鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

町田市立国際版画美術館・企画展「北斎と広重 きそいあう江戸の風景」について その3

2012-11-15 05:14:05 | Weblog
観覧を終えた後に、ミュージアムショップで購入したものに、2枚のクリアファイルがあります。1枚は広重の「東海道五拾参次之内庄野白雨」であり、もう1枚は同じく広重の「冨士三十六景さがみ川」というもの。後者の描かれた場所はどこかというと、『図録』の作品解説(P290)によれば、相模川の河口、現在の神奈川県茅ケ崎市側であり、そこから富士山を望んだものだとのこと。この作品は、ゴッホの油彩「タンギー爺さん」の背景に描かれたことでも有名であるとも記されていました。ということは富士山の手前右側にある薄緑色の山々は、大山(雨降山)を中心とした丹沢山地ということになります。手前と中程には丸太を組んだ筏(いかだ)が描かれていますが、これは相模川の上流の丹沢や道志などの山中で切り出され、相模川の支流により運ばれた木材が筏にされ、筏師の手によって相模川の河口へと下ってきたもの。これから河口の湊から大型船に積載され、江戸湾上を江戸へと運ばれていくものであると思われます。筏には粗末な板屋根が設けられており、手前の筏のそれからは、煙が上がっています。屋根の下には簡易な囲炉裏のようなものがあり、筏師はそこで煮炊きをすることができたのです。広重は「大山講」で有名な相州大山関係の絵を幾枚か描いており、おそらく江戸から東海道や大山道などを利用して西行し、相模川を渡し舟で越えて大山へ赴いたことがあるはずです。 . . . 本文を読む