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非国民通信

ノーモア・コイズミ

Hallowed Be Thy Name

2008-06-10 23:19:48 | ニュース

法相「命奪う人にはそれなりのものを」 秋葉原事件受け(朝日新聞)

 鳩山法相は9日、東京都内であったパーティーでのあいさつで「私が粛々と死刑を執行させていただいていることを『司法的殺人』と書くマスコミもある。それは違う、人の命を大切に思えばこそだ」と述べた。そのうえで東京・秋葉原の無差別殺傷事件にふれ、「昨日も大事件があったが、人の命を奪うような人にはそれなりのものを負ってもらおう。それは日本人として当然の考え方だと思う」と、死刑制度の必要性を訴えた。

 いい加減にハトの放し飼いは止めたらどうかと思う今日この頃ですが、どうなんでしょうね、自民党の支持層はこういう発言を聞くとより一層信仰が深まるのでしょうか。元から自民党なんか支持していない人は「やっぱり鳩山はどうしようもないバカだ」と再確認するわけですが、とりわけ消極的な選択として自民党を支持しているような人から見れば「鳩山もタマには良いことを言う」となりそうです。石原や橋下の暴言と同じで、支持率云々には影響しないでしょう。

 まぁ、短い言葉の中に良くこれだけのツッコミどころを満載できるモノだと思うと感心しないでもありませんが、ダメなものはダメです。とりわけ問題の大きいのは、通り魔事件にかこつけて自説を正当化しようという姿勢ですね。傷ましい事件を利して死刑推進を訴える格好の機会としているわけです。「人の命を大切に思えばこそだ」などと、空々しいことを口にしながら。

時津風部屋事件 憤る報道陣と困惑の父親(日刊サイゾー)

 これらの部屋側の対応について、正人さんは一貫して「真実が知りたい」と強調。報道陣が、ウソをついた親方や俊さんをいじめた兄弟子たちなどに対しての今の気持ちを数度にわたって尋ねたが、「うまく言葉にできない」と言うに止め、この日一度も部屋側への恨み言は漏らさなかった。それでも熱を帯びた記者が執拗に同じ質問を繰り返すと、「では、あなたなら自分の子供が死んでしまったとき、なんと言いますか?」と穏やかに問い返す場面も見られた。

(中略)

 とにかく時津風部屋や相撲協会の責任を追及したいという姿勢の報道陣に対し、正人さんは愛する息子を突然失った悲しみと、信頼しきっていた部屋に裏切られたショックをまだうまく受け入れられていない様子で、明らかに当惑していた。この純朴な父親に対し、相撲協会からは未だに謝罪どころか連絡すらない。

 ちょっと古い記事ですが、例の相撲部屋のリンチ殺人の一幕です。ここで明らかになるのはすなわち、「悪い奴」を罰しようと息巻いているのは第三者である報道陣であり、ひいてはそれを心待ちにする顧客=視聴者であること、そうした人々が被害者(遺族)に旗振り役を期待し、待ちかまえる姿です。誰もが「罰したい」という強い欲望を抱きながら、決して自分の欲望であることを認めようとしない、自分がそう望んでいるから罰したいのではなく、あくまで他人のためにそう主張しているのだと、そう装うことの卑しさがここでは浮き彫りにされています。

 “Sangue! Sangue!”と絶唱するオペラの主人公のような「熱い」被害者(遺族)もいますが、果たしてそれが自発的な姿ばかりなのか、そこを考えてみるべきです。むしろ私には、この殺された若手力士の父親のように当惑し憔悴する方が自然に見えます。もちろん、人の性格はそれぞれ、身近な人の死に対する感じ方も違うでしょう、自発的に復讐なり極刑を訴える人もいるかも知れません。しかし、それが全てなのでしょうか?

 「もし自分の身内が被害にあったらどう思うのか?」と、死刑愛好家は口にします。この当人とは全く無縁の仮定に対する答えはほぼ100%、「犯人のことは許せない、極刑にすべきだと思う」というもの、彼らの頭の中ではそれが決まった答え、それ以外にあり得ない答えのようです。彼らが「本当に」身内の被害に遭遇したとき、どう思うかは不明です。ただ彼らは、もし自分がそのような目にあったときは犯人の厳罰を何よりも願うものと確信しており、それが当然のことだと信じて疑わないのです。

 もし自分の身内が被害にあったならば、犯人が厳罰に処されることを何よりも願う、それが当たり前だと信じ切っている人々は、実際の被害者にもそれを求めます。そこでもし被害者が厳罰を訴えなければ忘れ去られ、被害者が彼らの「当然」に同調すれば錦の御旗として祭り上げられる、これが死刑愛好家の言う「被害者の人権を重視」した結果です。本当は自分が「悪い奴」を罰したくてウズウズしているのに、その欲望を被害者の口を通して語らせようとしている、不誠実であり、卑劣です。

 「人の命を大切に思えばこそだ」と鳩山は語りますが、その一方で死刑判決、死刑執行は過去最高を更新しています。ここで鳩山の言う「人の命」とは同じ「人の命」を否定するための道具でもあるわけです。すなわち、ある「人の命」を重いものと扱うからこそ、それを奪った別の「人の命」の重さをそれだけ差し引けると、そういう目論見なのです。ここで鳩山が「人の命」を大切に扱おうとする動機は決してそれ自体を尊重するためではなく、別の「人の命」を蔑ろにするためであり、その動機がなければ彼らが「人の命」を重んじることはないでしょう。

 それは例えば先軍主義者の偽装と同じことです。時に彼らは自分達も平和を重んじていると語りますが、平和を重んじているからこそ、それを守る(お花畑のエイリアンから?)ための犠牲は受け容れられるべきだと説きます。ここでは「平和」が脅迫の材料として使われるわけです。同様に鳩山は「人の命」を重んじるために、それとは別の「人の命」を抹消すべき、それが当然と語ります。使っている言葉、大切にしているものは我々と同じでも、その動機が根本的に違うわけです。

 

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21 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-06-10 23:43:21
よくは分かりませんが、私の抱くもやもやと、「それは違うぞ」と言いたい理由などがここにある気がします。
「加害者に苛烈だから私は被害者を思いやっている」という図式が完全に成り立つほど単純ではない、と。
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筒井の短編を (おさふね)
2008-06-10 23:47:05
思い出しました。
脱獄した殺人犯が家族会いたさに平凡なサラリーマン宅に立てこもり、妻と子供を人質にとります。サラリーマンは「そんなにまで家族に会いたいんだな…その気持ちはわかる」と報道陣の前で語るのですが、報道陣が「貴方は犯人が憎いはずだ」とその発言を許さない。
 結果…を書いてしまうとつまらないのでここでやめておきますが。題名は失念しました。何せ凄く昔に読んだ記憶だけで言ってますので。
 鳩ポッポについては、死刑を廃止すると自分の仕事が無くなるからじゃないか?と考える事があります。本来なら何故そのような犯罪が起きるのか分析して未然に防ぐ方法を考えなくてはならないのに、このような発言をするという事は、自分の仕事が無くなるのが嫌なのでは?と
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-11 00:03:54
>ノエルザブレイヴさん

 そうなんですよね、「加害者に苛烈であること」≠「私は被害者を思いやっている」なのですが、その辺を誤魔化すと言いますか、偽る人が多いわけです。そして被害者を思いやるが故に加害者に苛烈なのではなく、加害者に苛烈であるために被害者を思いやっていると言い繕う、そんな転倒もあるような気がしてならないのです。

>おさふねさん

 非常に興味深い話ですね。タイトルが分かりましたら是非。現実にも似たような事件があったような気がしますが、犯人に同情するような意見は、少なくともメディアには上がってこなかったように記憶しています。

 ちなみに鳩山は……死刑執行を自分の職務と考えているのでしょうか? もっと他にやることはありそうですが、ハトの頭では死刑の推進以外に仕事が思いつかないのかも知れませんね。
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悲劇ショー・復讐ショー (Bill McCreary)
2008-06-11 06:06:58
>そこでもし被害者が厳罰を訴えなければ忘れ去られ、被害者が彼らの「当然」に同調すれば錦の御旗として祭り上げられる

昨年名古屋で女性が、闇サイトで知り合った3人組に惨殺され、その報道を知った私は、「あ、これは格好の悲劇ショー、復讐ショーになるな」と考え、その旨こちらのブログにもコメントさせていただいて、遺憾ながらそのとおりになってしまいました。今回はどうでしょうか。そうならないことを願ってはいます。
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TBありがとうございます (うろこ)
2008-06-11 08:43:57
おっしゃるとおり、鳩ポッポがバカなのを再確認いたしました。人の命を扱う事はさながら自分が神にでもなった気分になれるから、その素敵なお仕事をもっと増やしたいのでしょうか?
「私は被害者を遺族を思い遣っている」と豪語する人に限って、被害者遺族が再婚したり子供を作ったりすると「裏切られた」なんてわけわかめな事言ってバッシングする傾向があるような気がします。
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管理人様の言うように (いるか缶)
2008-06-11 10:40:25
きっとこの発言で鳩山大臣の株はむしろ上がってしまうのでしょう。このタイミングで「容疑者を死刑にしろ」ととれる発言を政治家、しかもよりによって法務大臣が言うなんて司法へのプレッシャー以外の何者でもないと思うのですが。

それにしても、

>それは日本人として当然の考え方だと思う

日本人として「勝手に決めるな」といいたいです。まあ本当に批判されたら「それなり」というのは「死刑」のみを指した言葉ではないとか言うのでしょう。
 ところで、2001年に森山眞弓という元法相が「日本には、死んでお詫びする文化がある」と言っているらしいのですが、このようなことを言う人は「死刑は(捕鯨などの他の伝統と同じように!)守るべき日本の伝統」とでも思っているのでしょうか?
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正当化の理論化・・ (単純な者)
2008-06-11 10:40:35
こんにちは。

いつもの他の件とは違い今回は異論になります。
極刑を止めてもこの種の犯罪はなくならないでしょう。一方極刑を下してもこの種の犯罪はなくならないでしょう。どちらがこの種の犯罪を減らすことが出来るのでしょう。

問題の設定が不十分なので、どこにも決定打はありませんよね。

社会の状態を良くすれば減るでしょう。しかし、これも立証は難しい。官僚の統計操作もクリアーしないといけないようです。

さぁ、どうすればいいのでしょうね。

鳩山法務大臣の人物評価はともかくとして、国民が国に委託して、この範囲なら極刑を許しても云い、この範囲では市民の自由に国は介在してはならないという
憲法で諸法律が成立している。その刑法で7人を刺殺し多くの重軽傷者。非常に計画的であり公衆が集まる歩行者天国に車両でダメージを与え背後から攻撃、警官の制止にも止めようとしない、量刑の公平性などを考えて見ると。

「死刑愛好家」なんてどこにいるのでしょう。
市民社会は自らが構成する社会の秩序を保持する権利と責任がありますよ。

いつもの考察の行き届いた論説に似合わない論理の正当化のための論理としか読めませんでした。

ただ、社会人としての普通の認識とはあきらかに異なっている一部おそらくはネットウ派「死刑愛好家」に対して、「優しい日本」志向派的な管理人さんの今回の論説とそれに賛意を表するご意見の方々はこれからの日本社会にとって好ましい傾向なんだろうとは考えています。まぁ、そういう方向でいつかどうにかなるんでしょうねという立場で興味深く読みました。

では。


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Unknown (Johann Gottlieb)
2008-06-11 11:01:40
野田秀樹の「The Bee」という芝居で、その原作は筒井康隆の「毟りあい」という短編だそうです。(芝居だけ見ました。)

死刑は現に存在しているのに、凶悪犯罪は起こる。抑止力としては機能してないですよね・・復讐感情を満たすのは、国家権力がすることではないでしょう。まして周囲の欲望なんてどうでもいいですよね。
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頭の中の蝶々がそれを言わせるのか? (kama)
2008-06-11 12:59:57
根本的に体質を変えなきゃ治らない問題なのに効果すら怪しい対処療法をここぞとばかりに得々と論ずる浅~い思考力しか無い脳みそを持つハトヤマさんの体質を根本的に治す治療法は無いですかね。

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タイトルは (おさふね)
2008-06-11 13:00:07
「毟りあい」でした。
メタモルフォセス群島(新潮文庫)収録です
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