地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

2026年、『光る君へ』―『べらぼう』―と続く後ですから、大河=戦の昭和男には久々、期待が湧いてくる大河ドラマです

2024-05-04 | Weblog

5月4日(土)                 29/9℃

 

 

「安・近・短」で、昨日は近くの公園へ・・・

 二女F.と絶好の五月晴れを楽しみました

 

 

 

お兄ちゃんの▢〇君は買い換えてもらった新車の自転車、弟の〇◇君はその “おさがり” 

 “おさがり” はいつの時代も下の子の宿命です

男一人だったjiiji は、兄のおさがりの経験はありません

「直ぐ大きくなるから・・・」と服でも、靴でも大きなものを買い与えられましたね~

 

 

 

 

 

 

 

父も、jiiji も、息子も、そのまた息子も  “男一人” 

身近な男兄弟は二女F.だけです

まぁ

じゃれあうこと、じゃれあうこと 

「にには・・・」と何かと不満も漏らす弟ですが、それは兄を頼りにしていることの裏返し・・・

いつまでも仲良くしてほしい!!

唯一の兄弟への、jiiji の願いです

 

 

 

2026年の大河ドラマは、『豊臣兄弟!』にきまったようです 

 

《再来年「大河」の主役・豊臣家の栄光と悲哀 大阪城天守閣の元館長が解き明かす一族の素顔》   (5月3日産経新聞)

「・・・秀頼には国松以外に男児がいたとする史料にも言及している。その男児は徳川家の菩提寺である江戸の増上寺で僧侶となって身を隠し、複雑な思いを抱えながらも晩年は悟りの境地に至ったとしている。北川さんは「大坂夏の陣の後、豊臣家にはさまざまなドラマがあることを、ぜひ知ってほしい」と強調する」

 

豊臣兄弟といえば、異父弟の秀長ですね

偉大な兄に隠れますが、秀吉の天下統一を支えた有能な武将 

惜しむらくは、兄より先に、51歳で亡くなってしまいます

その《人物像》は ☟

 

「秀長は温厚な性格で、秀吉を補佐し、彼の偉業達成に貢献した。また寛仁大度の人物で、よく秀吉の欠点を補った。そのため諸大名は秀長に秀吉へのとりなしを頼み、多くの者がその地位を守ることが出来た。 寺社の多い大和を治めたが、大きな諍いもなかったことから実務能力も高かったと思われ、もし寿命が長ければ、豊臣の天下を永く継続させることができたかもしれないと評価されている」  (ウィキぺディア)

 

 

当方、秀吉よりも秀長ファンです 

それに

2026年、『光る君へ』―『べらぼう』―と続く後ですから、大河=戦の昭和男には久々、期待が湧いてくる大河ドラマです

「名」もなき人から、才覚ひつで駆けあがっていく秀吉・秀長兄弟を観たいですね

 

 

 

 

 

 

 

男兄弟では武田信玄の弟、信繁・・・

永禄4年(1561)の川中島「八幡原」の激戦で戦死しています

信玄には痛手でした

 

(川中島にある、典厩信繁を祀る典厩寺・・・)

 

 

(典厩信繁像と、位牌・・・)

 

 

 

 

謙信ファンですが川中島での「甲越戦」には複雑な気持ち・・・ 

他所からやってくる軍勢の戦場と化して家は焼かれ、田畑は荒らされ、人々は戦に駆り出された被害の地なのです 

 

 

《「川中島合戦」壮大に再現 上杉まつりメインイベントに多くの人 武田信玄役には空手家・角田信朗さん 山形・米沢市》   (5月3日米沢放送)

「・・・山形県米沢市で開催されている上杉まつりは最終日の3日、メインイベントの「川中島合戦」が繰り広げられました。会場には多くの人が詰めかけ、壮大に再現された戦国時代の名場面を堪能しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方は二女の車に乗って中心街へ・・・

個室が予約できる、焼き肉店 

後半連休のjiiji の奮発です

 

 

 

わが家なら庭でBBQですが、マンション住まいではこんなカタチになります

お金は割高でも、買い出しや後片づけもなく、最高!!

帰りは路線バス・・・

連休を感じさせない静けさでした

 

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