非国民通信

ノーモア・コイズミ

鰯の頭も信心から

2008-06-07 23:10:17 | ニュース

血液型本ヒットの裏にB型の存在--4人に3人が「血液型と性格は関係あり」 (マイコミジャーナル)

『B型自分の説明書』といった"血液型本"がヒットする中、ブロガー向け情報サイト「ブロッチ」などネットマーケティングを展開するアイシェアはこのほど、「血液型に関する意識調査」実施した。B型の4人に3人が「血液型と性格は関係していると思う」と高い関心度を示し、調査結果にもそれぞれの血液型の“性格”が表れた。

同調査は血液型による分析や占いがどれだけ浸透しているか、5月22日~5月24日の期間に20~40代を対象に男女別、血液型別で行い506人の回答を得た。

家族、友人、恋人……と人間同士の付き合いの間で、つい血液型が話題に上ることも多い。実際に、「血液型と性格に関係があると思うか」との問い対して、12.5%が「大いに関係があると思う」、56.5%が「多少は関係があると思う」と答え、合わせると全体の7割が「関係あり」とする。

 さて、果てしなく微妙な調査ですが、全体の7割が「血液型と性格に関係があると思う」と回答したそうです。ふむ、例えば日本のように国民の誰もが国歌を歌える国もあれば、「国歌の歌詞なんて知らない、歌えと言われても無理」という人が大勢を占める国もあります。同様に誰でも自分の血液型を知っている文化圏もあれば、「血液型?何のこと?」という文化圏もあるわけです(というより、後者の方が圧倒的に多いはずです)。日本の常識が世界の常識と思ったら大間違い、他所の国の人に血液型の話題でも振ろうものなら、「は? 血液型? 何でそんな話になるの? 怪しいカルトの人? 怪しい健康食品でも売りつける気?」とか、そんな風に警戒されそうです。

 血液型と性格の関係云々が何の根拠もない思いこみに過ぎないことは、とりあえずここの読者の間では自明のことだと思います。問題はこの血液型云々のように何の根拠もない風説であっても、全体(まぁネット調査ですから極めて疑わしいものですが)の7割の信用を獲得していることです。何の証拠もない疑惑、単なるデマであっても、7割ぐらいの人を信じさせることが出来る、そういう事例として考えてみましょう。

 いったいどういう条件の下で、それは信頼されるのでしょうか? 人が何かを「真実だ」「本当のことだ」と信じるに至るには、何が鍵なのでしょうか? 血液型の事例を見るに、必要なのは科学的根拠や統計資料ではなさそうです。それは例えばある種の健康食品や美容品の効能と同じで、信頼できるデータ、第三者が測定しても同じ結果が得られるような基準に拠っているわけではありません。それでも信頼されるのはなぜか?

 結局のところ、必須の条件は確固たる裏付けではなく「信じたい」という気持ちにありそうです。いかに矛盾に満ちたトンデモであろうとも、この「信じたい」という気持ちさえある限り、その人の心の中では動かしがたい事実なのです。証拠など後から付け加えればよい、と。

 例えば歴史修正主義者を考えてみてください、彼らは諸々のことを「なかった」ことにしてしまいます。彼らの矛盾に満ちた歴史認識には何度となく、実際に起こったことがどうであるのか、それを示す資料や論拠が突きつけられるわけですが、だからと言って彼らが考えを変えることはありません。もし彼らの歴史認識が何らかの根拠に基づいているのなら、その根拠が覆されることで考えは改まるはずです。しかし、そうならないのはなぜ? それは彼らの依拠しているのが資料ではなく、自らの「信じたい」気持ちだからです。いかに事実を突きつけられようとも、彼らの「信じたい」という気持ちが変わらない限り、彼らの歴史認識も変わりません。

 さて、せと弘幸、通称「ゼリ幸」という右派の泡沫候補がいます。このゼリ幸さん、自称政治活動の傍らナノテク食品なる代物の販売も手がけているのですが、この健康・美容食品販売を告知したところ、支持者からボロクソに言われました。内容の電波ぶりは日頃の政治主張と同レベルなのですが、同じ電波でありながら評価が180度違ったわけです。ゼリ幸さんからすれば「どんな根拠のない代物でも、自分の言葉なら支持者は理解してくれる、信じてくれる」ものと思っていたのかも知れません。そこはそれ、日頃のゼリ幸さんの支持者が「信じたい」と思っていたのはゼリ幸さんの政治的主張の方であって、それとはかけ離れた健康食品販売に「信じたい」という気持ちを抱くことはなかったわけです。そして「信じたい」という気持ちがなければ、そのいかがわしさは誰の目にも明白、ボロクソに叩かれる結果となりました。めでたしめだたし?

 いかがわしい主張に対して科学的根拠なり歴史資料なり、そういうものを使って説明努力を重ねている人の努力には頭が下がりますし、もちろんそれは必要なことです。とは言え、それが今一つ効果を上げていないことも認めないわけにはいきません。相手が拠って立つのは何なのか、それが「信じたい」という気持ちに軸足を置いているのなら、その「信じたい」という気持ちをどうしたらいいのか、そこを考えてみる必要もありそうです。

 

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10 コメント

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頭の悪い人たち (Bill McCreary)
2008-06-08 01:52:30
リンク先の文章
>選挙後に先ず思ったことは知名度の不足であり、組織的実態のなさでした。これは新風の悪口ではなく、私自身のことであり自分としてはもう少し知られた存在であったと思っていました。

には笑ってしまいました。

それはそうと、ほんと、渡部昇一といい櫻井よしこといい、連中の「信じたいことを信じる」頭の悪さには笑えます。それにしても、櫻井のような人間がジャーナリストで飯を食っているのも驚きです。「日本会議」であいさつしているような人物なのですけどね。

他にもたとえば、北朝鮮拉致被害者家族たちが、自分の身内の生存を、客観的には厳しい状況にもかかわらず「信じたい」気持ちは良く分りますが、けっきょくこれが他人に利用されつづけているだけというのがなんとも残念です。
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-06-08 08:49:14
歴史修正主義者の場合は己の信ずる史観がアイデンティティと密接につながっているとも考えられる(嫌いではありますが何故そうなるのかと理解するのはそれほど難しくないようには思えます)のですが、血液型のそれが何なのかは今ひとつよく分からないです。しかもB型は血液型占いの世界ではむしろ被差別集団と思われるのですが。
信じると救われる (単純な者)
2008-06-08 10:28:50
こんにちは。

信じたいから信じる。確かに頷けます。

血液型と性格について深い知識はありませんが、わずかに以前どこかで、A型は細かく孤立した地形に多い。ヨーロッパのある国々や日本もその分類に入るらしい。向こうが(山の向こう)見えないから何があるか用心深くなり細やかな行き届いた社会を形成しやすい。

一方広く広がった地形(大草原・平原)にはB型が多い。向こうが見えるのでおおらかでのんびりとした社会が形成される。等という説を仕入れてなるほどそういうものかと思っていました。

信じると救われるような少し得したような楽しい気がするお話しです。もしかして優勢人種論に影響するものかとは思いますし、日本を世界の中で特別であるという考えに立脚したものであるのかも知れません。

では。
Unknown (仲@ukiuki)
2008-06-08 19:22:25
少数派の方のB型です。
しかしB型って、こういう占いは信じないタイプだと思っていたのですが、実に意外な結果です←って、自己矛盾(笑)はさておき。

デタラメでもトンデモでも、それを信じたい人には何を言ってもムダだというのは、つくずく感じます。うちのブログでは外国人犯罪急増論とかについてデータを出して反論したり、日本=単一民族国家説に反論したり、さらにはゼリ幸さんのビリーバーさんたちとコメント欄で論争したりしてきたんですが、当の相手にはどうしても届かない感じでした。おそらく、ビリーバーさんではない人に向けて発信するのが、現実には最善の道なんでしょう。

歴史修正主義などが「信じたい心」から生まれるのだとしたら、その「信じたい心」は何から生まれるのか。「外国人嫌悪」についても答えは複数ありそうですし、非常に難しい作業なんでしょうけど、誰か賢い方、分析してくれないものかと、すっかり他力本願モードです(汗)。

Unknown (カックエイ)
2008-06-08 20:48:28
一部の科学者などが擬似科学批判というのを
やってますがそれを笑うかのように
血液型本がよく売れてると聞きますね。
結局は非国民通信さんのいうとおり
科学にかかわらず信じたいものをただ信じる人が
多いという部分が基本にあるわけだから
疑似科学批判だけしてたところで
どうにもむなしいですね。
ちなみに科学者なら信じたいものを
信じてないのかというといえばかなり
怪しい気がしてます。

科学的思考ができる人なら他のことにも
その能力が応用可能な気がしますが
面白いのはネット上見てると
疑似科学は信じてなくても擬似歴史は
信じてたりその逆だったりする人が
いるということですね。こういう人の頭の中は
いったいどうなってるのだろうと思うんですが
結局信じたいものを信じる自分から
抜け出せないんですね。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-08 23:09:48
>Bill McCrearyさん

 北朝鮮拉致被害者家族はかなり微妙ですね。立てこもる誘拐犯に向かって挑発行為を繰り返しているようにも見えますが、身内が生存していると思うならどう見ても愚策ですし。それでも頑なに対話を拒み、相手を罵り続けることが毅然たる対応であり事態打開の唯一の道と信じる様は、傍目には哀れでありながら、それでいて同じことを信じている人がたくさんいる、それじゃぁダメなのだと思うわけですけれど……

>ノエルザブレイヴさん

 同じ「信じたいから信じる」にしても、その信じる動機のわかりやすいものとわかりにくいものがありますね。どうして血液型云々を信じたいのか、それらしい説明が思いつきません。人種理論みたいな考え方が好き、ではないといいのですが。

>単純な者さん

 何でも「バーナム効果」と言うそうで、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまうものらしいです。ちなみに血液型性格分類の起源はナチス・ドイツ政権にあるとも言われますし、他愛ないようでも使いようによっては危険なところがあると思ったりもします。

参考、
http://www.senrigan.net/bloodmind/

>仲@ukiukiさん

 本当にもう、いくらデータを持ち出しても、別の何かを「信じたい」人には全く通用しないケースが多いですよね。偏見や捏造に粘り強く反論している人もいますが、私は半ば諦めモードです。そこで次なる疑問が、どうして彼らは「信じたい」のか、そこですよね。複数ある答えの内、一つ二つなりとも明確に出来たらと思うわけですが、一つの回答の先にはまた疑問もある、そんな状態です。

>カックエイさん

 >疑似科学は信じてなくても擬似歴史は信じてたり

 ゼリ幸さんの支持層がこれでしょうかね。何でもかんでも信じるというわけでもなく、何でもかんでも信憑性を問うわけでもない、自分の信じたいものを信じるわけです。そこでは信頼に足るものかどうかを判断する能力よりも、それを信じたいかどうかの志向がモノを言うわけで、ここが鍵でもありますね。
例の秋葉原事件につきまして・・・。 (ニュースコープ)
2008-06-09 19:05:51
ちょっとネット巡りをしていたら、早速某掲示板にて「マスゴミは加害者の人権はいくらでも擁護するくせに、被害者の人権は土足で踏みにじって云々…」というレスを見かけました。
私としては「未だこんなこと言う人がいたの?」としか言いようがありませんが・・・きっとこの書き手の頭の中は、未だに「朝日は左翼」とかそんな感じなんでしょうな┐(´~`)┌
Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-09 23:20:00
>ニュースコープさん

 使い古されたフレーズではありますが、お気に入りの人が多いのでしょうね。例の事件を受けてさっそく鳩山法相もアレな発言をしたようで、明日にでも取り上げる予定です。どうにも事件にかこつけて自説を語ろうとしているだけのようにも見えるわけですが……
成る程、 (ベースケ)
2008-06-10 10:52:22
本当は一つ前のエロねたエントリに超反応していた、うお座B型のベースケです。

さて、「信じたいから信じる」というのは確かにそうかもしれません。しかしこれって、右派だけの問題ではないですね。左派だろうが、中道だろうが言えることです。例えば共産党”熱烈”支持者の教条主義も、逆に”共産だけは無理!”と民主党マンセーな人たちも、言ってみりゃ宗教と同じようなもんでしょう。客観的に見て「正しそうなこと」と自分の「希望」であることの区別がついていないと言うことなんじゃないでしょうか。
日本以外の国でどんな状況なのかは分かりませんが、とりあえず日本では「科学的な思考」を養成されない教育の賜物なんでしょう。基本、複雑に入り組んだ思考を持っている筈の「人間」との対話でも、全て色分けしてしまいたくなるというのも、同じところに起因するものなんじゃないでしょうか…なんか上手くまとまりませんが。

血液型の話に限って言えば優生学思想に繋がるものだと思うので拒否しています。しかしそれ以外の部分でも、自分の胸に手を当てて考えて見なければいけませんね。相手のそれを突き崩そうと思うなら尚更…。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-10 23:40:19
>ベースケさん

 科学的であることよりも感情論の方がウケるところはありますよね。とりわけ「科学的であること」が非人間的な思考法、温かみ?に欠ける考え方と、そう否定的に扱われ、反対に情緒的なものが持ち上げられるところがあるような気がします。スピリチュアル云々もそうでしょうかね。それが結局は思考停止、批判精神を欠いた「信じたいもの」への盲信に繋がっているような気もするのですけれど。

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