読書日和

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「雪国」川端康成

2017-02-05 17:23:41 | 小説


今回ご紹介するのは「雪国」(著:川端康成)です。

-----内容-----
親譲りの財産で、無為徒食の生活をしている島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。
島村は許婚者の療養費を作るため芸者になったという、駒子の一途な生き方に惹かれながらも、ゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない-。
冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。
川端文学の美質が完全な開花を見せた不朽の名作である。
1968年、ノーベル文学賞受賞対象作品。

-----感想-----
ちょうど季節が冬ということもあり、有名な「雪国」を読んでみました
川端康成さんは1968年にノーベル文学賞を受賞した作家さんで、「雪国」は「伊豆の踊子」などとともにノーベル文学賞の選考対象になった作品とのことです。
何となく「雪国」でノーベル文学賞を受賞したイメージがあるのですが、あくまで受賞したのは川端康成さんという作家で、「雪国」や「伊豆の踊子」などの複数の作品が国際的に高く評価され、ノーベル文学賞受賞になったとのことです。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
第一文目に何度も聞いたことがあるこの文章があり、心がワクワクしました
一つの文章がひとたび目にすればすぐに作品名が出てくるくらい日本中で有名なのは凄いことです。

物語の語り手は島村という東京に住む男。
島村が電車に乗って新潟県に行った時、向かい側の座席に葉子という娘と、その横に横たわる病人と思われる男がいました。
島村は窓の向こうの景色とともに、窓に映る葉子の顔を見ていて、その描写が非常に印象的でした。
一部をご紹介します。
窓の鏡に写る娘の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、娘の顔も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、顔の裏を流れてやまぬ夕景色が顔の表を通るかのように錯覚されて、見極める時がつかめないのだった。
この場面は凄く良い表現だと思いました。
それまで電車の中の座席全体を見ていたのが、この場面になった途端、辺りが暗くなって電車の窓の向こうの景色と、窓に映る葉子の顔しか見えなくなったような気がしました。
妖艶で神秘的な雰囲気を感じさせる文章になっていました。

島村は駒子という芸者に会いに新潟県に出かけています。
物語の序盤で初めて駒子と会った時の回想があり、その後はいつの間にか月日が流れていたりしながら物語が進んでいきました。
駒子との会話の中でも印象的な表現が出てきました。

鏡の奥が真白に光っているのは雪である。その雪のなかに女の真赤な頬が浮んでいる。なんともいえぬ清潔な美しさであった。もう日が昇るのか、鏡の雪は冷たく燃えるような輝きを増して来た。それにつれて雪に浮かぶ女の髪もあざやかな紫光りの黒を強めた。
鏡の中の雪と女(駒子)の描写が印象的で、葉子の描写と似たものを感じました。

電車の中で葉子を見た次の日、島村は駒子が住んでいる屋敷の中で葉子と再会します。
島村と会話はせず、ちらっと刺すように島村を一目見ただけで通り過ぎていってしまい、再会は終わります。
以降も島村は葉子に遭遇することがあるのですが、葉子は刺すように島村を見るだけで特に何も話さず、毎回刺すように見ているのが気になるところでした。
また、駒子は島村と話す中でなぜか葉子のことに触れようとしません。
駒子と葉子がどんな関係なのかも気になりました。

駒子は時折妙な反応を見せることがあります。
島村が電車の中で葉子とともに目にした病気と思われる男は行男という名前で、駒子とも少なからぬ縁があります。
重病に侵されていて余命幾ばくもなく、ある日東京に帰る島村を駒子が駅まで見送りに来ていた時、葉子が行男の急を知らせに来ました。
容体が急変したから今すぐ会いに行ってくれと言うのですが、駒子は「いやよ」と言って帰ろうとしません。
当初「お客さまを送ってるんだから、私帰れないわ」と言っていたのですが、さすがにこれは表面上の理由で本心ではないだろうと思いました。
その後「いや、人の死ぬの見るなんか」とも言っていて、こちらは本心のような気がしました。
少なからぬ縁のある人の急に際しても、その場に駆け付けられないくらい人の死への恐ろしさがあるのかなと思います。

直前の場面から一年も月日が流れている場面がありました。
この流れが唐突だなと思いました。
直前の物語から続いているようでいて、読んでいくと実は一年も経っていたのが印象的でした。

温泉宿の番頭の描写で、「揉手しながらしつっこく客を引くが、いかにも誠意のない物乞いじみた人相が現れていた」とありました。
「いかにも誠意のない」が特に印象的でした。
私も上辺だけのペラッペラの言葉を使う人に良い印象は持たないです。

島村と駒子は会話が噛み合っていないことがよくあります。
「Aはどうだい?」「Bはこうよ」のように、島村が振った話題に対して、全然違う話題の答えが返ってくるようなことがありました。
しかしそれでも問題なく会話が進んでいき、読んでいるほうも何となく会話の流れが掴めるのが面白いです。
「あんた私の気持ち分かる?」という言葉が一つの場面の中で二回出てきていたのも印象に残りました。
駒子は島村に気持ちを分かってほしそうです。

また、駒子が島村を「嘘つき」と立て続けになじる場面があります。
「あんた、なにしに来た。こんなところへなんしに来た」
「君に会いに来た」
「心にもないこと。東京の人は嘘つきだから嫌い」

「あんた2月の14日はどうしたの。嘘つき。ずいぶん待ったわよ。もうあんたの言うことなんか、あてにしないからいい」
「それごらんなさい。言えやしないじゃないの。嘘ばっかり。あんたは贅沢に暮して、いい加減な人だわ。分りゃしない」
一連の「嘘つき」連発で島村をなじっていますが、しかし会えて嬉しそうな雰囲気もあったのが印象的でした。
言葉と本心が一致していない時は、受け手が本心を察知しない場合言葉のほうを真に受けることになるので、関係がこじれるかと思います。

駒子は破滅的に見えるような行動をすることがあります。
酔っぱらって管を巻き、やがて酔いが醒めて「お休みなさいね」と島村のもとを去ったかと思ったらまたお酒を持って戻ってきて酔っぱらったりしていました。
島村の冷たく見えるほどの冷静さによって破滅にはならずに済んでいるように見えました。
ただし駒子がそんな行動に走るのは島村という存在があるからのようにも見え、島村のせいで破滅的な行動になっているとも言えます。
このこじれ具合は電車の窓の向こうの景色と葉子の顔の表現に見られる素晴らしい表現力とともに、「雪国」の特徴だなと思います。


ノーベル文学賞受賞の一角を担った作品ということでどれほど凄い作品なのかと期待した状態で読み始めました。
その期待に応えてくれたのが冒頭で出てきた電車の窓の向こうの景色と葉子の顔の表現で、これだけでもこの作品を読んで良かったと思いました。
そしてこういった表現力が海外で高く評価されノーベル文学賞受賞につながったというのが嬉しいです


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