「今日は寒いね~」「暖かだね~」と繰り返しているうちに、もうすぐ4月1日。
入園・入学に就職・・・。
新たな人生のスタートです。
住んでいる地域は、昭和34年(1959)4月1日に町としてスタートしました。
3つの村が合併して町制を敷いたのですが、4月1日には50周年を迎えることになります。
その後僅かで長野市と合併し、今では数ある地域の中の「ひとつ」。
かつての町役場は「支所」となり、当初はいくつかの課もあった「支所」の規模は、小さな出先機関・・・。
合併は、行政機構のスリム化や効率化を目的としているのですからそれは当然の帰結で、日常的には特に不都合なことも感じられません。
合併以来2人を送り出してきた地元選出議員も、定数削減で門戸が狭まり今は1人。
まあ、
議員も全体的視野に立って市政を考えられる人材が望まれるわけですから、
地元利益ばかりを代表する「数」の時代は終わりました。
長野市周辺に位置していて、近隣町村が合併していく中で村としての自立を選択し続けているのは上水内郡 小川村 。
どんな村?
役場のHPをみますと、
「小川村は、長野市と白馬のほぼ中間に位置し、雄大な北アルプス連峰を村内各所で眺めることができ、その景観は、「信州の自然百選(景観選)」・「信州サンセットポイント百選」に選ばれています。標高約1, 000mの大洞(おおどう)高原には、レジャー・カルチュアエリア“星と緑のロマントピア”があり、60cm反射望遠鏡をもつ「小川天文台」と「プラネタリウム館」、各部屋から北アルプスを眺められる宿泊施設やレジャー施設もあります。また、信濃三十三番札所巡りの札留所「高山寺」には県宝に指定されている三重塔があり、猫寺伝説で有名な「法蔵寺」など史跡・文化財も数多くあります。ふるさとの味では、有名な「おやき」や「そば」もあります」
・・・と村の紹介があり、
人口的には右肩下がりを続ける中山間地の農村ですが、
「わがおがわ親戚隊」「癒しの郷・村づくり事業」など小さな規模を生かした、
独創的で活きいきとした村づくりの様子が伝わってきます。
地元紙に ↓ こんな記事がありました。
《小川村「ずくだして元気な支援金」新設へ》 (3月4日信濃毎日新聞)
「・・・対象は、観光振興や景観整備など地域活性化や地域の課題解決を目的にした新規事業か拡充事業で、成果が村民に還元される内容。村内に活動拠点を置く団体を補助する」
自主的な村づくりを推進するために、30万円を限度に(連続3年まで可能・額は減額)支援金を交付するそうです。
で、
その予算が 総額500万円 ()
人口は3千3百人余りですから、かなりのウエイトになります。
合併で大規模化した都市の課題としてあるのが、かつての村や町単位での住民自治であり「まちづくり」。
住民自身の参加によって、失われつつある地域の歴史・文化や個性をどのように守り育てていくか?
そのための住民自治組織が全国方々で発足され、財源的な支援も制度化されつつありますが、小川村の場合はとにかく太っ腹!!
うらやましいですね~。
HPの《癒しの郷・村づくりプロジェクト》によれば、
小川村の隠し球 「ずく」「絆」
「小川村の最後の切り札、表からは見えないものですが、いざというとき忽然と現れて自らを救い、小川村を救う、隠れたヒーローが「ずく」です。
これを私たちのバックボーン(背骨・一貫した信念)として位置付け、最後にゃァ「ずく」出せばなんでもできるサ、という自信を持ちましょう。
そして大切しにしたいものは「絆」です。今、失われつつある人と人との絆。その絆にこそ癒しがあるのではと言う予感があります。本州のへそ、小川村。だからこそ、絆を大切にしたいのです」
この「ずく」に「支援金」があれば、それこそ“鬼に金棒”!
自立する小川村と膨張した長野市との違い?
もう一度、住民自治や「まちづくり」のあり様について考え直してみたいと思います。
入園・入学に就職・・・。
新たな人生のスタートです。
住んでいる地域は、昭和34年(1959)4月1日に町としてスタートしました。
3つの村が合併して町制を敷いたのですが、4月1日には50周年を迎えることになります。
その後僅かで長野市と合併し、今では数ある地域の中の「ひとつ」。
かつての町役場は「支所」となり、当初はいくつかの課もあった「支所」の規模は、小さな出先機関・・・。
合併は、行政機構のスリム化や効率化を目的としているのですからそれは当然の帰結で、日常的には特に不都合なことも感じられません。
合併以来2人を送り出してきた地元選出議員も、定数削減で門戸が狭まり今は1人。
まあ、
議員も全体的視野に立って市政を考えられる人材が望まれるわけですから、
地元利益ばかりを代表する「数」の時代は終わりました。
長野市周辺に位置していて、近隣町村が合併していく中で村としての自立を選択し続けているのは上水内郡 小川村 。
どんな村?
役場のHPをみますと、
「小川村は、長野市と白馬のほぼ中間に位置し、雄大な北アルプス連峰を村内各所で眺めることができ、その景観は、「信州の自然百選(景観選)」・「信州サンセットポイント百選」に選ばれています。標高約1, 000mの大洞(おおどう)高原には、レジャー・カルチュアエリア“星と緑のロマントピア”があり、60cm反射望遠鏡をもつ「小川天文台」と「プラネタリウム館」、各部屋から北アルプスを眺められる宿泊施設やレジャー施設もあります。また、信濃三十三番札所巡りの札留所「高山寺」には県宝に指定されている三重塔があり、猫寺伝説で有名な「法蔵寺」など史跡・文化財も数多くあります。ふるさとの味では、有名な「おやき」や「そば」もあります」
・・・と村の紹介があり、
人口的には右肩下がりを続ける中山間地の農村ですが、
「わがおがわ親戚隊」「癒しの郷・村づくり事業」など小さな規模を生かした、
独創的で活きいきとした村づくりの様子が伝わってきます。
地元紙に ↓ こんな記事がありました。
《小川村「ずくだして元気な支援金」新設へ》 (3月4日信濃毎日新聞)
「・・・対象は、観光振興や景観整備など地域活性化や地域の課題解決を目的にした新規事業か拡充事業で、成果が村民に還元される内容。村内に活動拠点を置く団体を補助する」
自主的な村づくりを推進するために、30万円を限度に(連続3年まで可能・額は減額)支援金を交付するそうです。
で、
その予算が 総額500万円 ()
人口は3千3百人余りですから、かなりのウエイトになります。
合併で大規模化した都市の課題としてあるのが、かつての村や町単位での住民自治であり「まちづくり」。
住民自身の参加によって、失われつつある地域の歴史・文化や個性をどのように守り育てていくか?
そのための住民自治組織が全国方々で発足され、財源的な支援も制度化されつつありますが、小川村の場合はとにかく太っ腹!!
うらやましいですね~。
HPの《癒しの郷・村づくりプロジェクト》によれば、
小川村の隠し球 「ずく」「絆」
「小川村の最後の切り札、表からは見えないものですが、いざというとき忽然と現れて自らを救い、小川村を救う、隠れたヒーローが「ずく」です。
これを私たちのバックボーン(背骨・一貫した信念)として位置付け、最後にゃァ「ずく」出せばなんでもできるサ、という自信を持ちましょう。
そして大切しにしたいものは「絆」です。今、失われつつある人と人との絆。その絆にこそ癒しがあるのではと言う予感があります。本州のへそ、小川村。だからこそ、絆を大切にしたいのです」
この「ずく」に「支援金」があれば、それこそ“鬼に金棒”!
自立する小川村と膨張した長野市との違い?
もう一度、住民自治や「まちづくり」のあり様について考え直してみたいと思います。