派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官(読売新聞)
坂本哲志総務政務官(自民、衆院当選2回)は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」と述べた。
さらに、「『(厚生労働省の)講堂を開けろ』『もっといろんな人が出てこい』(と要求される)。学生紛争の時に『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』(と学生が要求した)。そういう戦術、戦略がかいま見える気がした」と語った。
ほとんどの新聞がこの発言を取り上げていますが、どれも同じ様な報道です。産経は社説で別途、訳のわからないことを曰っていたようですが、本記事自体はどこの新聞社も同じ、ただ発言を伝えるのみです。とりあえず、ポータルのランキングでは読売がトップに来ていたので、読売から引用しておきますね。
さて、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」そうです。無神経な発言です。愚かな発言です。組織の一員として、組織のイメージを大いに悪化させるような発言でもあります(民間企業でこれをやったら懲戒処分は確実ですね)。思慮のなさが如実に表れています。
もちろん、「まじめに働こうとしているのか」これは恣意的に判断されます。概ね自己申告は受け容れられず、結果から類推されますね。結果的にしっかりした職に就いた人は「真面目に働こうとした」結果と判断され、ろくな仕事に就けなかった人は「真面目に働こうとしなかった」結果と判断されるものです。こうした判断の機会を与えることは、切り捨てる側に正当化の口実を与えるだけです。
後に坂本氏は「実態をよく把握しないまま発言した」と釈明したそうですが、問題はそれだけではありません。もう一つ、坂本氏やその擁護者が知っておくべきことがあります。
参考、立ち上がらない日本
上のリンク先では、中国で起った民衆暴動を例に挙げています。その行動力に感嘆する人もいれば、本当に義憤に駆られて行動したのは一部で、大半の暴動参加者は火事場泥棒みたいなものだろうと語る人もいました。それがなにか? デモでも政治運動でも革命でも、成功した事例とはそういうものなのです。深刻な顔をした人だけしか参加できない運動ではなく、お祭り気分で参加できること、それこそが開かれた運動であり、成功するための条件なのです。
坂本氏は派遣村を往年の学生運動に擬えています。まぁ最終的には敗れてしまったわけでもありますが、当時の学生運動は昨今の労働運動や左派の政治運動とは比べものにならない、大きなうねりであったわけです。何故、当時の学生運動は力を持ち得たのでしょうか? そうです、本気で社会を変えようと己を捨てて運動に身を捧げるような、そんなマジな人だけではなく、周りが盛り上がっているから自分も参加しようと、そんな軽い気持ちで参加した人がいたからです。
ところが、そういう運動ではいけないと、我々の社会は信じるようになりました。お祭り気分の軽い参加は不謹慎、崇高な理想をもって、献身的に努めるのが社会運動だと、そう「普通の人々」が思いこむようになったのが現代です。この傾向はむしろ、坂本氏や追従者などサヨク嫌いにこそ強いものでもあります。彼らは労働運動や社会運動、救貧活動が「崇高な」ものだと信じています。それゆえにこそ、眼前に起っている現実の運動は彼らの理想からかけ離れた卑俗なものに映るわけです。あんなものはゴネているだけ、左翼による政治利用だ、偽善だ、甘えだ…… 彼らは間違っています。「真の」運動とはそんな高貴なものでも崇高なものでもありません、そんな敷居の高いものではないのです。「真の」運動とは卑俗で欲得ずくの、ハードルの低いものなのです。
「本当にまじめに働こうとしているのか」それを問うことが根本的な誤りです。運動の敷居を上げたがる、サヨク嫌いの典型的な発想です。「本当にまじめに働こうとしているのか」そんなものは関係ありません。真面目に働こうとしている人にも、そうでない人にも等しく門戸を広げていることが重要なのです。弱者として認定された人だけではなく、認定されない人も参加できるからこそ、派遣村は価値があるのです。
それはそうと、坂本議員は、世襲代議士でもないし、地方新聞の記者を長くつとめ、県会議員も長くやったりと、それなりに貧しい者の現状については知識があるはずなんですよね。それがこのざまではどうしようもありません。
今は亡き松岡俊勝を同じく国会に送り出した有権者でもあることに呆れてしまいました。
やっぱりここの有権者の本音は坂本妄言と同じなのかと。
そこで「努力しないからこうなった」→「こうなったからには努力していないに違いない」ですからね。そう、印象づけようとする意図もあったのでしょう。
>山下さん
そうですね、ホームレスの役に立てたなら何よりですが、ボランティアの手の届かないところにいる元派遣の失業者は政府からほとんど無視されていますからね。
>Bill McCrearyさん
朱に交われば赤くなると言いますか、今の自民党にいると、自分の都合の良いものしか見えなくなってしまうのかも知れませんね。歴史だけではなく、目の前で起っていることをも修正してしまうのが習慣化しているのでしょう。きっと。
>観潮楼さん
犬が去って豚が来る、でしたっけ。人の首をすげ替えただけで何かを変えたつもりになってみたものの、実際は同レベル、名前が変わっただけですね。次の選挙でもこの人が当選するようなら、地元有権者の資質も問われますね。
しかしなぜこんなこといったのでしょうか。知事とか元幕僚長とかキャスターとかを見て「今は毒舌でサヨクや体制批判する奴の悪口言っておけば人気が出る」とでも勘違いしたとしか思えないです。
貧者にもヒエラルキーがあると主張する人間がいるのは想定外でした。
私から言えるのは、あの派遣村で食事や休息の恩恵を得た彼らが何者でなぜああゆう事態に至ったか?を詮索するより、あの人達が安心を得られた事実に関しては素直によかったという感想しかありません。
皆が無視してるから、こんな大事にしてしまった事実をちゃんと直視し、どうしたら無くしてしまった方がいいでしょう。
・・・つか、貧困村主催者である湯浅さんも著書でそう言ってんだけど?
坂本氏は政務官という公職に就いているのに「本当にまじめに働こうとして」いなかったわけですね。
そんな輩が派遣村の失業者の就労意欲を云々するとは鉄面皮にも程がありますねぇ。
労働が人間の必須条件であるならば、まじめに働いてさえいればそれでいい仕事があってもいいと思うんですが、日本では「仕事に就かない人間はクズだ!ただし、雇ってもらえなくても自己責任。」ですからね。しかも、どんな苦しい条件でも絶対服従。さらに自分では「まじめに働いて」いても雇用者側がそう判断しなかったり、考えが合わなかったりした場合は、クビにされたり、叱責が飛んできますから。(この前お話した「意味の分からないルールでも間違ってると判断する社長さん」とかね。)どうせーちゅうねんと突っ込みを入れたくなります。
ちなみに、特権階級こそ「親が就いていた職を受け継いだだけ」ということが多かったりします。これ自体は別にどうとも思いませんが、(ただ、適任でない場合は、おとなしく脛齧っていただいた方がいい気も・・・。)この人たちが「ろくに努力もしてない。」と責められることはありませんね。その反面、学生運動とか社会を変えようと「努力」している人もいるわけですが、そういう「努力」はこの手の人たちは「わがまま」と切って捨てているようです。