非国民通信

ノーモア・コイズミ

シリーズ・バブル以降 第二章

2009-11-13 22:47:29 | 非国民通信社社説

 第一章では自民党と民主党、そして左派にすら共通する経済認識を検討してきました。すなわち「経済成長の否定」であり、成長しない経済(=増えないパイ)をいかに分け合うか、という領域内での論議はあっても、パイを増やすことには考えが及ばない、それがバブル以降の特徴でもあったわけです。そうして世界経済から取り残されてきた、経済成長を続ける中国など「お客様」の購買意欲次第(=外需頼み)の産業構造が形成され、内需主導云々と語りつつもモノの行き渡った社会で頑なに製造業にしがみつく、そんな支離滅裂な状態が続いています。

参考、内需が回復しないワケ

 そこで今回はもう一つ、自民党と民主党、そして左派にまで共通するポイントを考えてみましょう。経済右派にせよ経済左派にせよ、「いかに分配するか」を巡っては意見が分かれるものの経済成長に否定的である点では実は意見が一致していたわけです。ともすると対立しているようで、その実は同じ立脚点に座しているケースは意外にあるのかも知れません。そして主流はたる右派と生半可な左派で合意できている部分こそ、治療されざる真の病巣だったりするのではないかと(この辺は経済関係に限らない気がします、例えば官僚/公務員叩きなんか左右双方から歓迎されがちですけれど……)。

 「中小企業を守ろうとする」点では、概ね意見が一致しているのではないでしょうか。ともすると経済右派、新自由主義者、構造改革論者は中小企業を「いじめ」てきたかのように語られがちですが、それは一面的に過ぎる気もします。確かに市場原理は中小企業に厳しい、その市場原理主義に傾きがちな点では大企業寄りに見えるかも知れません、ただ「日本式」新自由主義を掲げてきた構造改革論者には別の側面もあるはずです。例えばそう、最低賃金の引き上げや規制緩和の見直しを巡る論議の中では、特にはっきりしてくるのではないでしょうか。

 つまり共産党であれば最低賃金を1000円以上に、民主党ですら「大幅に」引き上げるべきと主張しているわけですが、これに反対する根拠として構造改革論者が持ち出してくるものを思い出してください。彼らは最低賃金の引き上げに反対する根拠として、中小企業の経営を持ち出してきたはずです。最低賃金を引き上げたら中小企業の経営が立ちゆかなくなる、中小企業をつぶすようなことは絶対に避けるべきだ、そう主張するのもまた構造改革論者、新自由主義者なのです。改革論者だって、中小企業を守りたがることに関しては変わりがないようです。

低賃金を前提にした産業は日本から出て行け 産業の空洞化など恐れるに足りぬ - Munchener Brucke

規制緩和を是とする構造改革論者は、規制によって本来淘汰されるような企業や産業が温存され、それが日本の競争力を弱めると言う。しかし低賃金労働者を利用することによって本来淘汰されるべき企業や産業が温存されることについては無批判である。

 鳩山首相は先の所信表明演説で小泉構造改革路線を「経済合理性を追求する発想」と呼びました。小泉改革の「結果」のどこに合理性があるのか私には何一つとして見つけ出すことができないのですが、世間一般の感覚としてはそうなのかも知れません。しかし経済合理性を追求するのであれば、それを阻害する要因を排せねばならなかったのではないでしょうか。つまり、まともな採算性がない企業、国際云々ではなく国内レベルで競争力のない企業、低賃金労働者を絞り上げることでしか利益を上げられないような企業は日本の産業界にとって紛れもない「お荷物」であり、そうした不採算企業を淘汰して優良企業に集約していかない限り、経済合理性など絵空事に過ぎないはずです。

 しかるに経済合理性を追求したことになっている構造改革路線においては、1000円程度の時給すら支払う能力のない不良企業が延命できるよう、そして継続して労働者を雇用できる能力のない不良企業が存続できるよう、規制緩和が続けられてきたわけであり、その見直しにも断固として反対の声が上げられているわけです。たぶん彼らにとって大事なのは日本の産業構造を変えること(不採算企業を淘汰して企業社会の合理化を進めること)ではなかったのでしょう。

 付け加えるなら構造改革論者は中小企業の経営を心配すると同時に、中小企業勤務者の雇用も人質に取ります。最低賃金を引き上げ派遣規制を見直せば中小企業経営が立ちゆかなくなる、結果として中小企業勤務者の雇用も失われ云々と。ふむ、「痛みを伴う構造改革」を支持してきたのであれば、それこそ改革に伴う「痛み」として肯定的に評価しないと筋が通らないと思いますが、しかし実際はどうなのでしょうか。「普通の」国では社会保障の拡充や公共部門の雇用拡大によって改革に伴う「痛み」を押しつけないよう手配してきたものですが、日本では「痛み」を脅しに使うのが主流のようです。そして「痛み」を脅しに使って改革(=低賃金/非正規労働に依存する欠陥企業の淘汰)に待ったをかけるのが日本の構造改革だとしたら、その真の意図はどこにあるのでしょうか? 消去法で考えるなら、残るのは「低賃金で労働者を使い捨てにできる社会を維持すること」ぐらい……

 さて、以上は「右」に属する人々の考え方を見てきたわけですが、では「左」に分類されがちな人々の場合を検討してみましょう。経済右派は基本的に中小企業に甘いにせよ、部分的には厳しい面もある、一方で左派は「全面的に」中小企業に肩入れしているのかも知れません。それは右派に対する反動もあるのでしょうか、ただ少なからず、中小企業への肩入れによって見落としている部分、矛盾を生じさせている部分も目立つような気がします。

 日本の最低賃金が先進国中では格段に低いのは周知のことと思いますが、同様に中小企業の数が多い、中小企業勤務者の割合が高いのも日本の特徴です。しかるに大企業の手になる労働環境の破壊には一定の社会的関心がある一方で、中小企業による同様の行為にはあまり注目が集まっていないのではないでしょうか。たしかに誰もが知っている有名企業と、「何それ?」みたいな無名の中小企業ではニュースバリューにも雲泥の差はあるのでしょうけれど。

参考、中小企業だって負けちゃいません

 言うまでもなく、労働者を使い捨てにするのも労働規制を無視するのも大企業に限ったことではありません。むしろ中小企業の方が労務管理が蔑ろにされ、かつ体面を気にしないだけタチの悪い雇用主が多いはずです。そのはずが、大企業の横暴は糾弾されても中小企業のそれには及ばないのは何故でしょうか。同じ労働者に対する搾取者であるなら、正規雇用にせよ非正規雇用にせよ相対的に低い賃金しか支払おうとしない中小企業の方が、よほど非難に値するはずなのに。

 しばしば優劣は善悪に置き換えられるもので、強い企業(大企業)=悪、弱い企業(中小企業)=善、そういう倒錯した捉え方も幅を利かせているのかも知れません。弱い個人を守るのと同じノリで弱い法人をも守ろうと考えている人が多いのではないでしょうか。実は最悪の雇用主を延命させているだけということに気づかないまま!

 あるいは、「下請け」というマジックワードで、中小企業そのものに課せられるべき責をなんとかして大企業に転嫁しようとする人もいます。中小企業が労働者を搾取しロクな賃金を支払わないのは大元となる大企業が下請け会社に対する支払いを渋っているからだ――なるほど一応の筋は通りそうです。しかし、中小企業の内で本当の下請け企業はどの程度存在するのでしょうか。もちろん下請け企業が存在しないわけではありませんが、中小企業=下請け企業という認識が完全な誤りであることは言うまでもないでしょう。むしろ下請けでもない、ただただ低賃金労働に依存するだけの中小企業が過当競争の中で犇めいていることに目を向ける必要があります。

 仮に下請け企業であるにしても、下請けという理由で同情的に見られる(=従業員に対する搾取が大企業の場合のそれと違って大目に見られる)としたら、まぁ抜け道を用意するようなものではないでしょうか。あるいは派遣会社のことを考えてみるのはいかがでしょう、人材派遣とはある意味で究極の下請け企業、と言うより下請け業界ですから。派遣会社と派遣スタッフ、派遣先企業と派遣社員の力関係ばかりが注目されがちですが、派遣会社と派遣先企業の力関係を視野に入れれば、また違ったものも見えてくるはずです。

 実際のところ派遣先企業の方が圧倒的に立場が強くて、しばしば派遣会社がその言いなりにならざるをえないわけです。派遣先企業が「いらない」と言えば派遣会社の「商品」である派遣社員達の契約は一方的に打ち切られ、派遣会社側はロクに文句も言えない、そして競合他社との競争の中で絶えず値引きの圧力に晒されているのも派遣会社の実態です(偽装色の強いグループ企業内の「専ら派遣」会社はまた別ですが)。下請けだからとの理由で同情的になるのなら、紛れもない下請けたる派遣会社にももう少し優しい視線が注がれても良さそうですが、世間の目はどうでしょうか? まぁ、下請けであろうと労働者に対する悪質な搾取者であることからは逃れられないのですが。

 結局のところ、我ら国民や近年の政府筋は何を望んでいるのでしょう。「経済成長は諦める」「中小企業乱立状態は維持する」辺りでは大方の意見が一致しているようですが、これで将来的な展望が開けるようには思えません。そしてもう一つの大きな、共有されている矛盾は「合理性」への評価でしょうか。合理的とは言い難い小泉改革を「合理性」という言葉で否定的に語る、それが何の疑問もなく受け入れられてしまう辺り、「合理性(効率)=悪」という単純な信仰が透けてみるような気がします。その一方で「ムダを省く」ことには誰しもが肯定的です。合理性を否定しつつ、ムダを削減せよと要求する、これはいったいどういうことでしょうか?

 ……続きは第三章にて。

 

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7 コメント

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パイの増大よりもオノレのフトコロ、シェアの増大を優先しているのさ (L)
2009-11-14 16:22:38
 大企業に連なる連中が中小企業をダシにして、最低賃金の引き上げや規制緩和の見直しに反対するのは当然でしょう。高校で、「寡占状態のときは、(いわばカルテルを結んで)一番弱い企業が潰れない程度の条件を作ってやる。すると強い企業は、より弱い企業が存在しないときよりも競争がゆるくなって利益率が高くなる。この差を超過利潤という。」とかって教わった気が。あと、雨宮さんたち、反貧困系の人たちも、”雇っている人間を食わせられないような企業は潰れちまえ”と言っています。金子勝さんも、”企業が潰れても、人が潰れなきゃいいんだ。企業を救っても、人を潰したんじゃ意味がない”と言ってます。まあ、少数意見ですけどね。
 経済成長自体は、自民党も経済界も金子勝さんも言っていることです。
 しかし、経団連な人たちとその取り巻きは、経済成長すべきだが、オノレのフトコロ、取り分が増えるなら、経済が縮小してもかまわないと考えていると思います。
 森永卓郎さんが「80年代に役所にいたころ、世界一の所得なのになぜエリートの俺たちは豊かさが実感できないのか?という論議があった。その答えは、みんなが同じように豊かだからだ。身近に貧しい奴がいてこそ豊かさを実感できる。格差を積極的に作るべきだというものだった」という趣旨のことを話していました。それが、現在の舐めた状況に繋がっているのでしょう。
 経済成長させるなら、個人と法人の所得と資産と遺産にガンガン累進課税して、金巡りの悪い人や雇用福祉医療教育、金にならない研究などにぼこぼこ金を突っ込むことです。昔、自民党右派的な人は、「フィンランド化」と言って彼の国を嘲笑いましたが、今やどちらが独立国であり、”一等国”でしょうかね?森巣博さんなら、「天皇陛下に申し訳が立つと思うのか!」と一喝するところでしょう。
返信する
Unknown (やす)
2009-11-14 20:56:04
カイカク真宗教

1、頑として曲げない強い精神的主体性を持つ。
2、批判を許さない強権的な政治
3、あらゆる物を血祭りに上げて、権力を強化する
4そして敵を作り・・・(ry


ダメな政治家もいればダメな官僚もいるということですね
返信する
Unknown (やす)
2009-11-14 21:06:23
官僚がこれほどまでに使えないというなら「なぜ」というものを明らかににすべきなのにそれを、しない
挙句の果てにはとぼけるw

そして「改革を断行するのは俺だ!」と奢り高ぶって(ry

でも、たちが悪いのは(ry
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-11-14 23:11:00
>Lさん

 >経団連な人たちとその取り巻きは、経済成長すべきだが、オノレのフトコロ、取り分が増えるなら、経済が縮小してもかまわないと考えていると

 この辺が構造カイカク路線を支えているのでしょうね。経済が縮小しようとも、財界の利益だけは確保する、そういう路線でしたから。スポーツの監督ならば選手個人に便宜を図るのではなく、チーム全体が機能するよう選手に制限をかけていくわけですが、日本政府は逆のことをしていますね。チーム全体としての機能は蔑ろにして、財界のやりたいようにやらせてやる、と……

>やすさん

 >ダメな政治家もいればダメな官僚もいる

 そうなんですが、とにかく官僚がダメなんだと主張することで、政治家側の責任を有耶無耶にしようとしているのが今の民主党政権なのではないかと、そう思う時があります。
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Unknown (やす)
2009-11-14 23:26:42
選んだ人の責任もあると思いますね

重い話です・・・。
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Unknown (凡人69号)
2009-11-15 23:09:10
自省を込めて言えば、当たり前だけど大手だから中小だからということでなく、経営者や経営陣をよく見て判断すべしということですね。(不祥事とかで大手と違って中小がニュースになるのは、インパクトというか人目を引く要素が大きいモノしかないようですので。)
今の日本では、リストラ=人減らしというふうに何かを見直すより無駄と思えるものをとにかく減らす考えが主流になっているから、本当の意味での「合理化」(例:事業の集約とそこに携わる新たな人材の育成)にいたることはなかなかないでしょうね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-11-15 23:51:07
>凡人69号さん

 字義通りの「合理化」「効率化」にはほど遠いのが現状なんですよね。とにかく人減らしありきで、アリバイ作り的と言いますか、あるいは不況にかこつけた人員整理と言いますか……
返信する

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