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非国民通信

ノーモア・コイズミ

鬼畜米英の発想は過去の遺物なのか

2013-01-18 23:20:48 | 社会

 上の画像は、北朝鮮で書かれたアメリカ兵の絵なのだそうです。ちなみに下は、我が国で書かれたアメリカ兵とイギリス兵とイギリス兵の姿ですね。まぁ、こんなのは探せば色々と出てきます。どこの国でも考えることは同じ、とりわけ国民をコントロールしたがる政府の元では、このような宣伝が行われるものなのでしょう。昔は日本もこんなもの、北朝鮮を笑ってもいられない――そう言えば話は収まりそうに見えるかも知れません。でも、本当に「昔は」で済むのでしょうか。今もなお続いているところもあるのではと、首を傾げるところがないでもないのです。 

 この頃は下火になりましたけれど、一時は野田政権がTPP「交渉」参加を言い出したせいもあってか、駅前では毎日のように某政党が外国企業の脅威を説いていたわけです。まぁ保護主義が覆されることによって不利益を被ることが予測される特定業界の人間や、その立場を代弁する議員が自らを守るために声を上げる分には大いに尊重されるべきものと私は考えますが、じゃぁ外国企業は日本を脅かす鬼畜のごとき侵略者なのか、某政党――まぁウチの最寄り駅で政策的な話をするのは共産党だけでして――の地元議員に言わせれば、TPPに参加すれば外国の企業によって国内企業が脅かされるとのこと。でもそれは違うだろうと私は思ったのでした。

 日本の会社と外国の会社なんて、せいぜい大日本帝国陸軍や海軍とGHQ程度の差しかないのではないかと言いたくなるのですが、どうも世間の受け止め方は異なるようです。海外の企業はまさに鬼畜米英のごとき侵略者と、そう考える人もいれば、そう国民に印象付けたがっている人もいるわけです。極右排外主義者がこれを語るのであれば、まだしも納得がいかないでもありません。しかし、日頃は日本の企業がいかに日本の労働者を締め上げているかを語ってきた政党が、同じ口で海外の企業を鬼畜米英のごとくに見せかけようとしているとしたら、その論者の言うこと全体が信用ならないものと私には見えてきます。

 前にも書きましたが、軍事的な衝突、例えば戦争の類は話し合いによって、即ち外交的手段によって解決できると説く人もいる一方、そうした論者が経済問題や特に食糧問題に関しても同様の立場を取っているかと言えば、むしろ逆の傾向が強かったりするわけです。平和のためには国際的な連携の必要性を説きつつ、食糧問題では国際的な協業の枠組みを危険視し、防壁を築いて自主自立を説くような、そんな人もまた珍しくありません。ある意味で「反原発」は左右の垣根を越えた枠組みにもなりましたけれど、それが下火になりつつある今、新たに左右が手を携えそうな領域はこの辺なのかな、という気がします。

 

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コメント (2)
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