老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

もう10年、まだ10年しか?

2021年03月11日 19時04分12秒 | その他

 「もう」か「まだ」かは人によって感じ方が違うのでしょうが、10年が経過したのですね。

 あの日のことは、つい昨日のことのように、未だにはっきり覚えています。
 丁度園芸活動のボランティア活動に行っていた日で、車での帰宅中でしたので揺れには気付かなかったのですが、途中で多くの人がビルから飛び出して不安そうに周りを見渡しておられるのに気付き、私もこれはおかしいと思い、急いで帰宅してTVをつけました・

 それから後は、想像もできないような大津波に飲み込まれていく町の様子を言葉もなく見続けていくだけでしたが、翌日に発生したこの津波に伴う福島第1原発の事故と相俟って、本当に忘れられない天災と人災でした。

 「・・・でした」と過去形で語るには、大きな抵抗があります。
この地震と大津波で、関連死を含めて2万人近い人が亡くなっただけでなく、未だに4,000人近い行方不明の方がおられます。被災地はまだ完全復旧には程遠い状態で、未だに復興の目途も立てらずに苦しんでおられる方が沢山おられるようです。
 まだ何も解決していませんし、完全な復興には程遠いのです。

 それにもまして酷いのは、福島第1原発の爆発事故で、住みなれた故郷を離れざるを得なくなった16万人もの人の内、未だに35,000人以上もの人が県内外で避難生活を余儀なくされているという事です。


 当時、私たち大阪で活動している園芸ボランティアでも、何とかできることはないかという事で、社会福祉協議会の紹介で福島県富岡町から郡山市やいわき市に避難されている方と、園芸活動を通じての交流を図ることとなり私自身も3度ほど出向きました。

 親しくお話しする中で、避難生活を余儀なくされている方のご苦労や憤りが徐々に実感で

 ・一つは、集会所というか支援センターに集まって、避難生活直後に市役所の方が車の中から撮って来られた無人になった富岡町の有名な桜の名所「夜の森公園」の無声の桜のビデオを食い入るように見つめて涙ぐんでおられた避難者の方々・・・
 
 ・もう一つは、世話役の方と食事中でしたが、その方が突然「悔しい! 出来れば東電や行政にこの不満をぶつけたいが、富岡も原発の地元助成金を受けていた以上は引け目もある」ともらされたことです。


 特に原発問題については、このログでもでも再三触れている様に、
・汚染土壌/汚染水の処理については根本的問題解決の進展もなく事態はますますややこしくなるばかりですし、ましてや事故原発の廃炉作業は当初見込みとはほど遠い進捗状況とも言えるでしょう。

・あれだけの原発の恐ろしさを経験し、未だに解決策の目途がついていないにもかかわらず、安全基準の見直しなど小手先の対応策で、又もや自らが作った安全神話に寄りかかり、原発依存策を変更していないのです。そこには人智という様なものは何も感じられません。


 こうした中で、“原発事故はアンダーコントロール”とぶち上げ、“復興五輪”と銘打って嬉々として招致したオリンピックは、いつの間にか「復興」問題が切り離され、更にコロナ問題ですっかり霞んでいます。

 今一度「復興」の実態と工程を見直し、東日本大震災や福島原発事故の犠牲者に対してもっともっと寄り添った政策を本格的に推し進めるのが政治の役割でしょう。(まさ)