魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

鼻の漫豪

2024年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

鳥山明がなくなった。氏のデビュー頃から、日本のマンガ文化の絶頂期が始まったと言えるだろう。マンガで育った世代ながら、この頃からマンガもアニメもあまり熱心に読まなくなった。

よく解らないが、70年代以前が万葉集時代だとすれば、80年代以後は古今集の時代のような気がする。マンガ万葉集時代は成長期で、あらゆる方法が試され、決して、美しくはなかったが、何でもありの高揚感があった。次々と現れる手法そのものに驚き、興奮し魅了された。
ところが、少女マンガの隆盛とともに、画風も手法も完成し様式化し、語法よりもストーリーや語り口が注目されるようになってきた。平安の国風文化のように、世界に比類無き日本文化が完成し、鳥山明もまさにその象徴のような存在だった。

今では素晴らしいと思うが、初めてアラレちゃんを見た時は、強烈な拒否感があった。つまりはそれが個性なのだが、それ以前のマンガが何とか生命描写を試みているのに対し、完全に居直った無機質のピクトグラムのような人物画だった。
しかし、それが訴求力であることもまた理解できた。要するに、ある種の革命に対する衝撃だった。鳥山明は牡羊座で人生の目的は天秤座の”美”だが、結局は牡羊座の”戦い”『ドラゴンボール』で名を残すことになった。

世代交代がおこると、アニメ界でも初めは生命感で描いていた宮崎駿のような人も、様式化していった。そして、少女マンガの美しい様式美が、真逆ではあるが、引目鉤鼻のように何十年か続いてきた。この流れで言えば、進撃の巨人やキングダムは、いよいよ鎌倉美術のような変質が始まっているのかも知れない。

作家の体力
マンガ万葉集時代の聖である手塚治虫も、古今集時代の六歌仙の鳥山明も、鼻に特徴がある。丸くズッシリと存在感があり、アニメの新海誠もこれに類する。作家では松本清張も同類だ。鼻の大きさは自我の強さに比例するが、尖った鼻はアイデアをすぐ口に出すので小賢しさが目立つ。丸い鼻は口ではなく手で語る。作家向きだ。
鼻の大きさは体力も表すので、本来なら長生きだが、人気漫画家、漫豪は追われて絵を描く分だけ、文豪より体力消耗が激しいのだろう。
手塚治虫60歳、鳥山明68歳。松本清張は82歳だったが何もしなければもっと長生きしただろうが、あの鼻ではジッとしてはいられなかったのだろう。


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