非国民通信

ノーモア・コイズミ

12歳の子供の国

2010-02-21 22:55:50 | ニュース

海外ユーザーが指摘する「JRPGが変えなければならない7つのこと」(ITmedia)

1:子供のキャラクターをパーティに加えるのをやめさせるべき

パーティに一人はいる、幼い子供のキャラクター。でも生きるか死ぬかのミッションに、9歳の子供を連れていくのはどうなの?

「JRPGを改善する10の方法」-海外からの提言(インサイド)

6.ありがちなキャラクターを止める
「日本の開発者はキャラクターをデザインする際に類型的なものに頼るという不幸な習慣を持っている。魅力的な女魔法使い。孤独な剣士。いらいらさせるが愛らしい子供

5.ローカライズの際、声に配慮する
「日本のアニメやゲームで子供のような甲高い声は、洗練され心地よいトイレと同じくらいに一般的だ。だがこのスタイルは米国では異質だ

 JRPGというのは日本製RPG(ゲーム)のことで、日本国内でしか通用しない、欧米では評価の芳しくないジャンルを指します。日本製RPGに必ずと言っていいほど共通する一方で欧米産RPGには少ない要素、その中でも欧米のゲーマーにとって好ましく感じられない部分がいくつかリンク先にて指摘されているわけです。言語の問題をクリアしてさえ日本製RPGが欧米で通用しにくいのは在野の才能を発掘できていないところも大きいのではないかと思いますが、それはさておき今回は「子供」というファクターに注目してみましょう。日本製RPGではほぼ必ず子供が仲間あるいは主人公として登場するのに対し、欧米のRPGでは大人達だけで冒険するのが普通です。大人と言っても日本製RPGでは高校生ぐらいの年齢設定が標準的なところで、20代後半となると年増キャラみたいな立ち位置でもありますね。逆に欧米産RPGでは濃密なる「おっさん」の世界が展開され、10代のキャラは「未熟なガキ」として登場しがちです。端的に言えば日本製RPGは「子供」を操作して物語を展開させる、欧米産RPGは「大人」を操作してゲームを進めるわけです。

009|「こども店長」に感じる違和感 ドイツのおやじはなぜカッコイイのか(日経ビジネス)

 仕事以外でも日本とドイツは真逆な国と感じることが多くあります。 日本の男性に、「美人と可愛い女性、どちらがいい」と尋ねれば、9割方が可愛い女性と答えるのではないでしょうか。

 私の印象では、ドイツには美人はいても可愛い女性はほとんどいませんでした。 概して独立心が強く、男性に媚びたりしない。男性、女性にかかわらず個人としての意識がとても高い。そこで「女性に優しいデザインです」「女性のためのデザインです」なんて言ったらぶっ飛ばされるのではないかと思うほどです。

 したがってドイツにはかっこいい商品はあっても、可愛い商品はまずないのです。媚びたり、甘えたりたりする商品が許されないのです。

(中略)

 ドイツの父や母は、子どもに媚びたりしない。大人の世界と子どもの世界との間にはしっかりとした境界線があり、明確に分かれているのです。この時代にあってコンサバ過ぎるという声も出てくるでしょうが、それはきっとドイツの何か核心的なものを「守っている」のではないかと感じるのです。

(中略)

 東京は正反対です。常に新しさを求め、いろいろなものが混ざり合った街です。面白くエンターテイメントに富んでいます。 しかし決して大人のエレガントな街ではありません。そのほとんどが子どもや若者のためのエンターテイメントです。

 日本の家族は子どもを中心に動いている。食事中に子どもが携帯電話をいじっても誰も注意しない。正確に言えば注意できないのでしょう。大人は子どもに嫌われることを恐れているのです。

 某自動車メーカーのテレビCMに出てくる「こども店長」はいったい何を意味するのか?

 児童ポルノ規制には(別の思惑もあってか)何かと熱心な日本社会ですが、その一方で子供に黄色い声援を送る社会でもあると思います(参考)。「こども店長」に限らず子供にちやほやする、子供を見せ物にする、そして子供であることを売りにする――日本では当たり前のやり方でもありますが、これはどうなのでしょうか? 性的な要素を含まなければ問題ないものとして扱われがちですが、「子供であること」に熱い視線を注ぐのは、性的な要素の有無にかかわらペドフィリックなところがあるとも言えます。総じて日本は、カマトトぶった小児愛社会なのかも知れません。

「がんばれニッポン」が控えめにした五輪熱(日経ビジネス)

 私は、フィギュアスケートの浅田真央選手を応援している。がんばってほしいと思っている。が、そう考えている一方で、彼女に対して、「真央」ないしは「真央ちゃん」と、名前呼びで語りかけるカタチの放送に、いまだに慣れることができないでいる。あれはアスリートに対する態度ではないと思う。

(中略)

 名前で呼ばれる選手は、それだけ国民に愛されていて、親しまれていて、娘のように扱われている、と、そういうことになるようなのだ。 で、私は、このマナーどうしても好きになれない。どうしてスポーツをパパ目線で見なけりゃならんのだ? ばかばかしい。

(中略)

 男子選手でも、年齢が非常に若い場合は、名前で呼ばれるケースが無いわけではない。ゴルフの石川遼選手は「遼君」と呼ばれるのが普通だし、西武ライオンズのルーキー菊池雄星選手は、登録名からして「雄星」を名乗っている。つまり、アレだ。期待されている役割が「息子」のそれなのだね。全国民の息子。若いというのはそういうことだ。

(中略)

 が、石川遼君をはじめとする現代のアスリートは、むしろ大人の玩具になっている。だから遼君と一緒に写真におさまる面々は、財界人や政治家や有名司会者だったりする。彼のオーラは、おそらく、そういう人々にとって利用価値のあるものに見えるのだね。

 いずれにしても、平成ニッポンのメディアとアスリートの間には、相手を子供扱いにすることを、すなわちサービスであると受け止めるみたいな気持ちの悪いなれ合いが介在している感じはある。それが私には気持ちが悪いのである。

 ここでは五輪ネタと言うことでアスリートの場合が取り上げられていますが、この「大人(親)としての観客」と「子供としての競技者」の関係はスポーツ界に限られたことではないでしょう。冒頭のJRPGの例で言えば、「プレイヤー=大人」が「ゲームの中のキャラクター=子供」を玩具にする、まさにそのものの構図が繰り返されているわけです。大人っぽい性格よりも子供的な要素の強いアスリートがメディアひいては視聴者に好まれるのと、大人ではなく子供を主人公とした物語ばかりが歓迎される国産RPGの世界も、要は同じなのです。大人なんてのは全く魅力がない、その代わりに子供遊ぶことに熱狂する――そこに性的な要素などなくとも、私には十分に変態的に見えます。

 

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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
甘い甘い (介護員)
2010-02-21 23:26:28
味付けも、町並みやら
見るだけで甘いさ
果物も食べ物も
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Unknown ()
2010-02-22 00:44:45
いや、今回の記事は特に面白かったです。

今や古い話ですが、例の国母君が40過ぎの最年長で、マイナー種目の競技者だとしたら…
彼を「いい子」に矯正しようとする圧力はもしかしたらそれほどではなかったのかもしれない、などと想像してみたり。

雇用にしても新卒。
幼稚を社会が要請してくるようなら、たまったもんじゃないですね。
返信する
子ども店長その他「子ども」全般に対する勝手な期待について (貝枝五郎)
2010-02-22 13:45:06
わたしも一人の小児性愛者(正式名称は「小児の性的自己決定権について仁愛をもって考慮する者」)として、子ども店長は疑問をもっておりました。以前のべたことをくりかえしますが、性愛の有無ではなく人権侵害の有無で論じるべきですぞ。特に一般論としてはよわい立場にある子どもの場合は議論を慎重にすべきです。でもって、かりに子ども店長については人権上問題がない(つま保護者に強要されたわけではなく、はたらいても学業等に支障がない場合)であるとしても、子どもに声援をおくる人間ども、あるいは子どもが出演していると慰撫される人間どもは、本質的につくられた伝統である「無垢な存在としての子ども」という幻影によりかからねばアイデンティティクライシスもおこしかねない存在だとおもう。そうした人間が貝枝の様な小児性愛者(正式名称は「小児の性的自己決定権を以下略)に対して悪罵をあびせるのなら、その場合の説明責任すなわち、小児を性的存在とみなす人間が小児を無垢な存在とおもいこむ人間とはことなり悪罵にあたいする人間であるという価値観を正当化するための説明責任は、悪罵をあびせる側に存在することは、うたがいようもなく明確であろう。
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Unknown (胸スカ)
2010-02-22 15:27:38
石川遼や浅田真央などのスポーツ選手を、子供扱いしてもてはやすのには、私も違和感を感じます。ただそれは性的にも成熟してるうえ、経済的にも自立している人間を、子供扱いして愛でている光景に違和感や不快感を感じるのであって、ペドフィリア的価値観がどうこうとは考えませんでした。
息子、娘に例えたりして子供扱いするより、むしろもっと性的な目で見つめろよ!と思ってしまいます。もしくはちゃんとアスリートとして尊敬するべきかと。
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可愛げがない (kurosuke)
2010-02-22 16:15:07
お久しぶりです。いい大人が「○○ちゃん」と呼び合うのが親愛の表現みたいに言われる国です。それがいいのか悪いのか、一概には言えませんが…

「可愛げがない」というのが、女性や若年者に対する侮辱の言葉でもあるわけですが。

個人的には「子供店長」のキャラは好きではありません。
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日経の元記事読んで (金魚草)
2010-02-22 19:46:19
 もしも「女性に優しいデザインです」「女性のためのデザインです」の女性を男性に変えたら当の男性は怒るどころかむしろ喜ぶんじゃないかと思いました。「男でも読める少女マンガ」とか「男でも読めるBL小説」とかいう記事はちょっと検索すればザクザク出るのに「女でも読める少年漫画」とか「女でも出来るギャルゲ」は圧倒的に少ない様に。
 JRPGは色々やりますが話の中心にいる女性キャラは殆ど若くてかわいくて男のプライドを邪魔しない(その意味ではメインヒロインが非処女だったFF12は非常に斬新でした)のはユーザーが、「プレイヤー=大人」よりむしろ、「プレイヤー=男」の価値観でプレイする事を前提に作られているからではないかと私は思いました。男性キャラはまだバリエーションが豊富なのですが。
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Unknown (シトラス)
2010-02-22 21:26:14
ゲームに関しては小さな人物が大きな相手を倒すという「意外性」でもありますが、筋肉質<<<優男or少女が逆に常識になっていますからね。
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ひねくれ介護員より (介護員)
2010-02-22 21:45:48
かつて、暮らしの手帳の
編集長故花森春治氏が、コラムに書いてました。
ものみな悪くなりにけり。
彼の好きなウスターソースが、いっのまにか甘くなったと‥何でも子供向けに‥
いや‥豆腐やら醤油が‥当たり前の物が当たり前て無くなって‥詳しくは忘れるましたが、
何でも子供中心‥
話しは代わりますがね

雇用にまで幼稚は求めないにしろ

労働者には子供幼稚を求めるのはたしかです。
新卒うんぬんはいたさかたないが、物言わぬ労働者を。労働者の権利も不当な賃金環境に声すら上げない。ここから愚痴ですが、ヘルパー二級無しでも新卒やら若者は即悔悟員

ヘルパー二級終了しても
中年は‥雑用止まり‥
関係ないコメントお許し下さい。
若者やら女性の多い怪護労働怪は、一部を除いて子供の国!変なグループを作る
患者の怪護しながら主語オンパレード。
本当にスレ違い?コメント失礼いたしました。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2010-02-22 21:57:29
>介護員さん

 そう言えば「孤独のグルメ」という局所的に人気がある漫画では、日本のハンバーガーショップがガキくさいみたいなことを言っていたのを思い出します。社会全体として、そういう趣味なんでしょう。

>魚さん

 石川遼クンみたいなキャラクターを、国母選手にも(無自覚なまま)期待していた人は多かったでしょうね。あらゆる若手には「(大人の期待する)子供らしさ」が求められる、相手を受け入れる度量がないのかも知れません。

>貝枝五郎さん

 性的な要素ばかりが目の敵にされる一方で、「子供らしさ」の押しつけ、「子供らしさ」を売りにすることには全くの無批判ですからね。だから各種の規制の声は、人権と言うより、性的なものへの忌避感から来ているようにも思えるわけです。

>胸スカさん

 ある意味、性的な目で見るのはその人の性的魅力に対して敬意を持った態度と言えると思います。逆に相手を子供扱いするのは、まったく以て敬意を書いた行動ですからね。むしろ後者の方が問題があるような。

>kurosukeさん

 「かわいげがある」「可愛い」ってのは褒め言葉のようでいて、一方で侮りのニュアンスもある、それでいて「可愛げがない」のは好意的には見られない、まぁ難しいものです。

>金魚草さん

 日本のRPGならぬエロゲーなんかでも顕著に感じるのですけれど、ヒロインは「性欲」ではなく「支配欲/独占欲」を満たせるように作られている気がしますね。都合の良いヒロイン像、各所で「子供」のキャラクターが求められるのは、それが支配しやすい相手だからなのかな、と。

>シトラスさん

 マッチョは登場しても脇役、三枚目の役回りですからね。最近ではリメイクもされたDQ6のハッサンとか、ゲーム内では圧倒的に強いマッチョもいますが、ストーリー上は主人公でもないですし。
返信する
子供で遊ぶことに熱狂する変態 (GX)
2010-02-23 09:41:05
 とは、私のことでしょうか。(笑)私もフリーのRPGを制作してますが、主人公のパーティーはみんな十代ですから。(ただし、彼らを支える大人のNPCは存在する。)非国民さんの例に挙げたスポーツ選手や子どもに向ける目は私もよく思っていないのですが、RPGでの視点は盲点でした…。私の場合はRPGはストーリー性を求める方なので、主人公が少年だろうとマッチョだろうと、操作しているのは自分でも、傍観者としての立場をとっていますので、そういう風に考えたことはありませんでした。(と書くと、無責任っぽいな…。)

 子ども店長に関しては見世物にしているとか、子どもをだしに使っているとか思っており、私もよい印象を持っていませんでしたが(本人に罪はない、というより被害者のようなものなのに申し訳ないですけど。)、なんだかそれだけでは腑に落ちないものがありました。ですが、皆さんの投稿も見て、「大人が求める子ども像」を売りにしていることも、それの原因なんだと思いました。

 子どもに限らず、私はこのような「こうあるべき」に抵抗を持っています。もう昔の話なのでうろ覚えで細かいところが違っているかもしれないですが、映画「シュレック」の監督が主人公を緑色の怪物に、ヒロインの姫をカンフーの使い手に設定したのは「お淑やかなお姫様をいつかかっこいい王子様が迎えに来てくれる」という物語を通じて「こうあるべき」という考えを人々に押し付けているような感覚に抵抗があり、主人公が醜くてもいいじゃないか、ヒロインがお転婆でもいいじゃないかという思いを込めて、この設定をつけたと言います。そのインタビューを読んで以来、私も「こうあるべき」みたいなものについて、考えるようになりました。
 「○○は××なものなだ」という言い回しは、あらゆる創作物に登場する台詞ですが、この手の台詞が出てくる度に「大多数はそうかもしれないけど、少数派のそうじゃなかった場合はどうするんだよ」と内心突っ込んでしまいます。(内容次第では「っていうか、それお前だけだって。大多数がそうであるかのように言うなよ」と続きますが。(笑))ですので、Fate/Stay night(ゲームは未プレイ。アニメは全話視聴して、漫画版は3巻あたりまで読んだ。)の葛木先生の台詞「例外は常に存在する。」に納得すらしてしまったくらいです。
 そういうことですので、先のゲームの主人公たちも「こうあるべき」から離れたキャラ設定にするか、あったとしてもネタにしたり、否定的なものとして描いています。後は現実的な性格にするとか。「子ども店長」的キャラにも抵抗が存在するため、そのイメージからかけ離れたような子どものキャラも登場させました。そんな風に工夫をしているのですが、やはり、非国民さんのおっしゃるような関係が存在する限り、こちらが意図せずとも、そういう風になってしまうのでしょうか。なんだか、本エントリーについて話しているのか、ゲームの制作についての相談なのかわからなくなってきましたが、以上です。
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