鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.12月「小田原~箱根湯本」取材旅行・小田原城下 その2

2007-12-17 06:08:20 | Weblog
小田原市立図書館が出した『一枚の古い写真 小田原近代史の光と影』という写真集があります。小田原・箱根・国府津などの古写真を集めて、小田原およびその周辺地域の近代史を振り返ったもの。すでに触れたことがある酒匂川の川渡し(輦台〔れんだい〕渡し)の人足の姿(彼らが担いだ輦台には刀を突き立てた侍たちが乗る)を撮った貴重な写真やベアトが「薬店ういろう」の前から欄干橋町町の町並みや人々を撮った写真。また『ザ・ファー・イースト』紙の1871.12.1号に掲載された、中宿(なかじく)町から欄干橋町方面を写した写真(ここには唐破風屋根を持つ脇本陣虎屋三四郎が写っている)。やはりベアトが写した湯本三枚橋や箱根東海道、また小田原城や国府津駅前、小田原電気鉄道、豆相人車鉄道、熱海軽便(けいべん)鉄道などの貴重な写真がたくさん掲載されています。眺めていると、こういう写真集を持つ地域の人々は幸せだ、とさえ思えてくるし、特に幕末・維新期の風景や人々の姿を、よくぞ写真機という最新の機器で、当時の人々が切り取ってくれたものだ、と感謝の念さえ湧いてきます。小田原城は。明治3年(1870年)11月10日、天守閣を始めとした諸建造物が商人に売却され解体されてしまい、現在の天守閣は、昭和35年(1960年)に市制20周年の記念事業として再建されたコンクリート造りの建物。維新期まで残っていた天守閣は、宝永3年(1706年)に再建された160年以上の歴史を持った建物であったわけですが、その天守閣の姿はどのようなものであったのか。『一枚の古い写真』の記述によると、その天守閣を撮った写真はいまだ発見されていないのだという。 . . . 本文を読む