今夜も本をまくらに。

山歩きが好き、落語が好き、おいしい物が好き、中島みゆきが好き、
でもやっぱり活字がなければ生きていけない私。

ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡

2023年11月22日 | 「本」のひきだし

ブクログより




日本最大のダムを作るために沈んでしまった岐阜県徳山村。

岐阜県の西より、滋賀県と福井県の境にある徳山村の最も奥にある門入(かどにゅう)地区が本書の舞台で、隣の坂内村や川上地区につながる峠がホハレ峠、物資の流通や交流が行われた険しい山道だ。

同じ岐阜県出身の作者は、徳山ダムの話は小学生頃から聞いていて、カメラマンを志しいつしかその記録を残したいと思うようになり、東京から徳山村まで通い詰めた。

門入は徳山村の八集落あるうちの唯一水没を免れた地域で、昭和の末頃まで34世帯約百人が暮らしていたが、ダム建設によって危険区域となり移転を余儀なくされ、集落の人々は徐々に近隣の町に引っ越していった。

そんな廃村になっ4年目(1991年)門入を訪れた著者は数人のお年寄りが暮らしていることを知った。
村には店もない、電気やガスや水道もない、通信手段もない、母屋は契約時に壊してしまったから掘っ立て小屋を建てて、そんな状態で暮らし続ける人たちがいた。

不便を感じるどころか、「こんなええとこ、独り占めしていいんかな」と大笑いしていたという。
水は川で汲んで、畑で野菜を作り、木の実や山菜をとり、まさに自然と寄り添いながら、食べるためだけに体を動かすという生活。
原始に戻るというか、自然に逆らわない生活。
 
そんな中で作者は、廣瀬ゆきえさんという一人のおばあちゃんと出会い、廣瀬さんのそれまでの足跡をたどり始める。
廣瀬ゆきえさんの一代記ともいえる物語だ。門入住人、最後となった人だ。
そんなゆきえさんに寄り添い、記録に残し続けた作者はもはや家族同然。

栃の実のあく抜きや、自然薯堀など、貴重な体験をしたり、季節季節の山菜料理をお腹いっぱい食べさせてもらったり。
そんなことばかりしていたのかというと、ちゃんと仕事もしていて、ゆきえさんの生い立ちをたどっていくうち、なんと北海道の開拓という話が出てきて、北海道にも何度も足を運び、ご先祖のルーツを調べ上げた。
徳山村の人たちは、昔、北海道の開拓のために大勢移住して今もゆかりの人たちが暮らしている。
そして徳山村を途絶えさせないための、昔からの縁組の仕方など、岐阜と遠い北海道とが、巧みにつながっているその仕組みが面白いように明かされる。
たまたまダム建設のために廃村に追いやられてしまった住人の一人であった廣瀬ゆきえさん、その波乱万丈の一生は、作者によって見事に記録された。

実は、この徳山ダムを見ながら、福井の県境に向かうと、冠山とか、金草山があり、その山に登るため、徳山ダムは知っていました。
そのダムにこんな物語があったとは・・・
今でも、門入を訪れる人たちがいます。山歩きの延長だったり、探検と称して。
機会があれば行ってみたいです。



ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡 / 大西暢夫

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