漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

なにしよっかな〜

2022-12-30 01:05:00 | 長すぎ

2022/12/29


2年間髪をきることができなくなった3年の藤原です。

ま、髪の毛を整えるために美容院に行くことはあります。


ちなみに今は宮城県仙台市にて書いてます。写真は、仙台にある今回泊まるゲストハウスの前にて。

今日は父と日帰りスキーに新潟に行く予定でしたが、父は自宅から、私は寮からということで、まさかのお寝坊をしてしまい、起きたときにはスキー場についてもスキーが滑れないことが発覚しました。


うわーと思いつつ、父はスキーを楽しみにしていたので、父1人いってらっしゃい!

ということになりました。お父さん、ごめんね。


ちなみにスキー場には青春18切符を使う予定でしたので、手元にはそれがありました。

寝ぼけながら、スキーする時間はないけど、どこかひたすら遠くまでなら行けるんじゃね?と思い立ち、とりあえず、Googleマップで調べたら、福島県の文字が目に。

自転車旅をするとき、標識に福島が出てくるものの、毎回栃木止まりで折り返しだったので、なんていうか福島を越えるのは小さな夢でした。


というわけで、福島に行こうとも思いましたが、もうちょっといけね?ということで、もうさらに遠くの宮城県仙台にしたということです。


最初は日帰りで考えていましたがせっかくならと思い、宿を探し、1泊3900円のゲストハウスを見つけました。

即!予約して、スキーの準備をしたバッグの中身を総入れ替えして出発〜!


さて、前置きが長くなりましたが、ここからは本題に入ります。


今日も今日とて自分日記を書きたいと思います。


最近、休学しようと思ってます。留学とかではなく、世界で起こっていることを生で見るために。


以前絶対的貧困(1日の収入が約2ドル以下)について書いたことがありますが、生で見ないで何がわかるでしょうか。

調べて思ったことを書いてみましたが、絶対的貧困の状況にあったとしても、その人たちが辛いと思っているとも限らないということもあります。なぜなら、それ以外の生活を知らないから。だから、どれだけ「絶対的貧困をなくしたい!」と思っていても、彼ら、彼女らのニーズに合わなければ、たとえ農具を支援したところで、意味はありません。むしろ、寄付金の無駄遣いになってしまいますね。

多分こういう、自己満で支援していると思い込んでいる事って世の中でたくさんあるんじゃないでしょうかね。

だからこそ、生で見ることって必要だと思います。それも今すぐに。

会社に入って、一息してからじゃ遅いと思った次第です。

将来は、必ずなにかしらの形で日本を含めた国際協力に携わると決めているので、少しでも早く知りたいと思っています。


ところで、北欧をはじめとした海外ではgap yearというものがあり、大学入学前、在学中、卒業前などに1年間ほどの猶予を作って世界でボランティアに参加するというものがあります。それが主流って羨ましい。

日本では、最近少しずつ休学する人も増えてきて、休学費も安くなりつつありますが、まだまだ少ないのかなとも思います。


学生という身分でありながら、たくさんの経験ができる休学という選択肢、私は選ばない理由がありません。

ほかのみんなが選ばない理由もわかりません。

とは言いつつ、こないだ某新聞記者の方にキャリア相談をする機会がありましたが、その時にいただいたアドバイスは

「休学の選択肢は素晴らしい。でも、就活もしてほしい、した方が良い。選択肢は常にたくさんもって、その上で比較、検討しよう」ということでした。


そう!私は休学の選択肢に、逆に囚われすぎて、就活はしなくて良いと勝手に頭で変換していたのです。


もちろん就活をした方が良いと思っていた時期もありましたが、別に行かないのにやる必要ないなーって思っちゃって。


就活で、嘘をつく必要はなくて、自分のやりたいことと思ったことを正直に話す。そしてそれを続けることで、磨かれていくということでした。


だから、遅めにはなりましたが、就活もしようと決めました。


ちなみに、休学して今やろうと思っている選択肢は3つ。


1.栃木県にある、アジア学院という場所でボランティア。ここでは、農業や畜産業を多国籍のメンバーでコミュニティを形成しながら営む。

https://ari-edu.org/


2.JICAの運営している、青年海外協力隊の短期派遣型プログラムに参加。配属はまだ要綱が出ていないのでわかりませんが、今のところ青年活動という分野に行こうと思っています。


3.東南アジア、南米などを欲を言えば自転車で横断しながら、現地の人と交流。


ほかのNGOのインターンやボランティアに行く可能性もありますが、有力候補は上記3つです。

ちなみに、がんばれば全部できるはずなので、ぜんぶやりたいです。


そして最近気づいたことがあります。


それは、どんな選択を取って、どんな失敗をしたとしても、今いる家族、友達、応援してくれる人がこの世から急にいなくなることがない限りは、どんな結果になろうと良いということです。


JICAのプロフェッショナルの人は、

「どこでなにをやるということも大事だが、どこにいても、『誰とやるのか』が特に大事」と言いました。


つまるところ、つまりすぎてますが、人生は最高ということですね。


どんなに辛いことがあっても、この精神は忘れずに。これは、私以外の読んでいただいてる皆さまにも共通していると思います。


私も朝起きて、くっそ楽しい1日がはじまった!!!とは、正直思えていません。でも、起きて誰かと話すときにはそう思えるようにと思ってます。


長友は、今までネガティブをポジティブに捉えることを意識的に行なっていたのが、ワールドカップを経て、自然的にその発想に至ったと話していました。


この域に達せられるように、どんなことも、何があってもポジティブにとらえることを続けていきます。


今日お話したかったことは、

①休学したいけどそれ以外の選択肢(就活をはじめとして)も本気で取り組む。

②どんな選択をしても最高って思えるには、仲間が必要。

③常に前向きに。


この3点ですね。


ちなみに、書いている途中で時間が過ぎてしまいました。更新遅れ、すみません。


次は、夜にひな祭りの、(灯りをつけましょ...)を歌い始めて、酔ってるねえと声かけたら、お酒は飲んでいなかったという、シラフで酔っ払っていた、和気です。


おねがいしまーす。


ラクロス部からボート部へ

2021-08-08 21:30:00 | 長すぎ

栗山くんから紹介があったようにラクロス部からきた藤原です。初のブログですので、今回はボート部に転部した経緯を書こうと思います。長くなりますが読んでいただけたら幸いです。

初めてボート部を知ったのは、昨年の6月ごろにあった体育会対抗オンライン筋トレバトルでした。このとき、ラクロス部とボート部は対戦したので少しボート部の雰囲気を知るきっかけになったと思います。

(このときに、まさか1年後ボート部に入るなんて夢にも思っていませんでしたが笑笑)


時は経って今年の4月、私はラクロス部の友達とゼミの友達合わせて4人で新座キャンパスで新歓に回っていました。このときの目的は、ラクロス部は兼サーできるということでどこか良さそうなサークルがないかなあって探すことでした。

1号館のキャンパスの中でサークルの話を聞いた後、「もういっかー」って感じで外に出ると「ちょっと君たちぃぃ!」と陽気な人たちに話しかけられました。

それが、実は3年生の千晴さんと兼三さんなんですね。

「うわー体育会に話しかけられちゃった」

って思いで、新歓されました。

ラクロス部に所属してることはボート部の人たちには言わず、なににも入ってないと思われていたので、その新歓の熱さが尋常ではありませんでした。

2年生からでも全然間に合うから!」とか

「寮だから毎日がお泊まりみたいで楽しいよ!!」とか色々言われました。

でもその話し方はすごく楽しそうだったし、正直胸が熱くなりました。

自分だけじゃなくて、ラクロス部の他の友達も「去年この新歓されてたらボート部入ってたかも」など言ってたんで、やっぱそれだけいい話が聞けたってことなんですよね。


ちなみにそのときの話をもう少し話すと、

試乗会の連絡とかもしたいから「LINE交換しよ」って言われたので、ノリで交換しました。でもすぐに「やっベー」ってなりました。実は、プロフィール画像をラクロスの写真にしてたので、速攻で替えました。


話は戻すと、

ボート部も楽しそうとは思いましたが、自分はラクロス部の身、他の体育会に転部するなど、考えたこともありませんでした。

ただ、転部することは考えたことがありませんでしたが、実は、ラクロス部を4年間続けることの想像もできていませんでした。

というのも、かなり前からいつか辞めちゃうかもって思っていたんですね。

自主練の壁当ては楽しかったので誰よりも練習して(壁当ての時間に関しては日本一やったくらいの自信があります笑)、その分上手くもなりました。壁当ては今も好きでよくやるんですが、ラクロスに未練があるわけではないのでご理解いただけると嬉しいです笑ラクロスにはクロスワークというものが存在します。簡単にいうと、スティックとボールの親密性という意味ですかね。(自分なりの解釈)ちょっとわかりづらいかもしれませんが、このクロスワークが高ければ高いほどプレーの幅も広がるってことになります。

このクロスワークはすごく磨いたし、周りも認めてくれてました。それでも、ラクロスの競技自体を楽しいと思えたことがあんまりありませんでした。

要は、私は、ただボールをスティックで扱うっていう単純なことが好きだったんですよね。これに気づいたのは、大体去年の1011月頃。ラクロス部の1番仲良いやつにも「今すぐとかじゃないけど俺いつか辞めるかも」って話してました。

今年の3月くらいには新人戦もあり、関東大会優勝もしました。

でもコロナの緊急事態宣言の関係で練習に行けていなかった自分は、ポジションがゴーリー(キーパー)って事もあってもちろん試合には出れませんでした。

出れないのは悔しいと思いはしましたが、1人で技を磨くことが好きだった自分は、自分が出なくても勝てるんだし、「試合に出たい!」って強く思うこともありませんでした。負け惜しみなのかもしれませんが、悔しい気持ちより、試合に出てないのに関東一になったことを親とか友達とかに言っていいのかなって思いの方が強かったです。

その変な感情をなくすために、インスタでは優勝の投稿をしていつか納得いくことをしたいって思っていました。

最初はベンチだったけど、最後はスタメンで頑張った!めでたしめでたし。としたかったところではありますが、新人戦のあと練習や練習試合をやってもやっぱりラクロスの面白さは自分にはわかりかねました。

そのときは、ラクロスをやめると同時に休学して海外を放浪するなども考えたことはありましたが、それはさすがに厳しい、、


長々と書いてしまいましたが、こんな風に考えてるときのボート部の新歓だったのでそれもあって新歓の言葉はかなり胸に刺さりました。


それでも、新歓を受けて数日は転部などあり得ないって思っていました。でも、新歓のときに交換したLINEでとても熱い言葉が送られてくるんですよね。

こんなときに、母と姉と外食をしに行きました。そしてボート部に新歓された話をしました。親に話してなんと言われるかなって思ったら、意外にも「いいじゃん」と前向きでした。というより、私より「寮生活楽しそう!」とか言われました。


そこから私も真剣にボート部に入るのもありなのかなって思うようになりました。


ちょっとしてから、新歓してくれた千晴さんに「実はラクロス部だったんですけど、ラクロス部辞めてボート部に入ろうかなって思います。今度体験に行ってもいいですか?」とLINEで伝えました。嘘をついてたのでめちゃくちゃ謝罪もしました、笑

でも、そんな私に千晴さんは「是非!」というように快く受け入れてくださいました。

日立明三大学レガッタの関係で体験会に行くと決まってから2週間の時間がありました。

このとき私は、地元でずっとラクロスを練習してきた友達に相談することになります。


自分:「俺さボート部の体験会行くことにした。ほんとにラクロス辞めちゃうかもしれねーわ」

T君:「まじか。結構寂しいな。でもボートの感じ拓也に向いてそうだわ。」

この友達は去年知り合ったばかりですが、ずっと練習をしているうちに唯一無二の存在になった人です。この友達の「向いてそう」って言葉で体験会に行く前から90%くらいでボート部に入ろうって決めることになります。


そして、体験会当日。


千晴さんはとても快く受け入れてくださいましたが、ラクロス部と偽っていたのはとても罪深かったので、駅から艇庫までの道中、オレンジジュースを謝罪の意味で渡しましたが、とても笑われました笑笑


艇庫に着いてから、エイトに試乗させていただきました。水上のスピード感がたまらなかったです。「ほんとにボート部きちゃった」ってそのときに実感しました。

試乗会の後は、船の説明や、エルゴの説明をしていただきました。その時教えていただいたのが、野間さんです。野間さんがひくエルゴはとても楽しそうに見えました。


帰り際には、ボート部の真面目な様子を聞いたりしました。

この日の体験会でもう入部は確定することになります。


その後、ラクロス部を辞める旨を監督を始め幹部に話すことになりますが、応援していただいた人がとても多かったです。しかし、もう少し考えてほしいとも言われました。

その結果、一時期ラクロス部とボート部を兼部する期間がありました。

とてもハードではありましたが、誰もやってないことをするのが好きな自分にとって貴重な経験になったと思います。


ボート部の練習は、初日大回り一周でしたが、それはたまたま超楽な日で、兼部の最終日は新歓サーキットという人生で1番きついメニューと感じましたね笑


きついメニューをひたすら頑張る1年生には心を打たれましたし、自分も頑張ろうって強く思いました。

また、練習後のご飯はとても美味しく、このご飯が毎日食べれることがいいなって思いました。

そして、兼部の期間が終わり、いよいよ正式にラクロス部を辞め、ボート部に入部するようになります。

ラクロス部の主将には、

「拓也は退部じゃなくて引退だとみんな思ってるよ」って言ってくれました。

ラクロス部の皆さんにも応援していただいてることを実感した言葉でした。

ラクロス部の応援と、ボート部が快く受け入れていただいたおかげで今の生活ができていることをとても感謝しています。


親やラクロス部、地元の友達が背中を押してくれたこと、そしてボートの競技性(ひたすら同じことを繰り返す究極なところは私がやっていた壁当てに似ていました。)、またボート部の優しさに私は惹かれて入部しました。


最後にラクロス部で学び、ボート部に生かせることを書きたいと思います。

ラクロス部では学生コーチによって言語化を強く意識させられました。

今はそのおかげで、自分なりにフィードバックできるようになりましたし、それによってフォームもかなり改善されているように思います。もちろんアドバイスをいただいてわかることが多いですが、自分で考えるきっかけになったのは学生コーチのおかげですし、それをボートでもずっと続けていきます。


さまざまな人の応援があって今があることを忘れずに、ボートで結果を残せる漕手になります!


最後まで読んでいただきありがとうございました。

次は、陽気なように見えて実は繊細、最近の友達はウクレレの和気くんです。楽しみにしててください。






法学部生のマネな1日。 2年加藤

2020-03-29 11:44:00 | 長すぎ

こんにちは🌞 

3年加藤稜己です。

僕は法学部に所属しています。そして今はマネージャーさんの代わりにご飯を作っています。

まずは僕のマネな1日を紹介します。

炊飯器のスイッチを押す所からスタート→配膳

朝食後

朝練のビデオを撮る

ビデオ後

寝て昼食を食べて寝る

夕方

夜飯作り、明日の朝食作り

夜飯後

炊飯準備、タオル消毒

最近はざっとこんな感じで過ごしております。昼に寝まくっているのはマネな1日ではありませんね。すみません。漕手もお昼ご飯を作ってくれたり、艇庫の消毒をしてくれたりしています。段々と食事を作ることにも慣れてきて、全員で上手く分担しながらできるようにもなりました。個人的にも、一気に40人分のご飯を作る機会はここでしか味わえないことであり、楽しみながらやっています。

普段はマネージャーさんがやってくれていることを自分たちでやると、その凄さに気づかされます。他にも沢山の仕事をしてくれていると考えると凄すぎますね。

僕もトレーナーとして漕手を支える側であり、立場的にはマネージャーさんと同じですが、マネージャーさんが当たり前のようにしてくれていることがこんなにも大変だということは知りませんでした。やはりボート部にはマネージャーさんが必要不可欠だと改めて実感しました。そう思うと同時に、できるだけ多くの新入生にボート部に来て欲しいとも思いました。最後の学生生活という貴重な時間を、同じ目標を持って一緒に過ごせる仲間が1人でも増えればいいなぁーと思います。


新入生と言えば履修登録ですね。

僕も1年生の時には、ボート部の先輩に履修を組んでいただきました。12年生の時は3卒だけを目標にして取得できる単位の上限まで履修登録し、ありがたい事に全て取ることができました。

しかし、3年生になるにあたって卒業を意識し始め、ふり返ると何となく自分の中で授業をテストのためにこなしていた感覚があります。授業も聞いているようで聞いていない、何となく聞いてここはテストにでそうだなぁーと自分で予想してそこを勉強する、そんな感じで2年間を過ごしました。その結果、何も得られていないそんな感じに陥っています。

法学部で学ぶ意義とは何かと考えても正直よくわかりません。ただ、法学部で授業を受ければ受けるほど、法律が自分の権利、第三者の権利を守ることができるモノで、社会において幸福の確保を可能にしていると強く思うようになりました。そう思うことで、日々報道されるニュースの捉え方もかなり変わったなぁーと自分では思います。個人的には、捉え方が変わったことで自分が将来関わりたいことも少しずつ具体的になってきました。具体的となった今、こなすを卒業してあと2年の法学部での学生生活で得られるものを十分すぎるくらいに得たいと思います。そのために、まずはいい感じの履修を組みます!


まとめれば、ボート部はとても最高な場所ということになります。(池袋キャンパスの隣にある「セントポールの隣り(通称:セントナ)」も最高です。


支離滅裂な長文失礼しました。