Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

退屈だった古典曲カセット

2024-04-17 | 
ティテュス・エンゲルがインスタグラムを出していた。音楽誌ロンドでのインタヴュ―の紹介である。

家庭で音楽が流されることが多く、父親が沢山のカセットを持っていて、ヴィーナークラシック音楽が流れていた。車中でもモーツァルトが流されていて、退屈に感じて新しい音楽に向かったのだが、この間に真面目に勉強するようになると、決して単純ではなく天才的な音楽で、寧ろ新しい音楽に多くの気の振れただけの無意味な作品でしかないかというのを認識したと語る。

ローランド・ヘルマンが階下に住んでいて、チューリッヒのオペラで歌っていたことから音楽への誘いとなり、ヴァイオリンを習う。彼と合わせて音楽をやったり劇場に連れて行ってもらうようになり、音楽へと傾倒。しかし何よりもの切っ掛けになったのはクルタークの演奏会で新しい音楽との遭遇。

子供の頃からのヴァイオリンがコントラバスへと変わり、そしてフリージャズへと関心が向かっていったのだが、学生管弦楽団を指揮したりしていて、中等教育終了指揮でメシアンの「アンスリエール」をテーマにして、未亡人のロリオのところまで行ってインタヴューをした。

そこから音楽学校に行かなかったのは、指揮者になる為のピアノを始めたのが遅かったことからもう少し練習時間の必要性があったゆえと、ギムナジウムでは場所柄経済に向かう人が多かった中で、哲学への関心からそちらに向かったから。音楽学を学ぶことで、その後の実践で大きな力。そして東ドイツの経験豊かな劇場指揮者クルティックに習うことで、学生楽団とは違う当時はまだ沢山残っていたプロ楽団を振る機会が多かったことが非常に良い実践となった。学生として最初にペリナー交響楽団を振ったのはベートーヴェンの五番と六番でのデビュー。

ツェーナでイリア・イムジンのマスターコースで習ったのは制限された動作で下から上へのピックアップドサウンドの指揮で中和して繊細な美しい柔らかな響きを、ドレスデンでサーデーヴィスの自由な絵描き超絶指揮棒術も経験して練習よりも息を合わせて演奏させることを、今でもそのやり方はいいと思うことが少なくない。先ごろ亡くなったエトヴェシュには新しい音楽を習い正確な指揮で大人だった。指揮者は生涯勉強で、今日も音楽会に行って同僚のそれを観て、過去の歴史的な映像もみて学ぶ。

最初にアシスタントに申し出たのはドイツェオパーでの制作時にマルク・アルブレヒト指揮の「アシシの聖フランシスコ」でとてもいい経験をした。ペーター・ルンデルとは新しい音楽を、またカンブ ルランとは、モルティエ―との関係にもなって、マドリッドでのデビューとなった。

新しい音楽への誘いは、先ずは自分自身も興味津々の人間であったことがあるが、新しい音楽自体は前述したように様々で、現在バーゼルのユニークな管弦楽団で、例えばミニマルの今迄制作に関わったグラスやアダムスなど全く難しい音楽ではない。そうした認識にはアドルノなどのナチ政策への反動が背景にあったと語る。和声音楽自体が西洋音楽の核にあったとしても、ここ数百年のもので、ハースのオーヴァ―トーンなどを考えれば、そうした伝統的なものは全体の中で捉えるべきだとの認識を示す。(続く



参照:
ミンガス作演奏の第一人者 2022-09-21 | 文化一般
痛みを分かち合う芸術 2022-05-27 | 音
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