唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変  受倶門・重解六位心所(47) 別境・五受分別門

2013-04-15 21:46:28 | 心の構造について

 第三能変 別境 第五 ・ 五受分別門 その (1)
   

 「此の別境の五は何れの受と相応するや 」(『論』第五・三十四左)
 

 別境の五の心所は五受(楽・喜・苦・憂・捨)の中、どの受と相応するのかが問われます。

 「論。此別境五何受相應 述曰。此下第五問也」(『述記』第六本上・二十七右。大正43・433a)

  (「述して曰く。此の下は第五に問うなり」)
 

 「有義は欲は三なり。憂と苦との受をば除く。彼の二の境は所楽に非ざるが故に」(『論』第五・三十四左)

 「論。有義欲三至非所樂故 述曰。欲通三受倶。除憂・苦二。以此二境是逼迫法方生憂・苦。欲縁所樂故非二受倶。又五識中無此等五。欲非苦倶。受如前説。」(『述記』第六本上・二十七右。大正43・433a)

 (「述して曰く。欲は通じて三受と倶なり。憂苦の二を除く。此の二境は是れ逼迫の法にして方に憂・苦を生ずるを以て。欲は所楽を縁ずるが故に。二の受と倶に非ず。又五識の中には此れ等の五無ければ、欲は倶に非ず。受は前に説くが如し」)
 

 第六意識に於いて、欲は楽と喜と捨の三受と相応し、憂・苦は逼迫の法であるので相応しない。即ち、願い求めるような対象ではないからである。五受中の憂受と苦受は逼迫の感受であるので、欲の対象とはならないから相応しないという、それは欲は所楽を対象としているからである。又、五識には、別境の五は相応しないと説かれている。 

 「余の四は四に通ず。唯苦受をば除く。審決等は五識になきを以ての故に」(『論』第五・三十四左)

 「論。餘四通四至五識無故 述曰。餘四通四受除苦。勝解等四五識無故。亦非意地有苦根也。前第一師意中無苦。五無欲等之師義也。」(『述記』第六本上・二十七右。大正43・433a)

 
 (「述曰。余の四は四受に通ず。苦を除いて勝解等の四は五識になきが故に。亦意地に苦根有るに非ずなり。前の第一師の意の中に苦無く、五欲等無きの師の義なり」)

 余の四、即ち、勝解・念・定・慧の四つの心所と五受の関係が述べられます。四受に通ずと。楽・喜・憂・捨の四受に通じ、苦受のみ除くと。何故ならば、審決等(勝解・念・定・慧)は五識に存在しないからである。

 ここまでが第一師の説ですが、『述記』等にはこれが誰を指すのかの記述は有りませんので不明です。これまでの流れから行きますと、安慧ではないかと思われますが定かではありません。