鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

太宰治の『津軽』と「津軽四浦」 その14

2016-03-15 07:03:44 | Weblog
太宰は、青森市について次のように記しています。「この海岸の小都会は、青森市である。津軽第一の海港にしようとして、外ヶ浜奉行がその経営に着手したのは寛永元年である。ざつと三百二十年ほど前である。当時、すでに人家が千軒くらゐあつたといふ。それから近江、越前、越後、加賀、能登、若狭などからさかんに船で交通をはじめて次第に栄え、外ヶ浜に於いて最も殷賑の要港となり(以下略)」。それ以前に外ヶ浜の中心港として栄えたのは油川でしたが、寛永2年(1625年)、青森開港によって港を閉ざされています。青森開港にあたっては、各地から集団的に人々が移住してきますが、特に越前・越後・近江の人たちが多く、中でも越前から移住して来た人たちが多く、「越前町」が生まれたほどであったという(『青森市の歴史』)。青森の町は、開港当初より、越前・越後・近江地方との結びつきが強く、それはやはり日本海を利用する海上交通の存在を抜きにしては考えられないものと思われます。 . . . 本文を読む