非国民通信

ノーモア・コイズミ

犠牲が望まれているから

2008-06-02 22:30:34 | ニュース

 先日は旧式のクラスター爆弾を禁止する条約に日本まで署名したわけで、これを快く思わないウヨが大騒ぎしています(「右翼」と書いてしまうとごく一部の例外的にまともな右翼も含まれてしまうので、「ウヨ」と書きますね)。まぁ新型のクラスター爆弾は相変わらず使える訳なのですが、しかるにこの旧型の禁止がウヨにはどうしても我慢ならないようで、その辺はどうしてでしょうかね?

 旧式だと多くの一般市民を犠牲にしてしまう可能性がある「のに」と考えると、双方の溝は永遠に埋まらないような気がします。道筋を作るためにはこう考えた方がいいのではないでしょうか。つまり彼らは、旧式だと多くの一般市民を犠牲にしてしまう可能性がある「から」旧式のクラスター爆弾に固執するのだと。後付の理由はいくらでもありますが、民間人を犠牲に巻き込む可能性が低い新型ではなく、より危険性の高い旧式を彼らがを好むのは、要するにそういう性向を備えているからです。彼らは犠牲の少ない方法よりも犠牲の大きい方法にこそ、より深い異議を感じるのです。

橋下知事、初の団交出席 職員「私たち悪いことした?」(朝日新聞)

 「私たち、何か悪いことをしたでしょうか」――。大阪府の352億円にのぼる大幅な人件費削減案をめぐり、橋下徹知事は2日、職員労組との初めての団体交渉に臨んだ。職員からは切実な訴えが相次いだが、橋下知事は「今回は緊急避難的にやむを得ない」と理解を求めた。

 構造改革だの行財政改革だの経営改革だの、色々といかがわしいものは枚挙にいとまがありません。そのいかがわしい代物の目的が仮に適正なものであったとしても、そこで追い求められているものは何なのでしょうか? 少なくとも、掲げられた目標に達することではないでしょう。目標を果たす見通しなど立たずとも、それは一定の条件を満たせば支持を集めますし、目標を果たせずとも支持されてきたはずです。結果よりも過程を重視?

 それが支持を集めるための共通項は「犠牲」でした。誰かに犠牲を強いること、この生贄を捧げることで国民なり府民なりのヒステリックな支持が集まったわけです。国民を犠牲にすれば国民の支持は集まりました。理想はどこにあったのか? 誰一人として犠牲にしない改革でしょうか? それとも、誰かを犠牲にすることで成り立つ改革だったでしょうか? 迷うことなく選ばれ続けてきたのは、後者です。

 何かを成し遂げるためには、何かを犠牲にしなければならない、そう信じられている社会では、何かを成し遂げるために何かを犠牲にすること、それが当然のこととして躊躇なく受け容れらるものです。改革を成し遂げるためなのだから、犠牲は当然のことだと確信し、そこに犠牲を厭う気持ちなどありません。そしてそこに犠牲が存在しないのならば、同時に改革もない、犠牲を作らないことは改革を進めないことを意味するものであり、なんとしても犠牲を作らねばならない、そう信じて犠牲なり「痛み」なりを追求してきたのが日本の向こう7年であり、大阪であり、それを追認する人々です。

 何かを成し遂げることと何かを犠牲にすること、両者のトレードオフでしか物事を考えられない人にとって、何ら犠牲を強いることなく何かを成し遂げることなど考えられないことであり、受け容れがたいことでもあります。公務員であることが罪であるという「原罪」を贖わせることなくして改革などあり得ないと人々が考えるように、国民を犠牲にすることなく国を守る(何から?)ことなどあり得ない、そう考える人も少なくないわけです。そしてそう考える人にとって好ましいのは、より多くの犠牲を生み出す兵器であって、犠牲を少なく済ませる兵器ではない、心情的に共感できるのは新式のクラスター爆弾ではなく旧式のそれなのです。誰かが死なない限り自分達は救われないと、そう盲信するのが日本の宗教なのです。

 

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-06-02 23:15:09
「何かを成し遂げるために何かを犠牲にする」のならまだしも(それにしてもあまり良くはないですが)、次第にその辺りがごっちゃになって「何かを犠牲にする」事が目的化してしまうのが最悪のように思われます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-02 23:46:57
>ノエルザブレイヴさん

 そうなんですよねぇ、トリアージ云々の回でも書いたわけですが、「何かを犠牲にする」この方が次第に必須の条件のように扱われ、その犠牲が目的化しているフシは既に見受けられると思うのです。
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Unknown (bou)
2008-06-02 23:53:15
財源ないんだからコスト削減でしょw。府資産は価値毀損で取得価格の10%も満たないだろうから、処分しても改善効果は微々w。なら行政コストを見直す必要あるでしょ?行政コストは人件費が大半。そこを切るしかないでしょうねぇ。あのさ、それ以外に財政を再建できる方法あるの?
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Unknown (abcd)
2008-06-03 04:03:45
>新型のクラスター爆弾は相変わらず使える訳なのですが、しかるにこの旧型の禁止がウヨにはどうしても我慢ならないようで、その辺はどうしてでしょうかね?


まあ、「新型」の条件では対人地雷の代わりとして採用した本来の意味がなくなってしまうからだと思ったがね。
お金も凄くかかるし。
「一般市民を犠牲にしてしまう可能性」などより損失が余程大きいというソロバン勘定。

そのような知識など関係なくても、中国や韓国が無視してるのに日本が真面目にやっても無意味、という印象がブログ主の言う「ウヨ」のもつ感想ではないかな。



>彼らは犠牲の少ない方法よりも犠牲の大きい方法にこそ、より深い異議を感じるのです。


このへんの心理分析は正否をつけようがないし自由にやれば良いと思うが、個人的には妄想だと思うね。
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理念的にただしい右翼と接合点を見出すためのヒント (貝枝五郎)
2008-06-03 08:58:29
私自身は国民国家というフィクションに何ら共感しませんし、管理人さんも同感でしょうけれど、理念的にただしい右翼との接合点を見出すためのヒントになりそうなブログがありますのでご紹介します。

「原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ」
http://blog.goo.ne.jp/shiome/

たしかに、きちんと筋道だてて考えてみれば天皇制など本質的にはトコトンくだらなく、国民国家という制度以上にくだらないので、『インパクション』(インパクト出版会162号)186ページの「『皇賊新聞』インタビュー」や189ページの反天皇制運動連絡会・水島たかし氏のきじに共感するところですが、戦略・戦術上では御用ウヨクはともかく理念的にただしい右翼との妥協点を見つける必要にかられるかもしれないので、参考までにどうぞ。
もちろん、戦略・戦術上の妥協が必要ない場では天皇制に対する反論に特化した『運動<経験>』(奇跡社)や国家主義者・佐藤優を批判する連載「それからの『外務省のラスプーチン』佐藤優外伝」を載せている『紙の爆弾』(鹿砦社)に共感をいだくのですが、内心の自由と戦略・戦術上の妥協とはかならずしも矛盾はしないでしょう。
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ウヨと右翼 (単純な者)
2008-06-03 12:32:06
こんにちは。

本論にはいつもどうり賛成同意します。
下敷きのウヨと右翼の件を考えていました。
先ず本来の『右翼』とは。

幕末に「天誅」とか「勤王」とかを叫んだり担いだりする「勤王」志士たちが。維新後には復古「神道」が一時勢力を持ちますが、殖産興業と富国強兵の近代化路線により片隅に追いやられます。言論弾圧の『皇国史観』も後にホニャララ団の内部統制に使われる『家父長制』も一応この辺に端緒が現れるのではないでしょうか。また、明治政府が敵である幕府を否定し自分たちのテロを正当化し賛美する教育を行っているわけですから、ある意味『明治朝』に継承される現代でも歴史観などの観念面では引きずっているものが多い。

清に優勢のまま3億円(当時の国家予算の数倍)の大賠償金を得て日本社会に中国蔑視の気風が。東アジアに対する排外主義の源流になったという理解もあります。

大正期以降、リストラ政策にストレスを感じた軍部(鉄砲を持った官僚)がお得意の『仕事を作る』為に満州に進撃した過程で、社会の疲弊を国家社会主義で解決しようとした民間の政治活動は北一輝の国家改造論としても有名です。
一方では『金権』『利権』に群がる別流の「右翼」が戦間戦中、更には敗戦の混乱「隠匿旧軍事資金・物資」を通して現れる。これらがCIAの戦犯岸(シンゾーの誇るべきお爺ちゃん)を政界に遊泳させ政権の座に押し上げた際にも使われたとも云われる。

この過程で特徴的にはこの『金権』『利権』方式に利用価値を見つけたホニャララ団が政治結社化して合流?したこと。政治活動の資金稼ぎじゃあないのだろうかという話しは面白いので十分拝聴した方が更に面白い。

政府与党・一部野党に食い込む形で「日本会議」が。これについてはお詳しいWebサイトもあるようですから省略します。

要するに右翼というと何か麗しい思想信条と行動規範をイメージする方はずーと前半の現れ方によって現在を混濁して誤って理解されている為ではないでしょうか?

では。
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ご紹介にあずかり (nakayosi)
2008-06-03 13:44:13
弊日記のご紹介に感謝申し上げます。

国政の堕落をそのままに府や県が幾ら革命と言ったところでしわ寄せは府民・県民にかかるしかないのが常識と思ってます。全体の奉仕者としてコームインサマ達の道徳に期待してるのですが茨城もヒドイです^^
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Unknown (kama)
2008-06-03 15:22:54
支配者の都合で手を変え品を変え生贄が作られ、それを歓迎する一般庶民って構図は古今東西続いてますよね。
その意味では人間の本質を衝く政策と言っても良いわけで、だからこそ連綿と引き継がれ且つ成功するんでしょうけど。
それに抗える冷静な判断力を仮に持っていたとしても圧倒的な同調圧力に打ち勝つ自信は・・・無いなぁ。
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錬金術? (黒尼)
2008-06-03 15:51:01
何かを得るのには、それと同等の価値の代償を支払わなくてはいけない。
と云う理屈は子供には理解しやすいですからね。
そこで考えがストップしてしまって「だから自分たちの言ってることは正当(フェア)だ」って理屈に行きやすいのでしょう。

「鋼の錬金術師」における錬金術の定義ですね。
実際には同等の対価どころか、その何十倍何千倍の対価を払わせられてしまうのですが。
死んだ者は生き返らず、壊れた街は蘇らない。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-03 23:08:56
>bouさん

 残念、現実の大阪府の財政事情は君のお花畑の中とは違って、そんなジリ貧でもないんだ。ただ危機的状況にあると信じたい人が押し寄せているだけなんだよね。

>abcdさん

 じゃぁ、君たちが犠牲の少ない方法よりも犠牲の大きい方法を常に選択するのはどうしてなんだい? 好きだからでないのなら、損得や利害の計算が出来ないからかな?

>貝枝五郎さん

 御紹介を毎度どうも。一目で判断できるものでもなさそうですので、私の判断は差し控えさせていただきますね。

>単純な者さん

 端的に「右翼」と言ってしまいますと、必ずしも意図した範囲を指し示せないのですよね。仰るような歴史的経緯を継いだ正統派の右翼もいれば、政界と結びついた利権団体みたいな右翼もいれば、昨今では主流になりつつある電波?ウヨなど。個人的に評価している鈴木邦男さんなんかは右翼ではなく「民族派」を称しているようですが、民族派と言っても怪しいのばっかりですし、この辺の使い方は迷うところです。

>nakayosiさん

 勝手ながらひっそりリンクを貼らせていただいております。それはさておき、結局のところしわ寄せは府民、県民に。悪者探しに奔走する人もいますが、肝心の問題解決にはかけ離れるばかり、と言ったところでしょうか。

>kamaさん

 犠牲者が出るのが好きなんですよね、国民の側が。そして誰も犠牲にしない方法など検討される前から排除されてしまうわけでもあります。これを脱するには国民の側が賢明にならなくては、というのがいつもの持論ではあるわけですが、ヒステリックな同調圧力の方が圧倒的ですね……

>黒尼さん

 「鋼の錬金術師」は寡聞にして読んでおりませんが、まぁ何事も差し引きゼロになるわけではないもので、何かを犠牲にすればその分だけ全体がプラスになるはずもなく、全てがマイナスになることもあるわけですよね。そしてその逆もあるはずなのですが、何かを犠牲にしないと何かを得られない、そういう考え方は根強いようです。
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