紫式部追跡(2)

2024-03-19 00:00:00 | 歴史
NHK大河「光る君へ」でも紹介されているように紫式部の父親は藤原為時。中流貴族だ。母親は藤原為信の女(娘)。女子二人、男子一人をもうけたといわれる。ドラマでは現代の普通の家庭の様に父と母がいて男子と女子の二人の子がいて、ある日上流階級の藤原道兼(道長の兄)に母が不条理に殺され、それがドラマ前半の底流に流れていくのだが、ちょっとおかしいと思うわけだ。



その前に、紫式部が為時の家で育ち、その後も生涯の多くの時間を過ごしたのは事実。家は、現在の京都御苑の東側、鴨川に近い場所にある。河原町通りを挟んで京都府立病院の反対側。今は蘆山寺(廬山天台講寺)という寺院になっている。





現在、冬の京都ということで特別拝観中。もちろんドラマ便乗だろう。堂の入口では紫式部がお出迎えである。顔の表情はまさに吉高由里子そのもの。巻物に何かを書こうとしているが、巻物は机がないと書けないはずだ。硯もない。



この父の藤原為時だが曾祖父が藤原兼輔という一流歌人で、彼はこの地に居を定めた。現在でこそ京都御所の隣だが平安時代には御所は異なる場所にあった。鴨川の堤がそばなので堤中納言とよばれていた(堤中納言物語とは関係ない)。それから四代目の為時まで約百年経った家なので、見栄えは悪かったのではないだろうか。

紫式部の幼少期だが、母親は紫式部の弟(あるいは妹)を出産のときに亡くなっているという通説もある。為時には妾がいて数人のこども(紫式部からみれば異母兄弟、異母姉妹)もいる。



そうであれば、ドラマにでていた母親は一体誰なのか。母親が殺された時、弟は既に少年になっている。何回目かで頭の悪い弟が姉(紫式部)に「父親が違うかもしれない」と冗談をいうシーンがあったが、もしや重大な伏線なのかとも思う。何しろずっと後には紫式部の娘はドラマの上では母の仇の道兼の息子と結婚するわけだ。つまり矛盾が生じる前、源氏物語完成あたりでドラマが完結するのだろうか。