Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何ごとにも事始め

2024-04-12 | 文化一般
ピアノリサイタルのお勉強である。最初はあまり分からないプログラムだったが、調べ出すと可也興味深い。まだ時間があるので更に詳しく見ていくことになる。

流石に二回続けてのプログラム勘違いはないので詳しく見る。勿論演奏者の都合で変更することはあり得るのだが予定プログラムだけを見ていても演奏者のコンセプトが見えてくる。チャイコフスキーコンクールで二位の真央ちゃんを抑えて優勝したカントルフは、放送などでもちょこちょこと流し聴きするだけだったが、今回のプログラムに関連した制作録音などを聴くと放送では分からない演奏をしている。

そうしたマイク乗りが悪いのはどこから来ているのかも興味ある所でそれは実演を聴くことで判断可能となる。但しそのプログラムだけでなくてコンセプトは誤魔化しようがなく、明らかに語り掛ける聴衆層が違うというのは明白だ。抑々大コンクールで優勝しているような演奏家で大物はいない、更にこのピアニストの父親は一流のヴァイオリニストで、それを超えるなどというのは音楽史上殆ど皆無ではないかと思う。

父親の演奏も殆ど聴いていないのだが、印象としてはある程度定着していて、それ以上のものではないのだが、この息子さんの方にはより引っ掛かる音楽性が感じられるのは何故だろうとなる。プログラムの最後に音楽祭の今回のテーマであり、当夜のプログラムを「若者の行い」としていて、なるほどその一番にその書法の全てが表れている。その前にバッハをブラームスが左手の為に編曲した「シャコンヌ」で後半をブラームスで統一している。

そして最初にこれまたブラームスの「ラプソディ」と称した系譜の二曲にこれまた民族音楽採取から入ったバルトークの作品1番の民族音楽とその芸術化書法へとこれまたそれに直接の影響を与えたリストの「雪かき」を挟むとなっている。

こうしたプログラミングは西欧人でもやはり玄人家庭出身の演奏家らしくてその基本的な教養が違うとしか思えない。勿論それを受け取る方にもそれなりな理解は求められるとなるだろう。だからハイデルベルクでのリサイタルの券の売れ行きが完売してしまう日本のピアニストよりも悪い理由というわけではないだろう。客層も市場も異なるという事はあっても、先ずそれ以前にこういう演奏家が今何をどのように演奏するのかという事だけで興味をもつ人はやはり通であろう。

少なくとも録音を聴く限り可也立派な演奏をしていて、決して大コンクールで優勝するだけの人ではないことは確かなのだ。個人的には関心の持ちどころは一体どれぐらいに楽器を鳴らせるのかとかは切符購入の時のありどころだった。

ブラームスのピアノをリサイタルで聴く機会は今迄殆どなかった。理由は分からないのだが、例えばブレンデル演奏などでも殆ど記憶に残っていない。CDではグールド演奏なども聴いてはいるのだが、今回初めてその作曲家の書法そしてその演奏家としての事始めへと関心が向かって初めて、自分自身でピアノを弾くならブラームスは欠かせないなと思い出した。これも音楽祭の冒頭にあったフーバー伴奏のゲルハーハーによる歌曲の夕べも大変影響している。



参照:
とんだプログラム間違い 2024-04-11 | 文化一般
BACHへのその視座 2021-08-22 | 音
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