非国民通信

ノーモア・コイズミ

地裁でこの判決かよ

2009-02-28 11:32:51 | ニュース

靖国合祀訴訟:神社への遺族の取り消し請求棄却 大阪地裁(毎日新聞)

 第二次世界大戦の戦没者遺族9人が「同意なく肉親をまつられ、故人をしのぶ権利が侵害された」として、靖国神社への合祀取り消しを同神社に求めた訴訟で、大阪地裁は26日、原告の請求を棄却した。村岡寛裁判長は「原告の主張する権利は、合祀という宗教行為による不快や、神社への嫌悪の感情と評価するしかなく、法的利益と認められない」とした。同神社が被告となった訴訟の初の司法判断で、東京、那覇両地裁で係争中の同様の訴訟にも影響しそうだ。

 判決は合祀について「遺族らの同意・承認を得ることが社会的儀礼としては望ましい」と指摘したが、「合祀行為には強制や不利益がなく、原告の求める権利に法的利益はない」と結論付けた。

 靖国神社が大好きな人は往々にして創価学会が大嫌いなようですので、この記事の「靖国神社」を「創価学会」に置き換えて読んでみるといいのではないですかね。たとえば自公政権の肝煎りで建てられた学会の宗教施設に、国の情報提供の元で自分の親族が同意なく祀られたとしたらどうでしょうか。まぁ、その筋の人の超理論にかかれば、「創価学会はNGだが靖国は栄誉」となりそうですね、そういう問題ではないのですが。

 それはさておき、今一つ納得のいかない判決です。これが最高裁の決定なら、「最高裁だから行政を守るのは当たり前」となるわけですが、地裁でこの判決というのも随分と酷い話です。曰く「合祀行為には強制や不利益がなく」だそうですが、この点だけでも議論の余地があるのではないでしょうか? たしかに、靖国に勝手に合祀された結果として、遺族が会費を請求されたり、宗教行事への参加を強要されることはないかも知れません。どこか知らないところで見知らぬ誰かが勝手に祀っているだけですから。でも、例えば規制論議の賑わしい児童ポルノだったら、法的な扱いはどうなっていたでしょう?

 既に撮影された児童ポルノがあるとしましょう。撮影時に諸々の人権侵害があるかも知れませんが、その後はどうでしょうか? ビデオなり写真が出回るかも知れません。しかし、ビデオや写真が出回ったからといって、それが直接「強制や不利益」をもたらすわけではありません。どこか知らないところで見知らぬ誰かが勝手にに鑑賞している、それだけのことです。ならば被撮影者が裁判に訴えても「法的利益はない」として棄却されるのでしょうか。さすがに、そう言うことはないと思いたいですね。直接的な加害/被害がなくとも法的な介入が必要な部分はあるはずです。

 神社は、護国神社への合祀を巡り、キリスト教徒の遺族が敗訴した自衛官合祀拒否訴訟で最高裁が「宗教的人格権は法的利益と認められない」とした判決(88年)を根拠に、「原告の求める権利は最高裁が否定した宗教的人格権と同一」と反論。さらに、戦没者の氏名を記入した霊璽簿などの名簿は「合祀手続きに不可欠で、神社にも信教の自由がある」と主張していた。

 ……で、被告の主張するには「神社にも信教の自由がある」のだとか。なんでしょうね、ネトウヨの屁理屈みたいな、微妙な自己陶酔感が漂っている気がします。とりあえず個人には信教の自由がありますが「神社」にはあるのでしょうか? 個人が何を祀ろうと、そこまでは介入できるものではないにせよ、宗教法人である靖国神社が組織として祀る場合は話が違ってくるはずです。個人に認められる権利が法人にも認められるなら、会社にも「生存権」があるとかそういう話になりそうです。まぁ、確かに日本では個人よりも法人に対してこそ、手厚い社会保障が用意されているだけに実質的にはその通りなのかも知れませんが。

 そう言えば以前にNHKが安倍晋三と中川昭一の要請を受けて番組を改編して、それで出演者から訴えられたことがありました。結局、最高裁がその役目を遺憾なく発揮、原告の主張を退けるに至ったわけですが、勝訴したNHKは「最高裁は、NHKの主張を認め、「編集の自由」は軽々に制限されてはならないという認識を示したものと考えます。NHKは、今後も、自律した編集に基づく番組制作を進め、報道機関としての責務を果たしていきます。」とコメントしました。NHKの用語では「編集の自由」=「政治家の介入を許す自由」だったわけです。では、靖国神社の用語で言う「信教の自由」はどういう意味なのでしょう?

 

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13 コメント

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靖国神社は (Bill McCreary)
2009-02-28 13:13:39
戦前はもちろん戦後も長きにわたって日本政府が異常なまでに便宜を図ってきたし、昔ほどあからさまではなくなったかもしれませんが、今でも完全に政府と縁が切れているわけでもないですしねえ。

そのような場に(合意も何もなく)祀っていいんかいというとそういうわけにはいきませんよね。

しかしそう考えると、そうだからこそ無理やりでもこの体制を維持するんだと司法が考えているわけで、これまた論外な話です。
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所詮は戦争のための政治的機関ですから (ふみたけ)
2009-02-28 13:55:56
>靖国神社の用語で言う「信教の自由」はどういう意味なのでしょう?
靖国は設立の経緯から見ても、明治からの大日本帝国が戦争行為を行うにあたっての政治的機関である事は明白です。
したがって、あれを狭義的に宗教と呼ぶのはどうかなと思うんですけどね。(苦笑)
お話の合祀行為を認める事は、国の犠牲を礼賛する靖国の否定ですので、それを認めるわけにはいかないというのが靖国側の本音でしょう。なぜなら、国への犠牲を礼賛する機関としてのみ靖国は存在意義を見出している訳ですから。
この手の話を見るたびに靖国は建前こそ宗教機関ですが、今もなお「大日本帝国の政治的機関」だなと再認識します。
最後に靖国で平和を祈願するネトウヨさんがいますが、靖国の本質をわかっていればまずそんな事を言うべきではありません。むしろ冒涜にあたるわけですが、その辺ちゃんと理解してない風潮を見るに、靖国への賛否は別として一知半解がまかり通る思想の貧困化を憂う次第です。
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国家神道粉砕! (怪人20面相)
2009-02-28 15:09:56
自民党は、悪名高い国家神道復活を願望にしている政党です。
最高裁の自衛官合祀拒否訴訟は、地裁、高裁は、遺族の訴えを認める常識的な判決を下したのですが、自民党の首相によって判事が選ばれている最高裁で予想通り逆転判決。
その当時は、地裁、高裁にはまだ良心が多少あったのですが。
今回の靖国合祀訴訟の地裁の判決は、道理ではなく、立身出世のみを考えた地裁判事の判決。
まあ、国家神道復活をたくらむ自民党や右翼政治家にとっては笑いがとまらない判決でしょうが。
悪名高い戦前の国家神道の悪夢がよみがえります。
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Unknown (ルザミof大阪)
2009-02-28 16:03:18
 創価学会に例えられて、はじめて理解が及びました。正直、私はこの件に関しては被告側が変わった人だ、という印象を受けていたので。
 考えてみれば、好みは人それぞれですから、靖国神社に勝手に祀られるのは迷惑な人だっているわけで、特に故人についてよく知っている人々がいた場合、故人の遺思を尊重しようという動きがあるのは当然でしょう。
 個々の場合としての判決で済むなら、まぁ仕方が無いでしょうが、判決文を見るとその後の裁判でも、判例として用いられそうです。
 自分たちがどういうことをしているのか、理解が浅いような気がしました。
 趣味を押し付けてくる、あつかましい人を敬遠しないのでしょうか?
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Unknown (いつも拝読させていただいてます)
2009-02-28 18:05:38
私は靖国を崇敬しておりませんし(むしろ嫌いです)、
この判決にも不満を感じますが、
今回地裁が原告の訴えをあっさり棄却したこと自体は、司法の構造上理解できます。

「宗教的人格権は法的利益ではない」という判断を最高裁が出してしまっている以上、
法の下の平等と上級審の尊重という原則からして、地裁にこれを覆すような判決を出す余地はほとんどないと思います。
最高裁の判断を超えるような法論理を新たに組み立てない限り、この種の裁判は難しいような気がします。

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宗教であるか否かさえも本質的な論点ではない (貝枝五郎)
2009-02-28 19:16:03
『国家主義を超える』(阿満利麿・講談社)の後半部だったとおもうんですが、既得権益をまもっている(と本人が思いこんでいる)行為をつらぬこうとすれば「神社は宗教ではない」という詭弁にいきつかざるをえない、という指摘があったように記憶しています、同書がいまてもとにないので私の記憶のいきを出ませんが。
いずれにせよ「宗教ではない」という言い分(言い逃れ)をみとめるとしても、それを理由に「宗教でないから他人の意思を無視してまつってよいのだ」という主張の不当性は以下のような事例をあげれば明白でしょう。すなわち「ネズミ講は宗教ではない(だから他人の意見を無視して巻き込んでもよい)」「自己啓発セミナーは宗教ではない(だから他人の意見を無視して巻き込んでもよい)」。もちろん、神社なかんずく靖国神社はカルト宗教であり、別言すれば「他の宗教を信じていても勝手にまつってよい特権的な立場にある、『日本』国家とむすびついた宗教」という命題はただしいでしょうが、かりにその命題について譲歩しても「宗教であろうが無かろうが、まきこまれる当事者の意見を無視する権利など個人はもとより国家や法人にこそ存在しないのだ」という主張が堂々とみとめられねばならない。そのような社会以外は社会がまるごとカルトである。「貝枝五郎という個人は宗教ではない。だから貝枝五郎がだれかを勝手に「貝枝五郎ファンクラブ」という団体に登録してもかまわない」という主張と本質的にはちがわない。もっとも、国家や靖国神社の場合は、貝枝五郎がもっていない権力をもっている、という点は、ちがうけれどな。

(ちなみに、「貝枝五郎ファンクラブ」という団体はいま思いつきで名づけた架空の団体です、念のため)
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Unknown (Gl17)
2009-02-28 21:38:56
こいつは極めつけに酷いですね。嫌悪感を無視して宗教行為を行われても不利益でない、と言うなら、慰謝料とか名誉毀損とか、そういう概念は成立しなくなってしまうのでは。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-02-28 23:15:24
>Bill McCrearyさん

 政府与党どころか一部野党にも、靖国神社への公式参拝を求める団体が存在しているくらいですからね。そういう神社だからこそ距離を置くべきと、裁判所が判断すべきなんでしょうけれど、三権分立、司法の独立がいかに形骸化しているかを示しているのかも知れません。

>ふみたけさん

 合祀の取り消しが認められてしまうことは、国家による強制の正当化もまた覆されてしまう、そんな風に考えられたフシもありそうですね。仰るように元が宗教ではない、国のために犠牲になることを、宗教の形で美化するための機関ですから。

>怪人20面相さん

 たぶん地裁判事もピンキリなんでしょうけれど、今回の判事は出世するタイプかも知れませんね。若くて野心に溢れたタイプとか?

>ルザミof大阪さん

 仮に向こうから直接関わってくることがないにせよ、思想信条などの面で相容れない組織/集団が、家族を勝手に祀っていたとしたら、それはやはり社会的には問題があると見なされますよね。物言わぬ個人ならば尚更、とも思うのですが。

>いつも拝読させていただいてますさん

 上級審の尊重と称して最高裁の判例を鵜呑みにするなら、今後は「行政には介入しない」として必ず行政側の勝訴、憲法違反を理由にした訴えは全て「判断しない」として却下で済まされそうですね。

>貝枝五郎さん

 そう、「まきこまれる当事者の意見を無視する権利」は無制限に認められるものではないはずですし、それが政府の肝煎りで設立された組織の場合となら言うまでもない……はずなのですけれどね。

>Gl17さん

 現に被告の(承諾を得ない)行為によって、原告に苦痛を与えている中で、苦痛の感じ方は人それぞれにせよ、それを安易に棄却するようなら、傷害とか窃盗とか、目に見えるもの以外は裁判の対象外になってしまいますよね。
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「不寛容に寛容な国」と同質の問題ですね。 (貝枝五郎)
2009-03-01 08:40:44
本ブログで以前とりあげられた議論「不寛容に寛容な国」と同質の議論ですね、今回の議論は。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/997a900803a43d21ad3112ddd9f4dc1c

つまり、宗教であろうがなかろうが、当事者の意思を無視して何かに巻き込む権利を、権力をもっている国家や靖国神社ならばもっていて当然、という人権意識の無さ、権力をにぎるひとにぎりの個人や集団の利益のためには権力をにぎれない人々の意思など無視して当然、とするおぞましい心性、それこそが問題の本質でしょう。
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それをこそ危惧しているのです (いつも拝読させていただいてます)
2009-03-01 12:28:37
>非国民通信管理人様

現在の司法制度では「法の下の平等」の原則のもと、裁判はすでに出ている判例に縛られます。
ましてや最高裁の判例であれば、下級審はよほど特段の酌むべき事情がないかぎり、最高裁の判例に強く縛られて、横並びにならざるを得ないはずです。

怪人20面相様が以前の訴訟で「地裁、高裁は常識的な判決を下した」と書かれてますが、以前の訴訟で地裁・高裁がある程度自由な判決が下せたのは、それらが最高裁の判断が下る前だからです。
最高裁の判断がすでに出ている以上は、以後の下級審の判決は最高裁の判断に強く縛られるはずです。

私の書き込みは、今回の件が担当の地裁判事の個人的資質に話しが収斂することを恐れたためです(読み直すと意図が不明瞭でした…)。
これは個人の資質の問題ではなく(それもまったく無いとは言いませんが)、日本の司法の構造的な問題だと思います。
もちろんその核心は三権分立の一極であるはずの最高裁の機能不全にあります。
裁判員制度などより、最高裁の改革こそが必要なのでしょうが…
司法は国民審査や弾劾の形でしか民意を反映させられない上に、人びとの関心も必ずしも高くないのでどうしたものか……

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