非国民通信

ノーモア・コイズミ

朝日の辞書に反省の文字はない

2014-10-07 21:57:55 | 社会

 戦前の朝日新聞社が開戦気運を率先して煽り立てていたことは広く知られています。決して朝日新聞だけの力で戦争が始まったわけではないにせよ、そこへ積極的に荷担していたことは否定できないはずです。そして自らが先を争って煽り立ててきたことの「結果」に対して、朝日新聞がいかなる態度を見せてきたのかは問われます。悔い改めて轍を踏まないように努めているのか、それとも形だけの反省の弁を述べるに止まり、相も変わらず悪質な煽り記事を乱発しているのか、審判は安易に終わらせるべきものではありません。

 

(天声人語)国民安保法制懇が報告書(朝日新聞)

▼法制懇メンバーで元内閣法制局長官、大森政輔(まさすけ)氏の舌鋒(ぜっぽう)は鋭い。発表時の記者会見で、閣議決定を「まさにまやかし」と断じた。今回の憲法解釈の変更は「内閣の権能を超えており、無効といわざるをえない」という立場だ。「法の番人」のOBとしての矜恃(きょうじ)が伝わる▼橋本、小渕両内閣で長官だった。当時、「総理、これは無理です」と意見をいえば反論はなかったという。

 

 ……この辺は集団的自衛権を巡る安倍内閣の「解釈の変更」を問題視しているつもりらしく、元内閣法制局長官の発言が援用されています。まぁ大森政輔氏の言葉には概ね納得するところです。しかし、内閣法制局長官のような官僚の言葉など聞く耳持たずに議員(内閣)が一方的に決定を下す、これは朝日新聞も大いにヨイショしてきた民主党の政治主導の理念をまさに体現しているのではないでしょうか。日頃は官僚側の主張を全否定してきた人々が、いざ自分の気に入らない決定が政治主導で決定されるや、態度を翻して官僚の抗弁を論拠に持ち出して自説を補強する、こういう態度は率直に言って卑劣だと思います。

 

(政治断簡)悲観論に今こそ耳を 編集委員・前田直人(朝日新聞)

 「『やれば出来る』は魔法の合いことば」。当時の小泉純一郎首相が所信表明で、その夏の甲子園で準優勝した愛媛県・済美(さいび)高校の校歌の一節を引いて訴えた。「やればできる。勇気と誇りを持って、日本の明るい未来を築こうではありませんか」

(中略)

 安倍氏が所信表明をした9月29日の夜、小泉氏は東京での脱原発イベントに出演した後、怒りをあらわにした。

 「私、しょっちゅう言ってるじゃないですか。総理に。原発ゼロ、なんで進めないのか、こんないい時機ない、と。恵まれている総理だぞ、と。できるのに、なぜやらないのか」

 小泉氏が安倍氏に「やればできる」と訴えるのは、原発を再稼働せずに原発ゼロへカジを切ること。だが、安倍政権は、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働を粛々と進める構えを崩さない。

 

 朝日新聞が民主党と並んで露骨に好意的に扱ってきたのが、この小泉純一郎です。その辺にも朝日新聞の無責任な煽り体質がよく現れていると言いますか、国民を戦争へと誘導してもその結果に対して決して責任を負わないように、小泉改革を賞賛して来た一方でその「結果」を省みようとする姿勢は微塵も見えません。どちらかと言えば小泉政治によってもたらされたものに対してはネガティヴな報道の方が多いかに見える朝日新聞ですけれど、その根源にまでさかのぼることはなく、適当に自民党政権のせいにしておけば良いとばかりの丸投げぐらいがせいぜいなのですから、呆れるほかないですね。

 さて今回は済美高校の校歌の一節を引いて訴えた云々とのこと。済美高校といったら安楽智大投手の常軌を逸した酷使や、下級生にカメムシを食べさせたり灯油を飲ませようとするなどのイジメ行為で名高いところです。これが小泉と朝日の思い描く「日本の明るい未来」なのでしょう。まぁ、負の側面に目を向けさせないようにして流行のものを無批判に称えるセンスという点で、小泉純一郎と朝日新聞はソリが合うのかも知れません。ともあれ「原発ゼロ、なんで進めないのか、こんないい時機ない、と。恵まれている総理だぞ、と。できるのに、なぜやらないのか」等々と発言が引かれているわけです。

 「アメリカでは発言の自由が保障されている」「我がソ連でも発言の自由は保障されている……発言した後の自由までは保障しかねるが」と、こんなジョークもソ連時代にはありました。小泉が訴え朝日が賞賛する「やればできる」も同様です。確かに、やればできるのでしょう。しかし「やった後」は? 2011年以降の電力行政の誤りによってもたらされたものから目を背け続ける人もいます。電力は値上がりするけれども、それは全て電力会社が悪いことにしてしまおう、化石燃料の輸入が増えて貿易赤字も増大するけれど気にしない、温暖化ガスの排出量削減目標など知ったことではない、電力不足に伴う節電のためにシフト勤務を強いられたりする人も増えるけれど、そんなものは下々の話と、そう構えている分には「やればできる」のかも知れませんが……

 中国に侵攻するのもアメリカと開戦するのだって「やればできる」と朝日新聞は唱えてきたのでしょうか。確かに、だいたいのことはやればできるわけです。もっとも、やった先に起こることまでは保証されません。「やればできる」と無理を押し通した結果として必然的にもたらされる事態に責任を持てるかどうか、そこが問われるのではないでしょうか。小泉にせよ朝日新聞にせよ、国民を煽り立てるだけが専門で結果に責任を持つつもりは毛頭ない人々だけが、安易に「やればできる」と唱えることができます。しかし少しでも先のことを考えられる人であるならば、事態はそう簡単には済まないことを踏まえた上で発言するものです。

 結局のところ吉田調書報道では嘘を突き通せなくなったようで「誤報」と言い繕って謝罪するに至った朝日新聞ですけれど、原発事故絡みの煽り報道の先陣を切ったAERAはお咎めナシ、タチの悪いノンフィクション風フィクションで福島を忌避の対象に仕立て上げてきたプロメテウスの罠も継続、異なる基準値を意図的に混同させる記事で読者にあらぬ不安を植え付けてきた大岩ゆりが降格処分になるわけでもなしと、まぁ朝日新聞グループに反省の姿勢があるとは全く考えられないところです。結局、この新聞社にあるのはメディアとしての影響力を駆使して読者(視聴者)を自分の思うように誘導してやろうという奢りだけであって、良心など微塵もないのだろうなと思います。

 

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3 コメント

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Unknown (ときどき読ませて頂いてます)
2014-10-08 15:20:38
朝日新聞って、経済部と社会部でまるで別の新聞社みたいにカラーが違いますよね。
小泉氏が首相の頃は、経済面では彼の経済政策を持ち上げ、社会面ではけなすという具合。
結局は大企業ですから、財界とだって本気で喧嘩なんかするわけないんでしょうけど。
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2014-10-08 18:12:45
(もう言ったかもしれないですけど)私が今いる職場の偉い人は「リスクとベネフィットのバランスを考えて」と言うことが多いです。つまりリスクがこれくらいならば利を掴みに行った方がいい場面がある、小さなリスクを気にするがあまり大きな弊害を掴むな、ということであると私は解釈してます。行動を決めるうえではそうやって考えた方がいいのではないかと思うのですが、「あるかないか」「0か100か」「善か悪か」という風に二択的に考えた方が分かりやすく、ついそういう報道に走ってしまう、というのもありがちなことなのではないかなとも思います。

(客が求める(敵味方分けて敵をこき下ろせればすっきりする)から書く方も二択的な記事を書いてしまう、という側面もあるでしょうが)
Unknown (非国民通信管理人)
2014-10-08 23:09:19
>ときどき読ませて頂いてますさん

 まぁ無責任体質と言いますかマッチポンプと言いますか、「悪しき両論併記」のお手本みたいな新聞でもありますから。要するに煽るだけ煽っておきながら、一方では「批判もしました」というアリバイを用意して自社に逃げ道を作っておくような、そんな朝日新聞社の卑劣さの表れとも言えるでしょう。

>ノエルザブレイヴさん

 そちらの職場の偉い人の考えですと、朝日新聞社とは全く相容れないことになりますね。自身の気に入らないリスクを絶対視して程度の議論を拒んできたわけですから。

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