鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

麹町~明治公園~渋谷 その2

2011-09-21 05:25:30 | Weblog
新井巌さんの『番町麹町「幻の文人町」を歩く』によると、フランス留学から帰国したばかりの中江兆民は、明治7年(1874年)10月、当初、第三大区三小区中六番町四十五番地(現在の二七通りの四番町住宅あたり)に家塾を置き、その後、手狭になったことにより翌年8年5月に上六番町三十四番地(東京家政学院二号館あたり)に引っ越し、さらに翌9年にも斜め向かいの三番町二十九番地(現在の九段南四丁目一の富士植木あたり)と転居を繰り返し、そして明治10年2月に英国大使館の北隣にあたる麹町区五番町二番地の元旗本屋敷(一番町パークマンション西隣あたり)に入りました。つまり帰国してからまず番町に居を構え(そこに家塾を開く)、その後毎年転居して(都合3回)、それからしばらく落ち着いていたところが麹町区五番町二番地の元旗本屋敷でした。この家は建て替えられますが、その家塾(仏学塾)をここでフランス語を教えていたジョルジュ・ビゴーが描いた絵が残っています。ビゴーが水彩絵の具でそれを描いたのは明治18年(1885年)10月8日のこと。2階の窓には簾(すだれ)が一面に下がっているように見え、背後にはこんもりとした木々の繁りがあります。敷地を囲む垣根も、また入口の門も至って簡素なもの。ビゴーはその屋敷内の一室で、長椅子に座って着物姿で机に向かい、石版か何かに文字を刻んでいるような書生二人の後姿も描いています。また銅版画で「麹町」という絵も残しています。中央には麹町の通り(現在の「麹町大通り」〔「新宿通り」〕)を赤ん坊を背負って歩く若い母親が描かれ、その背後右手に背の高いガス灯がひときわ目立ちます。通り両側には暖簾を張り出した店蔵の商店がずらりと軒を並べています。ビゴーにとっても、番町や麹町のあたりは、日本においてもっとも馴染みの深い場所であったと思われます。 . . . 本文を読む