老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

原発まだ続けるつもり??   その①

2021年03月21日 19時26分18秒 | 原発関係

 久しぶりに原発問題を取り上げます。

 3月19日の新聞(毎日新聞)を見て驚きました。
1面トップは「東海第2原発差し止め」「避難計画に不備」という見出しでしたが、何とそのすぐ横に「広島高裁は伊方3号機容認」との見出しが躍っていました。

◆まず、愛媛県にある伊方原発3号機については、予てから中央構造線に近くて断層の危険があるとか、その立地場所から見て万一の場合には住民の一部が避難困難であるとかの問題が指摘されていましたが、山口県南東部にある島の住民3人の申し立てを受けて、昨年1月に広島高裁が“地震や火山の噴火による具体的な危険がある”として、運転を認めない仮処分の決定を出しました

 これに対して、四国電力が異議を申し立てたのを受けて、今回は同じく広島高裁ながら別の裁判長が“原発の安全性に影響を及ぼす大規模自然災害が発生する可能性が高いとはいえない”としての仮処分の判断を取り消し、運転を認める決定をしたというのです。

 同じ裁判所で裁判官に拠ってこの様に違う判決が出るという事は、所詮「裁判は裁判長次第で、当りか? 外れか?」ということになり、抽選かジャンケンで決めるとの変わりない様に思うのは私だけでしょうか・・・

 更に、裁判官はこの様な自然災害について、「絶対に安心」と言い切るだけの権限というか、判決の基礎となる知識を本当に持っているのでしょうか?

 福島第1原発で経験したように、原発は万一の場合には人命を危機にさらすだけでなく、その居住地を長期に亘って奪ってしまうものなのです。

 そのようなリスクのある原発の立地・稼働に対して周囲の住民が大きな不安を持つのは当然であり、そのようなリスクに対して、「そのような恐れは絶対に無い」と言いきれるだけの知識があるのなら兎も角として、“原発の安全性に影響を及ぼす大規模自然災害が発生する可能性が高いとはいえない”というような完全否定できない状態なら、その恐ろしい可能性を排除するような判決は出すべきではないでしょう。

 「疑わしきは罰せず」ではなく、「少しでも危険があるものは認めない」のが、原発などを巡る法的な基準になればとおもっています。


◆その点、水戸地裁の日本原子力発電・東海第2原発の運転差し止め判決は、極めてユニークなものでした。

 基準地震動の策定方法や施設の耐震性などについては、住民の主張を退けたという点では、上記の判決同様に不満がありますが、“実現可能な避難計画が整えられているというにはほど遠い”という判決は、極めて妥当なものだと思われます。

 即ち、これまで原発を巡る裁判では施設の備えや対策について議論がされてきたが、今回は地域住民の安全性確保のもう一つの側面となる避難計画に課題があると指摘した点では大きな意味があるといえるでしょう。


◆一方、原子力規制委員会は、IDカードの不正使用問題や、施設への侵入者検知設備の不備やずさんな管理が問題になっている東電・柏崎刈羽原発に対して、3月16日に「最悪レベルの核セキュリティー上の不備と指摘して、1年以上の追加検査を明らかにしたようです。


 福島第1原発の事故というこれ以上ない原発の恐ろしさを経験した東電でさえこの状況ですから、他の電力会社の原発事業所のセキュリティー問題も同じようなレベルだと推測されても仕方ないでしょう。



 それにも増して、先日も書き込んだように福島第1原発の事故後10年経過したというのに、まだ完全な廃炉計画さえも提出できないだけでなく、廃棄物の処理方法さえも目途が付いていないような状態です。

 これは東電だけでなく全ての原発に共通する課題である以上、原発は確立した産業とは言い難く、この目途の付くまでは原発を稼働させること自体が大きな問題でしょう。(まさ)