した・・」と、言ったので、では今までは?と、突っ込んだ。その先輩とは一緒に東京出張した折に、お台場で昭和の街並みのところで「喜一のぬりえ」を買った私のことを覚えていて「ぬりえなんて何で買うんやろと思ったわ。そもそも絵が好きやったってことか・・」と、言われた。そのことを、すっかり忘れていた。自分が忘れていたことを他人が鮮明に覚えているということは怖いことだ。確かに喜一のぬりえは買った覚えがある。あこがれていたのだ。小さいときに欲しかったのだった。でも、これはわたしの娘たちも大好きなものだ。親の影響か。

作品は、娘たちに言わせると、「家でみると大したことがないが、ここに並べるとそれなりに見えるね・・」と、いう。確かに、この庭の美しいところに並べるとそんな気もする。何点か嫁入り先が決まったが、持ち帰ったらしょうもないと思われたりして。

会期中、両親が見に来たいというので送迎し、父は相変わらずわたしの馬の絵に難癖をつけ、先生とkomeさんに愛想をふりまいて、しゃべるだけしゃべって、早々に帰るといい、先日「血管が切れて死ぬかもしれない」と、騒いでいたとは思えない。足元は危ういが口は相変わらずで、「いざという時の予行演習や」と、ひょうひょうとしている。母は「予行演習は何回もされたら周りがかなわんわ」と、あきれていた。おまけに、母はせわしない父のせいで、可愛いkomeさんの猫の置物をじっくりみることが出来ずに残念がっていた。


人材について

2014-03-14 | 暮らし

あいつは使えない。とか使える。とかいう言葉を聞くと残念な気持ちになる。

人は道具ではないので、間に合うとかいう言葉がよいかと思う。「間」とは、いい言葉だ。その「間」に合えば「間に合う人」で、「間に合わない人」は、電車に乗り遅れて間に合わないというように、次の電車に乗ればいいのだし、間に合わなかった人は、別の「間」に合うかもしれない。

なんだか、何を言おうとしているか収集がつかなくなった。要するに「人材」を、材木の「材」を使うからいかんのだ。「財産」の「財」を使えば、おのずと「間に合う」が出てくるような気がする。