老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

言葉の語源など その(61) ~清規(せいき)と陋規(ろうき)~

2021年03月10日 19時17分13秒 | 面白い言葉や語源など

 3月5日毎日新聞夕刊の『ワイド』というコラムで、評論家の佐高信(さたかまこと)氏とのインタビューが「社会を食らう内輪のルール」というテーマでまとめられていたのを、面白く拝見しました。

 前半では"菅首相という人には『公』という観念がないというか、『公』が嫌いなのだろうと感じる”とされ、菅氏が首相就任時から提唱している自助・共助・公助について、“そもそも「自助」で国民が幸せに暮らせるなら、政治なんていらない。「公助」のために働くのが政治家だ。「自助」なんていうセリフを堂々と口にし、公けの大切さを分かっていない人が首相であってはならない”と断じておられます。

 更に、“菅首相の発想は新自由主義的であり、すべてのことを利益で測ろうとするから、お金にならない『公』が気に入らないのだろう。『公』を大事にしないことは『身内びいき』にも通じる。『自助』を重視する姿勢と長男の接待問題の根は同じところでつながっているように思える”とまで言われています。


 後半では、『清規(せいき)と陋規(ろうき)』ということについて触れておられ、“清規とは社会にある普通のルールのこと。一方、陋規は内輪だけで通じるダークサイドのルールを意味する”として、
 “清規は揺るがしてはいけないものであり、これまでの社会では清規は清規としてきちんと存在していた。しかし今、清規は陋規化しようとしている。陋規が清規を食い潰そうとしているともいえる”とも言われています。


 大筋においては、全く同感ですが、私には『清規(せいき)と陋規(ろうき)』という言葉が初めてなので、例によってこの言葉を調べて見る事にしました。

 先ず、『清規』ですが、<コトバンク>や<WIKIPEDIA>では、清規(しんぎ)として、正式には清浄大海衆 規矩準縄(しょうじょうだいかいしゅう きくじゅんじょう)と言い、本来清らかな規則という意味で。禅宗の道場で修行僧たちが守るべき日常生活の規則をさすとありました。

 そして、<浄土宗大辞典>では、
清浄な規則。「せいき」ともいう。僧侶修養の道場において、衆僧の日常の起居動作について作法等を定めた規則のこと。唐の懐海(720~814))が定めた『百丈清規』が最初といわれ、後に主に禅家において用いられ、その後他宗に広まり、浄土宗でも用いるようになった。
とありました。


 一方、『陋規(ろうき)』ですが、そもそも「陋(ろう)」という字を目にするのが初めてなので、先ずはこの字を調べることからです。
<Goo辞書>によると、「陋(ろう)」とは、“場所が狭いこと。また、心・見識が狭いこと”をいうようです。

 従って、『陋規(ろうき)』とは、いうなれば庶民や“裏社会の規律・道徳”で、博打にルールが、泥棒仲間にも約束事がある、といった類いのもののようです。
更に、<コトバンク>では、中国において官員や胥吏 (しょり) らの間で行われていた非公式な収入。広義には,公務にたずさわる者が職務を行うのに関して,法律で定められた給与以外に獲得する一切の収入を意味するともあります。


 道徳にとらわれず、規則をねじ曲げてでも、身内の利益を図ることを恥じない政治家には、まことに相応しい言葉のようにも思えました。(まさ)