非国民通信

ノーモア・コイズミ

ウィキペディア

2008-09-14 22:13:33 | 編集雑記・小ネタ

 今夜はウィキペディアの話でもしましょうか。まぁ私の場合、○○の話をすると言いつつ、いつのまにか「○○を好む/支持する人々」の話になってしまうのですが、そうですね、今回もウィキペディアと言うより、ウィキペディアを好む人々の話です。それはもちろん、全員が全員というわけではありませんが、ウィキペディアを拠り所とする人、ウィキペディアを引き合いに出したがる人、どういう人がそれに当て嵌まって、そして彼らはなぜウィキペディアが好きなのか、その辺を。

 例えば、こんなケースがあります。

■[メモ]本当に厄介なのは・・・(Apes! Not Monkeys! はてな別館)

 id:munyuu が与太話常習犯であるってことは、上で言及したエントリの一つ前のエントリ、「何も知らないのはお前。Wikipediaくらい読んだ方がいいよ(w」という(西城秀樹の歌声を脳裏に甦らせる題名の)エントリをコメント欄までみるだけでも明らか。yamaki622さんはやさしいからか最後まで追い詰めてないけど(後略)

 どういう話かはリンク先をお読みいただくとして、ここで注目したいのはid:munyuu氏の「何も知らないのはお前。Wikipediaくらい読んだ方がいいよ(w」という言葉遣いです。これは偶々そうであるわけでもなければ、munyuuなる人の個人的な性質によるものばかりでもなく、このようなかたちでウィキペディアを引き合いに出してくる人に共通する傾向ではないでしょうか。ウィキペディアを引き合いに出す人は、往々にして偉そうである、と。

 このようなブログをやっていると、時に偉そうな態度で説教たれようとする人にも出会います。自分は何でも分かっていると言わんばかりの自信に満ちた態度で「それは違う、こうなのだ」と、突如として御高説を披露してくれるわけです。で、そのありがたいお言葉の典拠として示されるのがウィキペディアw。よくあることです。

 揺るぎない確信とともに「それは間違い、本当はこう」と断言しておきながら、その出所はウィキペディアという人をしばしば見かけるわけですが、この手の人がまともな発言を残していく可能性はほぼ皆無です。例になっているmunyuu氏もリンク先をお読みいただければその典型であることが分かりますが、このmunyuu氏に限らず得意気にウィキペディアを引き合いに出す人は、だいたいにおいてろくなものではありません。

 単に楽をするためにウィキペディアを利用する、ウィキペディアを使ったけれど、もう少し信頼性の高い資料を参照したフリをしている人、この辺はまだいいのです。信頼性の高い資料の方が好ましいけれど、簡便だからウィキペディアを使う、そうした消極的な利用者は大した問題ではありません。タチが悪いのは積極的な利用者、他に信頼性の高い資料があるのを無視して、まずウィキペディアを根拠とし、かつそれを誇らしげに語る人々です。

 得意気にウィキペディアを引き合いに出す人が電波思考ばかりなのはなぜなのか、というより、なぜ電波な人はウィキペディアを好んで用いるのか、この辺の理由としては何があるのでしょう? 理由の一つは、ウィキペディアが書き換えられる世界だから、でしょうか?

 例えばほら、「鯨肉の在庫は増えていない」といかに力強く断言したところで、死蔵される在庫の山は増え続けるばかりです。あるいは「南京大虐殺はなかった」と確信を持って語ったところで、過去に起こったことを変えることはできません。しかし、ウィキペディアの記述を書き換えることは出来ます。ウィキペディアの世界であれば、自分達の好きなように世界を塗り替えることができる、声さえ大きければ自分達の信念をそこに反映させることが出来るわけです。名目上は管理されていることになっていますが、実際は2+2=4とする人と2+2=6とする人の間をとって2+2=5、あるいは「2+2=4とする説もあるが、近年の研究では2+2=6とする説もあり、定まっていない」とばかりのヨタに歩み寄った世界です。ヨタの信奉者であるお花畑な人々にとって、ウィキペディアこそが最も好感の持てる世界、そうであって欲しいモノが書かれている資料であり、これを称揚せずにはいられない、そんなフシもありそうです。

 

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6 コメント

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実は私も好き (ノエルザブレイヴ)
2008-09-14 23:04:21
私も結構読んでるんですよね、ウィキペディア。
ただ、私は一応「漫画やスポーツなど趣味的分野を読んで暇つぶし(噂では鉄道分野の充実ぶりは異常、だとか)」「とりあえず知りたいことがある時ちゃちゃっと」「本で調べる前に当たりを付ける」使い方をしているつもりです。
バカと鋏とウィキペディアも使いようですが、もとより編集合戦の温床たる現代史やアジア分野は信用してません(むしろ意図的に読まないようにしています)。しかもその分野の編集に熱心な人ほど考え方に信用が置けない気がします。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-15 01:05:55
>ノエルザブレイヴさん

 趣味的な方面での利用は、まぁ有りですね。私は三國志の登場人物を調べるのに使ってます。一方で政治色の絡むものとなると使い物にならないと言いますか、一見すると政治色がなさそうなもの、中立的に見えるものであっても、実は支配する側の論理が無自覚なまま貫かれていたりするのもウィキペディアでもあります。
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ウィキは (おさふね)
2008-09-15 02:54:09
結構面白いのでよく読んでますが、日本人がはまりそうな代物である気がします。
丸山真男のファシズム論文から一部を抜粋しますが、

日本におけるファシズム運動も大雑把に言えば、中間層が社会的な担い手になっているという事が言えます。しかし、その場合には更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級あるいは小市民階級と言う場合に、次の二つの類型を区別しなければいけないのであります。第1は、例えば小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、そのほか一般の下級官吏、僧侶、神官というような社会層、第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、そのほか自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層-学生は非常に複雑でありまして第1と第2と両方に分かれますが、まず皆さん方は第1類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型を我々はファシズム運動を見る場合に区別しなければならない。

 わが国の場合のファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者であります。第2のグループを本来のインテリゲンチャとするならば、第1のグループは擬似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャと呼ばるべき物で、いわゆる国民の声を作るのはこの亜インテリ階級です。第2のグループは、我々が皆それに属するのですが、インテリは日本においては無論明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明したものは比較的少なく、多くはファシズムに適応し追随しましたが、他方においては積極的なファシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファシズム運動に対して嫌悪の感情を持ち、消極的抵抗さえ行っていたのではないかと思います。これは日本のファシズムに見られる非常に顕著な特徴であります。

 ウィキを見て、それで事足れり。もうそれで全部を知ってしまった気になっている連中との類似を感じてしまうのですよ。
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こりゃひどい (Bill McCreary)
2008-09-15 05:41:27
法華狼さんのところで、かの米国の下院議員マイク・ホンダ氏のwikipediaの記事がとりあげられたことがあり、私もその記事を読んであまりのひどさに驚いてしまい、思わずコメントを書き込んでしまいました。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080819

百科事典というのは、たとえばヒトラーやスターリン、ポル・ポトであっても、淡々と記述するのが常識であって、あんまり情緒的だったり感情的な記述をするのは論外なのですが、wikipediaの歴史関係の記述は、どうも歴史修正主義者の活動拠点の一つになっている雰囲気すらあり困ったものです。

あ、私も映画関係その他でwikipediaは使わせていただいています。個人的には、重宝しています。
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日本人むけ (×第二迷信)
2008-09-15 11:52:44
最大組織「みんなが言うから教」に支えられている国では、バイブルですわねえ。

「Wikiに出ている」派というのも、教団の中で大きくなっていってるんでしょう。

(新聞記者の署名記事を引用した話題に、スカタンなことを「Wikiで調べたら?」なんてイチャモンつけてくる人もいました)
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-15 14:02:25
>おさふねさん

 第2類型――インテリであれば、ネット上に存在しない情報などいくらでも存在することがわかるし、資料の信憑性も問いますからね。一方で疑似インテリ――自意識ばかりが専攻している人ともなりますと、簡単に自分に裏付けを与えてくれるウィキペディアのようなものは都合が良い、そして自分の唯一の拠り所であるウィキペディアを称揚する、そんなところでしょうか。

>Bill McCrearyさん

 なんと言いますか、その手の人の自己弁護、願望がつづられているのがウィキペディアでもありますね。趣味系の項目に関しては「ファンの集い」という感じであまり問題にはなりませんが、なんとなく百科事典というよりコミュニティサイトとでも言った方が適切な気がしてきます。

>×第二迷信さん

 その筋の人にとっては、全国紙の報道よりもウィキペディアなんでしょうね。そりゃ新聞やテレビも信用ならないところはありますが、自分達で好きなように書き換えた世界を教典のごとく持ち出す、その自家発電ぶりに呆れさせられることがしばしばあります。
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