鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

北斎・広重の絵に見る「江戸湊」の船 その2

2010-10-11 06:54:40 | Weblog
平出鏗二郎(ひらでこうじろう)によれば、川に浮かぶ船は大きく運送船・通航船・遊船・漁船の四つに分けられる。運送船には、五大力船(ごだいりきぶね)・高瀬船・たん兵衛船・大荷足(おおにたり)・伝馬船(てんまぶね)・茶船・べか伝馬・小荷足(こにたり)・砂利船・土船・肥船・達摩船・水船などがある。通航船には、川蒸気船・渡船・猪牙船(ちょきぶね)などがあり、遊船には、屋形船・しるこぼし(屋形船の小さいもの)・屋根船などがある。漁船としては、釣船・四ツ手船(よつでぶね)・網船・鵜縄船(うなわぶね)・田船・部賀船(べかぶね)・まき船などがあるという。種類を見分ける形状の違いとしては、たとえば「港板(みよし)」の部分。五大力船・大荷足・小荷足・猪牙船・水船・屋形船・屋根船・釣船・四ツ船・まき船などはその「みよし」が突き出ているのに対して、伝馬船・べか伝馬・茶船・砂利船・土船・肥船・達摩船・水船・川蒸気船・渡船・鵜縄船・田船・べか船などは「みよし」が突き出ていない。沖合いに碇泊した弁才船から下ろした積荷の運送(瀬取〔せどり〕)を行うのは、大荷足船、伝馬船、達摩船、荷足船など。高瀬船は川のみを通行するが、五大力船は川も海も航行する。「荷足(にたり)」とは、その形が五大力にも似て、猪牙船にも似ているから「にたり」というらしい。五大力と猪牙とほぼ同じ形で、「にたり」はその中間の大きさということであるようだ。伝馬船や、それに似ているがやや大きい茶船は、向島の花見や両国の夕涼みの頃は遊山船(ゆさんぶね)としても使われたらしい。肥船は一艘につき96樽(48荷)を積み込むことができるという。「葛西辺の農夫ども、都下に糞尿を得て、これに搭載して還(かえ)り、途に販(ひさ)ぐといふ」とあります。達摩船は舷(ふなばた)が高くなっていて浸水しないようになっており、おおむね黒塗であるという。水船は「水売の用ふるものにして、芝・深川辺の飲料水の乏しき地に売るが為めに、道三橋・一石橋辺に流れ落つる上水の余流を汲むで、これを輸すものなり」とある。屋形船を動かす船頭はおおむね5人。一人は舵取で、あとは屋上にのぼって棹をもって漕ぐ。べか船は、浮かべると「へかへか」するからその名があるといい、大森・品川あたりで海苔を採る時に使われる船だとのこと。茶船・伝馬・小荷足は、釣漁の遊びのためにも使用されると記されています。 . . . 本文を読む