鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

ヘンリー・ヒュースケンの見た幕末の江戸 その1

2010-07-23 07:09:35 | Weblog
ヘンリー・ヒュースケン(1832~1861)は、アメリカの駐日総領事(後に公使に昇格)であったタウンゼンド・ハリスの通訳兼書記として活躍したオランダ生まれの青年。彼はオランダ語ばかりか英語やフランス語、そしてドイツ語にも通じ、日米修好通商条約はもちろん、日英修好通商条約の締結にも尽力。さらにプロシア使節オイレンブルクの交渉にも協力するなどしますが、万延元年12月5日(1861年1月15日)の夜、プロシア使節の滞留先である赤羽根接遇所からアメリカ公使館である麻布善福寺に帰る途中、薩摩藩士に襲われて翌日未明に亡くなります。このヒュースケンには、岩波文庫に『ヒュースケン日本日記』(青木枝朗訳)というのがあり、これには1855年10月25日から1861年1月8日、つまり殺害される1週間前までのヒュースケンの日記が収録されています。彼の23歳から28歳までの軌跡を、この日記からうかがうことができるのです。ヒュースケンが、将軍のお膝元である江戸に初めて足を踏み入れたのは、前に触れたように1857年11月30日(安政4年10月14日)。その日の午後4時頃に、九段下牛ヶ淵の蕃書調所に入ったのですが、それから殺害されるまでの約3年余の間に、彼が見た江戸の景観はどういうものであったのか。それを日記を通してみてみることにしたい。 . . . 本文を読む