水戸市内の小学校で、30代の女性教諭がクラス全員の前で、給食費を滞納していた家庭の児童1人を名指しし、「払っていないお金が何カ月かたまっている」と非難していたことがわかった。1万円余りの具体的な滞納額も公言した。同市教育委員会は「児童への心理的な影響が心配され、許されることではない」と事態を重視し、学校側に再発防止を指示した。
市教委によると、教諭は5日午後の「帰りの会」で給食費の支払いなどを連絡事項として伝え、この児童に向かって「(滞納額は)1万円余りになる」などと発言した。学校側は別の保護者からの連絡で、名指しの事実を把握。翌日に担任が児童に謝罪したという。
せっかくだから巷で話題のニュースを取り上げるぜ、と言うことで今日はこれです。これはまぁ、教諭は教諭で、さっさと取り立てるように上から圧力もかかっていたのではないでしょうか。立場上、板挟みになった教諭が苛立って暴言を吐いた、児童に当たり散らしたというのが大まかな構図だと思います。で、今回のポイントは教諭や児童ではなく、このニュースへの巷の反応です。ブログ検索してみれば一目瞭然、滞納した児童(もしくはその親)が悪いとして教諭を擁護する見解が居並んでいます。
ここで不思議なのは、彼らの多くが何の根拠もなしに「支払えるのに支払わない」親たちの姿を前提にしていると言うことです。給食費を支払わない理由については、敢えて調査は行わず、現場の教員に「どう思うか」を尋ねただけの結果しか公表されていないようですが、ふむ、どこから滞納の原因を探り当てたのでしょうか? まさか日教組の先生達の感想文を全て鵜呑みにしているわけじゃありませんよね? いずれにせよ支払い能力がないのに公的な支援もない、そういう現状にも目を背けながら語られても説得力などありません。
とは言え、給食が自由参加であるならば、支払うか支払わないかはその人の判断に委ねられるべきですし、それが強制であるならば義務教育と同様に無償で提供されるべきもののはずです。そもそも給食費のように細かいお金を別途徴収する辺りに日本的な非効率を感じないではいられません。学校が徴収するお金は全て合算で支出なり請求なりすればいいのです。
給食費未納問題 保護者給与差し押さえ 豊後大野市、県内初(西日本新聞)
学校給食費の未納問題で、豊後大野市は24日、約45万円を滞納している保護者の給与の一部を今月から差し押さえることを明らかにした。給食費未納をめぐり自治体が強制執行するのは県内で初めて。
(中略)
昨年末現在、市の給食費滞納額は約1060万円で、滞納者数は約220人。市収納課は「滞納者の増加はまじめな納付者にとって大きな迷惑。滞納者への差し押さえは今後も続けるが、支払いの相談にも応じていきたい」と話している。
この自治体、地裁にまで申し立てて差し押さえに踏み切ったようですが、45万円のために要したコストはどれだけのものでしょうね? こういうところでコストを度外視するのもまた日本的です。この国では効率は悪ですから、費用対効果なんてものは考えてはいけないのでしょうけれど、担当者の人件費を考えるとどうなのかなぁ、と。よほど財政に余裕がある自治体ならいいのですが、財政難なのに無駄なコストを投じて恥じる様子がないようでは為政者としてどうかな、と思うわけです。
それはさておきこちらで不思議なのは「滞納者の増加はまじめな納付者にとって大きな迷惑」との一節でしょう。よく考えて欲しいのですが、昔から滞納者はいたわけで(統計がないのですが、凶悪犯罪や少年犯罪と同様、昔の方が遙かに多かったかも知れません)、あなたの通った当時の小中学校にも滞納者は当然、存在した可能性が極めて高いはずです。その滞納者に、「迷惑」を感じたことってありましたか? それ以前に、存在に気付いていましたか?
実際のところ徴収のノルマを課せられる教員にとっては迷惑な話なのでしょうけれど、その他の人にとってはどうなのでしょうか? 2005年の調査によると、滞納金額は全体の0.5%です。つまり、今まで1食あたり200円で作っていた給食を、この滞納の結果として1食あたり199円で作らなければならないことになります。ああ大変だ、給食を作る立場の人は大迷惑ですね。
児童や保護者にとって、滞納の影響は皆無です。滞納の結果を材料費に転嫁すると言って200mlの牛乳を199mlに減らすような、受給者に対する影響が出ることはありませんし、滞納分を補うために納入者に対して0.5%の追加支出を求められるようなこともありません。児童や保護者がそれによって迷惑を被るようなことなどないのです。
それなのにこの「迷惑」という言葉が自然に出てくるのはなぜでしょうか? それは自分が支払う側であっても、徴収する側の立場でものを考えることが習慣化しているから、そして強制徴収の負担を免れている人がいることに不満を感じるから、他人にも自分と同じ負担を課したいからでしょう。それを正当化するために「迷惑」などという道徳的な非難が出てくるわけです。それは市民の立場ではなく支配する側の立場でものを考え、他人が安楽に暮らせることよりも他人に重荷を負わせることを望み、そうした選択を繰り返すのと同じことです。
・………(失笑)。
これって、世間一般の常識では、ほぼ完璧に徴収していると思うんですけど。
特に公立学校なんか、生活保護世帯、極貧世帯が少なくないわけで、そういった事情を鑑みなければお話にならないと思うんですけど、そのような視点にはなはだしく欠けるのはなぜでしょうか。
過去の記事を拝読しましたが、経済的によろしくない沖縄で滞納率が高いことからわかるように、給食費滞納とはもろ経済の問題なんですけど、それを「道義」とか「モラル」にすりかえるのは、毎度同じ手口とはいえ、うんざりさせられます。
0.5%ではほとんど誤差のようなものですが、割合ではなく総額だけを提示するとか、出所不明のエピソードを紹介するなど、あの手この手で印象をねじ曲げた報道ばかりですから。経営側にとっては他にもっと重大な問題があるはずですし、仰るとおり自治体の経済事情と滞納率は反比例、まさしく経済の問題なのですが、これが不思議と道徳論にすり替えられてしまうわけです。意図して悪者を作り上げているとしか思えませんよね。
ところで、>日教組の先生達の感想文、というのはどれですか?
先般、話題になったのは文科省の発表したものですから組合に入れない管理職が作らせたもの(それも、事務)。それに、そもそも組織率が全国平均でも3割内外しかない上に、県によっては日教組でも全教でもないところが、文字通りの御用組合が多数派だったりするようです。この件について、特に、というより全く日教組は関係ないのではと思いますが。
まあ、新聞を見ていると、憲法は適用されないのに、いつ破防法が適用されてもおかしくない非国民団体のようですから、そう受け止めるのはあまりにも自然ですけど。
誤解を与えたら申し訳ありません。こちらはご存知と思いますが、給食費滞納の原因については学校教員に「どう思うか?」を尋ねたアンケート結果しか表に出てはおらず、このアンケート結果(=感想文)の一部分をピックアップすることで「給食費を滞納しておきながら優雅に車を乗り回している云々」のイメージが作られたわけです。
この作られたイメージに基づいてあれこれ宣うブログが圧倒的多数を占めるのですが、そうしたブログは普段は学校教員というものに強い不信の眼差しを向けていて、彼らの脳内では日教組が教育現場を支配していることになっているわけです。ですから、普段は教師と日教組のイメージを重ね合わせて彼らを全否定しているにも関わらず、給食費の問題となると教師の感想文(の一部)に全面的に依拠する、そのダブルスタンダードぶりへの皮肉だったわけです。ご理解いただけましたか?
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20070306c3000c3
原田 泰氏のコラムですが、これにあるように公共事業の談合で無駄に使われる金は2,30%、これに対し0.5%なら御の字というものですね。
また組織を通じて金をばらまくことが無駄につながると指摘されており、同感です。ガソリンの減税はどうやら不発になりそうですが、公共工事を減らして一般人に届く減税をするなら日本のためにずっといい気がします。
そもそも未納率0.5%=徴収率99.5%、99.5%の徴収率を誇りながら危機を煽るというのが奇妙な話なのです。もっと大きなもの、重要なものがあるのに、そこから目をそらされているような気もしますね。