Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

一くさりからの芸術

2024-03-21 | 
承前)ブラームスの歌曲の全貌が示された。ゲルハーハーと伴奏のフーバーあっての網羅である。そのプログラムはブラームス研究所所長のザンドベルガー教授が先乗りでケルンで聴いてきていたようだ。その話しは当日はなされななかったのだが、講演弁者の歴史家のオスターハムメル教授の話しにその枠組みが押さえられていた。

つまりヨハネス・ブラームスは19世紀後半の大スターであったリストのような売れっ子ではなくて、ピアノで世界中を演奏旅行特に北米で招かれてというような音楽家ではなかたっという事だ。これが何を意味するかというと、ハムブルク生まれの音楽家が当時の音楽都市であったライプチッヒとは違ってヴィーンに居ついて、そこから仕事がてらに各地に旅行していた音楽家の足場を探ることになる。

ヴィーンという帝都が何を意味するか。それはハプスブルク帝国が植民地を抱えるということで、その帝都に文化が集中するということにもなる。同じ植民地でもアフリカやシナなどをその帝国に抱えるフランスのインターナショナルなサンサーンスとの比較となる。つまりパリとの差異でもあり、ロンドンとの差異ともなる。

これでブラームスの音楽の特性が形作られている。そこに表れる東欧のジプシーの素材も民謡風とされるそれらも同じように素材として扱われる至極当然さでもあって、ハプスブルク帝国自体が講演の主題であったグローバリズムでもあったという事だ。

同時に時代的に軍楽の音楽が19世紀後半の交響楽団よりも立派な音を出していた事実もあり、18世紀のセレナーデなどがより野外音楽会においてより大きな意味を持つ催しものとなってきたということでもある。ブラームスとヨハン・シュトラウスとの関係も知られているが、後者はプラターの公園で大々的に催し物を行っていたのだった。

さて初期の創作から晩年のそれへと並べられた歌曲のプログラムは、その敢えて二流の作者の詩に音楽を付けたことにもよくその特徴が表れていて、必ずしもそこには高度な文化的な栄華を誇っているというものではないという事である。

そのように二流のテキストにはその言葉が与えるだけの表情があって、作曲家が語るように作曲によってはじめてそこになにかが生じるということになる。これが、ブラームスの歌曲の特徴であって、テキストの文字面を追っていても決してそのような高度な芸術とはなっていない。そこから作曲が始まっている。

それは冒頭に置かれた作品14‐8の「憧れ」に顕著な和声の一鎖で以って、若しくは友人グロートの四つの詩の有名な雨の歌の雫のリズムで以って、簡素な芸術が形作られる。そしてト長調の同名のヴァイオリンソナタ一番として高名な動機となるのだが、それが歌曲集作品59にも残響として繰り返されている。クララ・シューマンの末っ子でヴァイオリンを弾くフェリックスが若くして結核で亡くなりクララへの慰めとして書いたとされる動機がこうして歌曲に響く。

ブラームスにおいては、それを継ぐヴェーベルンのように一つの言葉やそのシラブルへの響きとはなっていないのだが、既にたとえそれが民謡的な要素をベースとしていようともそこには晩年の交響曲に表れる様な音程とリズムによる世界が開かれようとしている。(続く)



参照:
歌曲の会で初めて聴く 2024-03-14 | 生活
演奏実践の歴史的認識 2024-02-18 | マスメディア批評

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