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精神世界の扉

私は今までいろいろな葛藤や思いを抱えて生きてきましたがいつが一番苦しかったかというと正直思い出せないのです。
それは人間とは不思議なもので過去の記憶を時間がたつことにより緩和したり、美化したり、はたまたあまりにも苦しかった故に記憶の奥底においやったりすることができるからです。

でも今の自分が過去の自分を考えた時にその感覚のズレに違和感を憶えます。
それはその後の答えを知っているからこそ感じることです。逆に言えば結果がわからないからこそ、その先がみえないからこそ、生きるか死ぬかの思いで悩んできたといえるでしょう。

もし、すべてがわかっていたらこんなに血の涙を流すかのように苦労しなかったのに。
眠れない日々や身体に冷たい電気がはしるような不安感からも解放されていただろうに。
あの時、誰かが答えを教えてくれていれば病気になるような因子を自分の心身に抱えずにすんだだろうに。

生きることの苦しみの原因はほとんどここにあります。生きることの答えはその時その時を生きる自分自身に決定権があり、その自分は不安や孤独、恐れや恐怖を抱えていながらその上で自分の生きる道を選択しなければならず、まるでテレビゲームを画面をみながらこなす第三者的な立場からではこの世では生きられないのです。

バーチャルな技術がこれから進化したとしても行きつくところは精神性の限界です。人生の答えを近道をして知ろうとしても結局は得られるべき精神世界の境地にはたどり着けないのです。

生きることがこんなに苦しいなんて知らなかったと思っている人は精神世界の扉をひとつづつ着実に開けているといえるでしょう。
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