非国民通信

ノーモア・コイズミ

いはんや悪人をや

2009-01-07 22:49:19 | ニュース

派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官(読売新聞)

 坂本氏は地元の熊本県では厳しい経済状況の中で助け合っているとしたうえで、派遣村のあり方に触れた。

 昨日の続きです。かの「派遣村」について「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」と発言した件の続きです。昨日は新聞記事の前半部のみ引用しましたが、今日は後半部分です。やはり「本当にまじめに働こうとしている人~」という発言の方が注目を集めていることもあって、地元の熊本に言及した部分は読売新聞が簡潔に伝えるのみ、ただインパクトは弱いながら、これも立派な妄言です。

 坂本氏に言わせれば、熊本県「では」厳しい経済状況の中で助け合っているのだそうです。すなわち、熊本では助け合っているが、眼前の派遣村は違うと、そう言いたかったのでしょうか。派遣村だけではなく熊本「でも」助け合っている、と語るのではなく、派遣村を否定しながら、それに対置するものとして「熊本では」と持ち出して来たわけです。熊本では助け合っている、しかし派遣村は助け合っていない、坂本ビジョンでは、そういうことになっているようです。

 幸いにして貧困化から免れているボランティアの人が、寮さえ追われた失業者の相談役となり、彼らが無事に年を越せるよう奔走する、(渋々ながらとはいえ)官公庁も失業者に寝場所を提供する、私のような凡人からすると、これが助け合いでなければ何なのかという気がします。しかし、坂本氏に言わせれば、助け合いとは熊本で行われているようなことを指すのであり、派遣村で行われていることは該当しないようです。「助け合い」とは何なのでしょうか?

 熊本に失業者がいないという話は聞きません。東京では生きていけないが、熊本なら助け合って生きていけるとか、そういう話も聞きません。むしろ地元では仕事がないからと上京してきたケースの方が思い当たります。

 たぶん坂本氏にとって、「助け合っている」とはすなわち、住民の間だけで完結していることを指すのでしょう。つまり、他所から集まったボランティアと関わりを持たないこと、それ以上に重要なのは、公的支援を受けることなく生活していることです。「公的支援を受けない⇔住民の間で助け合っているので、公的支援は不要」「公的支援を受けようとする⇔国民同士で助け合っていないから公的支援が必要」と、そんな風に考えているのだと思います。言うまでもなく、助け合いの結果として公的支援が不要な地域など実在せず、公的支援が受けたくても阻まれてしまうがゆえの「公的支援を受けない」なんでしょうけれど。

 そして坂本氏は、派遣村の在り方ではなく熊本を評価しています。つまり、住民が公的支援を要求する在り方ではなく、公的支援が要求されない(要求されていても、容易く却下できる)状態を是としているわけです。公的支援を求めるのは正しくない、住民だけで何とかすべきだ、国民は政府の手を煩わせるべきではない、そう考えるが故に、派遣村と違って大規模な運動の存在しない熊本を「あるべきモデル」として引き合いに出さずにはいられなかったのでしょう。

 

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13 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2009-01-07 23:24:19
「反社会学講座」に「渡る世間は自立の鬼ばかり」という章がありまして、そこで「自立」を絶対視する風潮が批判されていた記憶がありますが、この政治家氏も自立の鬼に取り憑かれているのでしょうか(しかもそうであるのは彼だけではなさそうな)。
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差別より悪質なるモノ、それは無関心 (ふみたけ)
2009-01-08 00:16:14
冷静に坂本政務官の発言を紐解くと、熊本の農村部にかつてあった共に分かち共に支えあう共同体の記憶を持つ政務官には、派遣村の人達が切迫した事情から数々の要求をしていく姿に違和感を感じていたように考えます。
この問題、諸悪の根源は派遣村に集ったであろう救われるべき人達に対する無関心から、共感よりも違和感に対する嫌悪が先んじた事実ではないか?と感じます。
政務官の事例もそうですが、派遣村という事象が一種のリトマス試験紙のよう社会に作用し、多くの事実が露呈したように思います。
その中で『一つの不幸は哀れむ事件だが、幾多の惨劇は当事者達の堕落』と断ずる無関心極まる言葉には、私は心から怒りと腹立たしさを感じています。
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だめだこいつは (観潮楼)
2009-01-08 00:18:14
昨日のラジオで上杉隆がやってくれました。
「国がもっと早く手を打てばこんなことにならなかった」と結論づけたものの、
前段で「国がここまで支援したら地方でも同じくやらないとと際限が無くなる」、
「どこかで線引きが必要になる」とほざいてました。
定額給付金だって線引きできないのにどうやってできるのかわかって言ってんの?
他にも「大村副大臣の対応は早かったほうだけど国がもっと早く(ry」と
言うことがとっ散らかってました。
こんなのを『気鋭のジャーナリスト』と持ち上げる向きもあるから救いようがありません。
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Unknown (不備)
2009-01-08 00:25:10
 民主主義国家の政治家が自己否定的に社会サービス享受を否定し、ネットの「一部」の論調でも、生活保護を受ける側を「怠け者」「社会の悪」と罵倒しますが、健康保険をはじめ、せっかくある互助システムを使うことを否定するなら、日本で生きている意味がある人などいなくなってしまいますよね。

 人間誰しも失敗したり、思わぬ事故にあったり、予期せぬ不幸に襲われたりして、不利で悲惨な状況に陥ることもある。そんなときにまた立ち上がるためにこそある制度、互助システムである社会保障、ということすら理解できない愚か者たちが、盛んに弱者を罵倒する構図は醜い限りですが、どうもこのところの派遣村批判のコメントはいわゆるコピペめいた愚論ばかりであり、意図的な扇動を感じるものもあります。
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大衆の支持 (JOHNNY)
2009-01-08 02:38:18
坂本氏の発言も去ることながら、ネット上に撒き散らされる賛同のおびただしいこと!
彼、次の選挙も安泰ですな。
昨今の、弱者がより弱者を叩いて溜飲を下げる構図からすれば、政権与党は困窮者をより切り捨てる方が支持率回復への起爆剤となるのでは
?と皮肉ってみたくもなります。
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まじめに働く人たちへ (タガメ太郎)
2009-01-08 10:51:25
まじめに働く人間の権利を主張するのは、まじめに働く人間の首を絞めやすくするという見本ですな。「まじめに働く」は敵の土俵ですから。

まじめに働くのやめましょう。
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「美しい日本」の亡霊か? (紅葉修)
2009-01-08 16:46:25
彼が地元の熊本という「地方」を比較に出したのは、
地方には地域社会や隣近所における相互扶助という「美しい日本の伝統」が息づいていると信じているという側面もあるような気がします。
(実際は収容力の低い地方のほうがセーフティネットの崩壊が著しいと感じるのですが、彼には有権者の声は聞こえていないのでしょうか?)

日本人は地域で支えあってゆけるという美徳を思い出すべきだ、隣組を復活させようなど、さらなる妄想・妄言につながる気もします。
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真面目に? (介護員)
2009-01-08 19:33:27
まじめに?働いて?年収百五十五万ですが?
まじめに雇う気ありますか
まじめに賃金払う気ありますか
まじめに、賞与付ける気ありますかまじめに昇給する気ありますか
まじめに退職金付ける気ありますかまじめに正社員にする気ありますか
まじめに、スキルアップの訓練まじめに、育てる&教育する気ありますか
雇用差別無くす気まじめにありますか、
年齢性別差別無くす気ありますか
それから言えよ
贅沢したいんじゃ無‥俺はしたいね正月海外で
正月温泉で
何時も毎年行く人々居るんだろ?
たまには交代しろよ、
コンサート映画演劇落語‥何年も行って無から
行かなくても死にはしないが、心が腐れるね~
贅沢だ~何がだよ飽きる程してる奴いるだろうが
まじめに、生存権犯していながらよく言うね
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Unknown (GX)
2009-01-08 20:04:55
 坂本総務政務官の言う「助け合い」とは。足りなくなったお醤油を他人に分けてあげるとか、近所の人たちとの付き合いを大切にするとか、「サザエさん」的コミュニティのことでしょうか。確かに上記の例は住民間で何とかなりますが、認知症の方や今回のホームレスになった人々の援助とか、どうしても行政の力を借りなくてはならない場合は多々あるはずなんですがね。しかも、「仕事に就いて働け」やら「給与の低化」で助け合うための余裕や資金すら少ないというのに。
 あと、「田舎信仰」があるのではないかと疑っています。熊本の方には失礼で申し訳ないのですが、東京と熊本では熊本の方が田舎。よって、熊本の方がいいとも・・・。
 ともかく、生活保護等の支援を受けないことが望ましいようです。
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これはいい判定紙ですね (熊蔵)
2009-01-08 22:29:55
 本当にこの派遣村の事例は、多くの言論人・政治家の世界観を知る手掛かりになりますね。
 徹底して、困窮した人の過去を探ってはあらを見つけ「あのときこうしておれば、このときそうしておれば。」という人のなんと多いことか。確かに貧窮した人にもある程度の落ち度はあるでしょう。しかしだからといってその人が人としての尊厳を失って生命の危機に陥っても良いなどということはできないはずです。
 無能が最大の悪徳とされるのは、戦乱状態の乱世であって「民主政国家日本」ではそうであってはならないはずです。
 先日TBSラジオの「アクセス」という番組を聞いていたのですが。そこで田中康夫が
http://www.tbsradio.jp/ac/
「湯浅さんの純粋な思い」とそれに似つかわしくない光景という描写をしているわけです。でもそもそも何か世の中の動きがあるときに聖人のような意志を持った人だけで成される場合などあるのでしょうか?何だか了見が狭いな、とがっかりしてしまいます。
 ステレオタイプな「望ましい貧者像」というものがあって、それに合致しない者は救済の対象にすらならないという意識、そんな者が中傷じみた評論をする人の心中に渦巻いている気がします。
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