「津軽四浦」の中でも、太宰治の実家、つまり金木の津島家の歴史的背景を考える場合に、もっとも関わりのある港町と言えば、私はやはり鰺ヶ沢であると考えています。十三湊でも深浦でも、そして青森でもない。江戸時代の後期から明治時代にかけて、津軽と最も関係のあった港は鰺ヶ沢。なぜなら深浦はもっぱら「風待ち」の港であり、十三湊は岩木川が運んだ土砂の流入によって浅くなり、大型廻船の出入りは厳しい港であったからです。買積(かいづみ)方式の「北前船」(大型弁財船)が沖合いに多数碇泊することができ、藩政時代において津軽藩の蔵米を積み出すことができた港は鰺ヶ沢でした。明治時代においても、「北前船」が津軽産の米などを多く積み出し、また北前船が上方方面からの諸物資を多く積み下ろした港は、鰺ヶ沢であったでしょう。 . . . 本文を読む