鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歴史小説『波濤の果て』の第4巻、「中江兆民のフランス」を出版! その2

2008-07-07 05:02:19 | Weblog
M先生には、第1巻より本を送らせて頂きましたが、その度ごとに読後の感想を寄せて下さいました。最初、全8巻の予定だとお知らせした時、「それまで生きていたいが…」と言われたことに感動したことを覚えています。第3巻を送らせて頂いた時、そのわずか数日後にM先生より直接電話がかかって来ました。すぐに目を通して下さったのです。こんなにうれしいことはありませんでした。今年の年賀状にも、「次の作品に期待しています」という旨のコメントが記されていて、私は、これはM先生に会ってお礼を言わなくてはいけないと決意し、正月三が日が過ぎたある日、M先生の東京の自宅を初めて訪れました。M先生とお会いするのはおよそ27年ぶりのことでした。M先生は80代の後半というご高齢ながら、長年の研究成果をまとめられていました。奥さまもご健在でした。今回の新刊書を持っての訪問は、したがって2回目。M先生は、年末までに取り掛かっている原稿を完成させる予定であると言われました(出版は来年)。現在はその4分の3を書き終えたところだとも。その原稿用紙の枚数やなんと1800枚。新刊書を手に取られた先生は、巻末の「主な参考文献」が書かれてある頁を見られて、「丸山真男君の弟子の宮村君の本が出ていないね」と言われました。私はその方の本を読んだ覚えはありましたが、確かに参考文献に挙げていませんでした。M先生がそう言われるということは、その本は、中江兆民に関しての必読文献なのです。いろいろ話を伺ってお暇をし、帰宅してからさっそく書庫から、宮村治雄さんの『開国経験の思想史 兆民と時代精神』を取り出し、精読しました。力作でした。たとえば、「『南海先生』において、われわれは『未来記』としての『フランス革命』に向けられた兆民の不屈の意思とその自在な戦略とを読みとらなければならない。そこにおいてわれわれは、近代日本において初めて『血肉化』された『フランス革命』論の到達を見出しうるからにほかならないから」「『民約訳解』という作品は、『熟復玩味』『潜心玩味』という言葉で彼自身述べているように、ルソーの『社会契約論』への深い沈潜と執拗な対話を通じて生み出されていったもの」「兆民が『討議』や『討論』の可能性に対してかけた期待」「感受性の独立宣言」といった文章は、中でも特に印象的でした。M先生からは、すぐに読後の感想が記された手紙が届きました。 . . . 本文を読む