鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

荒川水運「新川河岸」 その2

2012-05-15 05:22:03 | Weblog
『熊谷市史通史編』によると、荒川の流れが現在の流れに変更されたのは寛永6年(1629年)のこと。それによって分断された北側の下久下村と江川村に河岸ができたという。そして『やさしい熊谷の歴史』によれば、明治7年(1874年)、その下久下村と江川村が合併して新川村となり、江川河岸は新川河岸と呼ばれるようになったという。江戸時代、忍藩の御用船は主に江川河岸を使っており、江川村や下久下村は、船主・河岸問屋・宿屋などが集中し、大変繁盛したのだという。『熊谷郷土カルタ』(熊谷市立図書館)によれば、新川村が全村挙げて移住を決定したのは昭和15年(1940年)。その翌年の昭和16年から25年(1950年)にかけて約70戸が移住したというから、この地域から人家が全て無くなったのは今から60年ほど前のことであったということになります。 . . . 本文を読む