さて、先の大阪ダブル選挙は概ね予想通りの結果になったわけですが、敗北した平松陣営への後付けの批判の中には「橋下批判ばかりで政策を語っていない」なんてのも散見されます。まぁ政策の訴えに関しては不十分ではあるのかも知れませんけれど、それを敗因と考えられる人って今までの選挙戦を見てこなかったのかと大いに首をかしげるところです。何しろ日本の選挙と言ったら昔から名前の連呼が王道中の王道です。知名度を高めることこそ必勝の戦術だったからこそ今の勢力図があるのであって、もし政策を訴えることで票の獲得につながるというのなら、今頃は共産党辺りが第一党でなければおかしいでしょう。
むしろ橋下にしても人気を博してきたのは公務員なり既成政党なり電力会社なり、有権者が憎悪する対象を率先して攻撃してきたことにあるわけで、具体的な政策にまで踏み込んだ上で橋下を支持している人は必ずしも多くないはずです。加えて平松氏がどういう政策をとってきたかと言えば、思い浮かぶのは「たばこを吸いながら『この仕事は僕に合わないから』みたいな人は、大阪市から出て行ってくれ」と宣っては生活保護を自治体の判断で打ち切れるよう提案していたことです(参考)。正直、根本的な方向性が橋下と平松でそう大きく異なっているようには思えません。違いが目立つとしたら、それは政策を実現させるための「手法」の部分であって、まさにその部分を重点的に批判してきた平松陣営は少なくとも嘘つきではなかったと言えます。
結局のところ、ポピュリストに勝てるのは新たなポピュリストでしかないように思います。一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだってみんなの党が、3月の名古屋市議会選挙ではわずか1議席たりとも獲得できず、河村たかし率いる「減税日本」の前に無残な敗北を喫したことを思い出してください。一時は有権者の歓心を買った勢力であっても、また新しいおもちゃが出てくれば躊躇なく捨てられてしまう、勝者総取りの世界であるが故に、飛躍することもある一方で消えていくときは早い、それがポピュリズム政党/政治家の限界であり宿命です。
だから橋下に取って代わる、新しくより強力なポピュリストが出てくれば橋下が負けることもあるでしょうし、逆にそれ以外の「マトモな」候補がポピュリストに勝利を収めるのは現代では甚だしく困難に思えます。橋下が大阪府知事に就任して3年半、この3年半で明るい兆しが見えたという声は少なく、現状への不満の声が取り上げられることの方が圧倒的に多いわけですけれど、この3年半に感じた不便や不満の責任を有権者が府の最高責任者ではなく別の何かに求めている限り、どんなに大阪の生活が困難なものになろうとも橋下の権力は安泰と考えられます。
大阪市は24区から5区に削減ーー大阪ダブル選挙「橋下連合」の圧勝で行政も国政もこう変わる 「大阪都」「道州制」実現へのハードルを乗り越えよ/高橋 洋一(現代ビジネス)
大阪ダブル選挙で、橋下・松井の維新連合が、既成政党の連合に圧勝した。11月14日付け本コラムで書いたように、この選挙は「大阪都構想」の是非を問うていったが、つまりは地方自治について新しい枠組か従来の枠組かの争いだった。その本質は、既得権者のしがらみなく改革するか、地方公務員などの既得権者を守って改革をしないかだ。幸いにも、大阪府民・市民は賢明だった。しがらみない改革の道を選び、既得権者にノーをいった。
結果は橋下維新の圧勝だったが、えげつない週刊誌の個人攻撃を「結構毛だらけ」と見事に逆手にとった橋下氏は別としても、松井氏は直前まで劣勢と伝えられていた。決定的になったのは、24日(木)に予定されていた平松・橋下両氏のテレビ討論を平松氏がドタキャンしたことだろう。
司会者が公平でないというのがキャンセルした理由といわれているが、そんなことは前からわかっていたことだろう。あえて不利な場合でもそれをアピールして、橋下氏を利用できる。政治家は、官僚の下書きに頼らず、瞬間の反射神経を要求されるが、平松氏はその才能がなかったということだろう。
ノーを言い渡された既得権者は、民主、自民、公明、共産の既存政党、地方公務員やその関係者、関西電力などである。
一方、似た者同士の勝利が嬉しいのか、情緒纏綿というか浮かれすぎではないかと見ていて白けるような代物が掲載されています(雑誌はお前の日記帳じゃねえんだ。布団を敷こう、な!)。司会者が公平でないのは「わかっていたこと」と公然たる橋下支持者ですら認めるほどなのに、委細かまわず「反射神経」をアピールせよと説くのですから無茶ぶりもいいところですが、まぁ勝てば官軍の気分なのかも知れません。元よりテレビの前でのパフォーマンスが最重要で、徹底した事前協議や熟慮を軽視するのは劇場型政治でも事業仕分けでも同様のこと、小泉以降の自民から現在の民主党、そして橋下府政に通底しているのが、この「反射神経」優先の発想と言えますけれど、その結果が何を招いてきたかは、日本にお住まいの方ならすぐにご理解いただけることでしょう。
この橋下ヨイショの作文の著者である高橋洋一氏は、小泉政権下で竹中平蔵のブレーンと目され諸々の思いつきを提案しては日本経済の衰退に貢献してきたことと、2009年に財布や腕時計など30万円相当を盗んだ現行犯として拘束、書類送検されたことで知られています(参考、高橋洋一・東洋大教授が窃盗容疑 竹中元総務相のブレーン - 共同通信)。この窃盗行為については驚きをもって迎えられたところもあったようですが、ただ高橋氏の政治信条と窃盗行為は決して矛盾するものではなく、むしろ自らの理想とする政策をミクロの単位で実践して見せた結果が窃盗であったようにも思います。
つまり、傍目には守られて当然の他人の権利を「既得権」と呼び、その剥奪に道徳的な正しさを見いだしてきたのが高橋氏であるわけです。その実践が窃盗行為として表れたは少しも不自然なことではありません。そして釈放後の高橋氏の変わらぬ主張を聞かされる限り、他人の保護されてしかるべき当然の権利を全く理解しておらず、何ら反省していないことがわかります。氏を起訴猶予処分にとどめた警察の怠慢は厳しく批判されてしかるべきではないかと思えるところですが、ともあれ「既得権」とか「既得権益」という言葉を好んで使う人が頭の中に何を思い描いているのか、それがよくわかるエピソードなのではないでしょうかね。
結局のところ何らかの憎しみを抱えている人も少なくなく(しばしば被害妄想に基づくものであったり、全くの逆恨みであったりもするわけですが)、その憎悪の対象から「奪う」ことをさも改革であるかのごとく見せかけるためのマジックワードが「既得権」であり、これは何に対しても使われうるものと思われます。原発事故後、一夜にして電力会社が憎悪の対象となり「既得権者」に組み入れられてしまったことからもわかるように、何らかの転機があれば「あなたが」既得権者として憎悪の対象とされ、その権利の剥奪をもって改革とされる日が訪れることもある、そのことは心得ておくべきでしょう。一応は橋下の手法に批判的なフリをしている人でも、反原発論を通じて橋下的なロジック(憎悪扇動)を実践してきた人も少なくありません。この橋下的な手法が「あなたに」襲いかかる可能性は着々と増大しています。
それ故に雇用を増やすとか言いながら、市の職員何千人減らすのを目標にしますなどと矛盾するようなことを言ってしまう訳ですが。
政治はもともと利害の調整という側面が強く、どういった政策を取ろうが、誰かが得をして、誰かが損をすることにはなります。そして、そのバランスをどう取るのかが政治の大きな役割のはずです。
しかし昨今の政治の語られ方は、その視点が著しく欠けた状況がずっと続いています。引用記事で「しがらみがない」と表現されてる橋下だろうが、その政策が行われれば得をする人も損をする人も当然出てきます。しかしそれを、損をする人を既得権者、得をする人をそれ以外の人、という位置付けにすることでその本質がぼかされています。こういった発想はバランス感覚を欠如させ、あたかも政治には絶対的に正しい純真無垢な政治家と政策が存在していて、それを支援する正義の人達と、足を引っ張る悪魔の既得権者だけがいる、という極端に偏った世界観に陥る危険性があります。
ネットによくいるイデオロギー中毒患者(左右問わず)は一般人とは乖離した存在にも見えますが、実際のところは一般人にも浸透しつつあるこの政治感覚が濃縮されて生まれたものなのかもしれないと思ったりします。
「民意」がどこまで彼の跳梁跋扈を許すのか、黯然としつつも、分からないですね。橋下が以後も続いて憎悪を煽動し、メディアを利用して権力の座に居座って、国政を壟断することを許すようでは、メディアも「民意」も、その罪深さは戦前の比ではありません。
以前の光市のこともあって、橋下という男に、「政治家」としての理性や、良心が期待できないだけに、我々民衆が、理性をもって憎悪に対する拒否を主張する勇気を持つ必要が増しているように思います。
憎悪を煽った人間を、自らの統治者として戴く愚を犯すこと、たった数十年前の歴史の記憶であるはずですのに……。
「ロシア人は選挙で自分達をいじめる悪人を選ぶ。なぜなら候補者が悪人か、極悪人か、どうにもならない悪人であるから、彼らは悪人を選ぶしかない」
これを聞いた時は笑いましたが、日本の今の状況を見るととても笑えません。ここで風刺されているロシアの人々はまだ各候補者の中身を吟味していますし、原因をその当時の体制への問題に目を向けています。
しかし対して、日本人は碌な候補者しか出てこないのは同じですが、それを自分達で望み、それも中身を考えず救世主だと思って最悪の極悪人を選び、さらに自分達の首を絞めている事に気付かず、上手くいかない原因を、他の人の首が絞め足りないからとしています。
自分達は絶対正しく偉いつもりでいるのでしょうが、このお殿様気質をどうにかしないと被害が増えるばかりな気がします。
それがエスカレートしたのが中共の下放政策であり、更に極端なところまで行ったのが、ポル・ポト(クメール・ルージュ)が行った知識階級の大虐殺ではないでしょうか。日本でも、戦時中の軍隊で大学卒の兵隊が格好のいじめの対象になりました、そんなに遡らなくても、大学紛争で過激派の学生たちは、お前らと俺たちの違いは役に立たない知識だけだと罵りながら教授たちを吊し上げています(ちなみに石原慎太郎氏は以前、著書「スパルタ教育」の中で、そのような学生を礼賛しています)。
他人事ではありませんね。
有権者に喜ばれる発言=有権者のためになる政策とは限らないんですよね。そして選挙で勝つのは常に前者です。有権者も、もうちょっと考えなければならないはずなんですが。
>毛さん
結局のところ善悪二元論の世界と言いますか、どちらか一方を「前」として、対立する「悪」を追い落とそうという、利害調整とは正反対の方向にばかり突き進みがちで、しかもそれが広範に支持を得ているように思うんですよね。何を「善」とし何を「悪」とするかでは橋下と意見を異にする人でも、その二元論的な発想は共有している人も多そうですし……
>不備さん
排外主義的な言動に媚びを売らなければ反日、放射能の脅威を煽るのに協力しなければ御用学者、そして「既得権」を攻撃するのに賛成しなければ「既得権者」となるわけですね。この辺の愚は何度となく批判してきたつもりですが、どうにも世間の「熱」は強まりばかりです。
>ヘタレ一代さん
選ぶ側の意識も問題ですよね。政治に民意が反映されていないと憤りながら、自分たちが選んだ政治家なのだと言うことを忘れている。そしてお気に入りの政治家が最高責任者でいる間は、その不満をトップではなくトップが代わりに差し出した「敵」に向けるばかり。選ぶ側がこんな調子では……
>エースをわらえさん
近頃の大卒者への不当な非難も、その辺が影響しているような気がしてきました。大学で身につけたことを評価したがらない機運は昔からありましたけれど、大学進学を無駄と断ずるような声も少なからず聞かれるようになったわけで、まぁ何とも野蛮な時代です。
>くり金時さん
結局、「結果」が見えたときに、それに対する不満をどこにぶつけるかで勝負が分かれてしまうのでしょうね。最高責任者である首長に問題があると考えるのか、首長の邪魔をしている奴がいるから悪いのだと考えるのか、後者ってのは要するに皇帝崇拝の類いでもあるのですが、日本の有権者はどれほどのものでしょう。
言えてる! 痛快! 大拍手です。ほんとにそのとおりと思います。この表現があてはまる「盗人」企業も多いと思います。
単に他人の懐に手を入れただけ、誰かの取り分を奪っただけで「改革」を称する論者や経営者も多いですからね。その結果が今の経済衰退なのですから、そろそろ過ちに気づいて欲しいところです。
次の国政選挙に対立候補を立てない見返りに自主投票を命じた公明党にはガッカリしましたが、投票行動をみると公明支持者の6割超が平松に入れています。
公明党には落胆しましたが、公明党支持者には感心しました。前回の知事選では橋下支持だったからです。もっとも、公明大阪府議・市議の少なくない人が橋下に批判的だったようなので、それも影響したのかも知れません。共産や社民には、ある意味で公明の“ずるさ”を見習わないといけません。
右翼は一つでも同じなら団結するが、左翼は一つでも違えば分裂すると言われますが、左派も団結しなければ右派にとても勝てないでしょう。