juntarouじいじの日々是好日

保谷障害者福祉センターの卒業記念に「じいじにも出来るよ」と言われて始めたブログ、早いもので、もう18年目に入りました。

奈良旅行

2017年11月30日 | 健康・病気


猿沢の池と興福寺の五重塔、奈良観光のPR写真の定番ですね( ◠‿◠ )

昨日の夜10時過ぎに無事帰宅しました。今回の奈良行きは、学生時代のクラブの同期の友人たちとの旅行で、2人が都合で欠席でしたが、6名と奥様方2人の計8名の参加でした。2010年に松山・四万十・高知へ出かけたのが始まりで、それ以降、南房総、安曇野・白馬、富士山周遊、北信濃、立山・黒部、と続いて来て、今回の奈良旅行が7回目となりました。W氏と言う、体力気力、頭にお口も、とても同じ年とは思えないスーパーじいじがいるんですが、彼が、企画立案から予約、旅行中のレンタカーの運転等々、全てやってくれるんですよ。車いすもみんなが押してくれるので、私は楽ちんです。みんなに感謝で一杯です。

彼が、「車いすも持って行くよ」と言ってくれたのですが、今回は自分の車いすを持って行きました。ちょっと、ばあばが大変だろうと思ったのですが、「バッグを宅配便で事前に宿泊先のホテルに送っておけば、その方が楽だと思う」と言うので、初めてやってみました。月曜の朝、家の前からバスで三鷹駅へ、これは特に問題なし。参ったのは三鷹駅で通勤時間帯の中央線東京行きに乗ろうとしたときでした。駅員に「車いすでどの車両に乗れますか」と聞いたら、「1号車です」と言うので、行って、到着した電車に乗ろうとしたら、超々満員で、駅員も半ば「諦めたらどうですか」みたいな顔ををするので、「これに乗らないと新幹線に間に合わない」と言って、無理やり押し込んでもらいました。ふと気が付くと、1号車は女性専用車でした( ◠‿◠ ) とても車いすを広げて座るどころではなく、私も立ったままでしたが、新宿で降りる人がいてそこに座らせてもらいました。ラッシュ時は、よく考えないとダメですね。でも、東京駅や京都駅など、乗り換え時は車いすでの移動だったのですごく楽でした。

旅行の良し悪しは天気次第とも言えますが、昨日の午後、最後の法隆寺でちょっと雨に見舞われましたが、月曜火曜と素晴らしい好天に恵まれました。気の置けない友人たちとの懐かしい話も、毎年同じ話のような気もしますが( ◠‿◠ ) 楽しいですね。

松山から来たI氏夫妻とは奈良駅でお別れ、6人は奈良駅から京都へ出て新幹線で、途中名古屋で1人、新横浜で1人下車。残り4人は東京駅でサヨナラし、ばあばと私は中央線で三鷹へ。ひばりが丘駅行のバスで帰って来ました。帰りの中央線は午後8時半ごろだったので、そんなに混んでなく、私は車いすに乗ったまま、特に問題なしでした。

以下、簡単に奈良旅行の報告です。

その前にちょっとおさらい( ◠‿◠ ) 仏教伝来は6世紀中ごろ。蘇我氏と聖徳太子は崇仏派で物部氏は排仏派。聖徳太子が亡くなったのが622年。飛鳥時代は聖徳太子の頃から藤原京が出来る694年までの約110年くらい。大化の改新は645年。710年に平城京なので藤原京は16年間。794年に平安京。



27日。午後1時半ごろレンタカーで奈良駅を出発。春日大社へ。参拝して、更に奥への特別参拝(500円)は行かずに帰って来ました。鹿が沢山いて、鹿せんべいを買って、与えてやりました。猿沢の池近くに車をおいて、興福寺の五重塔を見に。国宝館は休館中の事もあり、猿沢の池の方へ降りて、定番の写真を一枚。その後、これも世界遺産の元興寺へ。
夕方、4時半を過ぎてしまったので復元された平城京朱雀門と大極殿の中へは入れず、平城京跡地の周りを車で一周。上の写真は夕暮れ時の大極殿。

28日。朝8時半出発。天理教の町、天理の街並みを眺めて、日本最古の神社の一つ石上神宮(いそのかみじんぐう)にお参り。早朝のせいもあり、厳かな気分になりました。紅葉でも知られる長岳寺へ。下の写真は長岳寺の池に映る本堂です。


橿原市藤原京資料室へ立ち寄って、藤原京の全体の大きな模型を見て、香具山、畝山、耳成山、の大和三山との位置関係とかがすっと頭に入りました。

6世紀末から7世紀初めに建てられた日本最初の仏教寺院、飛鳥寺へ行き、現存する日本最古の仏像、飛鳥大仏を見る。下がその飛鳥大仏です。写真OKでした。


その後、古墳時代の遺跡を訪ねて。石舞台古墳。キトラ古墳に高松塚古墳。7世紀末から8世紀初めころらしいですね。下の写真は石舞台古墳です。横穴式石室を持つ方形墳で、古墳上部の封土はすでに失われ、巨大な天井石が露出した姿になっているんですね。下に空洞があります。被葬者は蘇我馬子ではないかと言われているそうです。



夕方、橿原神宮へ。

29日。午前中、江戸時代の建物が残り、「重要伝統的建造物群保存地区」となっている今井町を散策。その後、橿原考古学博物館で、奈良県で発掘された縄文、弥生、飛鳥時代の発掘品などの説明を聞きました。法隆寺の前の店で昼食を頂き、法隆寺へ。修学旅行生がいて、私も中学3年の時の修学旅行で法隆寺へ来たことを思い出しました。「エンタシス」なんて言葉、懐かしいですね。雨が降って来て少し離れた夢殿へは行けませんでした。沢山の宝物、仏様、「百済観音」は八頭身どころか十頭身くらいありそうなすらりとしたお姿、優美で慈悲深い表情、本当に美しい観音様ですね。

時間が許せばとW氏が言っていたのですが、唐招提寺、薬師寺、などは今回はパスとなりました。





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オペラ・椿姫

2017年11月25日 | 音楽・オペラ・美術


結構寒いですが良いお天気ですね。来週月曜から2泊3日で学生時代の友人たちと奈良へ出かけて来ます。奈良の天気予報を見るとまずまずの天気のようで、楽しんで来れると思います。

23日の木曜日、新国立劇場でヴェルディのオペラ「椿姫」を観て来ました。上の写真は第1幕の冒頭場面、ヴィオレッタの屋敷での華やかなパーティ、ここで有名な「乾杯の歌」が歌われます。
新国立劇場のオペラ、今シーズンは10月から開幕しているのですが、幕開けはワーグナーなので、今年も敬遠( ◠‿◠ ) 、「椿姫」が私のシーズン最初の舞台です。
23日はマチネ(お昼の公演)でしたが、プルミエ(公演初日の事)だったので結構華やいだ雰囲気も漂っていました。

ヴェルディ(1813~1901)のオペラは沢山ありますね。アイーダ、リゴレット、イル・トロバトーレ、ナブッコ、オテロ、ドン・カルロ、運命の力、フォルスタッフ、等々。並べてみると何時の間にかどれも観たことになっています。凄いですね( ◠‿◠ )

「椿姫」は1853年初演。「高級娼婦のヴィオレッタは南仏プロヴァンス出身の若者アルフレードとの恋に本当の幸せを見出すのだが、アルフレードの父ジェルモンの願いで二人は引き離される。やっと二人が再会した時には、すでにヴィオレッタは死の床についていた・・・」そんなお話ですが、元になった本はアレクサンドラ・デュマの「椿を持つ女」。アレクサンドラ・デュマと言うと、子供の頃一生懸命読んだ三銃士や巌窟王、を思い浮かべますが、「椿姫」を書いたのは、そのデュマの息子の方です。

「椿姫」は、「乾杯の歌」、「ああ、そは彼の人か」、「プロヴァンスの海と陸」、とか、素晴らしいアリアや二重唱が沢山あって、話も分かりやすく、プッチーニの「トスカ」などと共に「オペラ入門者」に、まず勧められる作品です。私も、15年ほど前、体調が良くなって最初に観たのがオーチャードホールでの「トスカ」、次が新国での「椿姫」でしたね。その次にサントリーホールで「カレーラス」を聴いて、すっかり感動してしまい・・・、懐かしい思い出です。

オーケストラは東京フィルハーモニーで指揮はリッカルド・フリッツア。ヴィオレッタを歌ったのは、ロシア出身のソプラノで世界の有名オペラ劇場で活躍中のイリーナ・ルングと言う人で、素晴らしい声でしたね。それに容姿も( ◠‿◠ )  そうそうこんな話が伝えられていますね。1853年のヴェネチア・フェニーチェ劇場での初演は大失敗だったが、その原因はヴィオレッタを歌ったソプラノが太っていた為だったとか。真偽のほどは確かではありません( ◠‿◠ )

アルフレード役のテノールはイタリアの今売り出し中のアントニオ・ポーリ。惜しくも自身のバイク事故で亡くなってしまいましたが、サルバトーレ・リチートラのような感じがしましたね。ジェルモン役はベテランのジョバンニ・メオーニで、バリトンの声は大好きなんですが、良い声でした。

次の公演は「ばらの騎士」、「こうもり」と続いて行きます。


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冬到来か

2017年11月21日 | 健康・病気


雲一つない青空でしたが、今日も寒かったですね。雪はまだ御免被りたいですが昨年でしたかね。11月に雪がちらついたのは。

稀勢の里が今日から休場、残念ながら復活は出来ませんでした。この3日間の相撲は弱弱しくてとても見ておられませんでしたね。あの力強さはどこへ行ってしまったのでしょう。あの春場所の怪我の後、貴乃花の怪我と同じようなことにならなければ、と思いましたが、しっかり休んで、又稽古して復活してもらいたいですね。

先週末行われたセンターの文化祭ですが、昨日職員の方の話では、来場者が近年では最も多かったそうです。天気のせいですかね。土曜日の午後は少なめだったようですが金曜日と音楽療法の発表があった土曜日の午前中は多くの人が来てくれたそうです。職員の方たちも、「やはり多くの人達に見てもらえるとやりがいがある」と、喜んでおられました。

昨日の陶芸教室で、展示された皆さんの作品を1点づつ写真に収めて来ました。全部ではありませんが何点かご紹介しておきます。

上の写真の左上1はN・Yさん作のカップ&ソーサ、赤土で白化粧土をはけで塗ってハケ目を付けて、透明釉をかけて本焼きしたものです。美味しい紅茶が飲めそうですね( ◠‿◠ )

中上の2は同じくN・Yさんの「傘立て」で、高さは55㎝位でしょうか。大物ですね。粗目の赤土で釉薬はルリナマコ釉です。ルリナマコは一部がにじんだりする釉薬なので、これもまた味わいが出ますね。写真では色がうまく出ませんでしたが実際はもう少し濃い碧色です。ハートの穴が沢山開いております。

右上3の首の長い壺はH・Mさんの力作です。黒土で造形して白化粧土を塗り、掻き落としでザクロの絵を描いて下絵の具で色を付け焼いたものです。仕事が丁寧なH・Mさん、色を付けるのにも結構長い期間かけてやっておられました、少しだけ残念だったのは、下の方の白化粧土が本焼きで一部剥離してしまったことです。黒土は乾き方が白土や赤土と違うので、白化粧土を塗るタイミングが難しいんだそうです。私も初めての経験でした。

左下4は同じくH・Mさんのご飯茶碗。白土、布目で白化粧土を塗り下絵の具で色を付け、透明釉をかけています。模様が面白いですね。

中下5はY・Sさんのマグカップです。白土で下絵の具で龍を描いています。彼は絵画教室のメンバーでもあり、絵も大好きなようです。

右下6はH・Hさんの鉢カバーです。小さなパーツを沢山作って積み上げていく作成方法ですね。白土で、釉薬は伊羅保(いらぼ)釉と言う名前です。
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センター文化祭

2017年11月17日 | 保谷障害者福祉センター




明日は崩れるようですが今日は良い天気でした。

今日明日とセンターの文化祭が開かれているので、午後からばあばと一緒に顔を出して来ました。受付で名前を書いて中へ。丁度その時間帯は訓練室で利用者体験談の発表をやっていて、みなさんそちらに集まっていたので、とりあえず、各教室の展示の写真を撮りました。上の写真は陶芸教室とパソコン教室の展示です。陶芸はひと頃に比べて人数が少ないので、少々寂しい感じもしないではありませんが、みなさんの作られた素敵な作品が並びました。来週月曜の陶芸教室の時間に、これらを並べてO先生の講評の元、品評会をやり、一品ずつ私がカメラに収めることになっています。

パソコン教室で今年発表されたのは、「しおり」の作成を中心に、O・Yさん。文化祭のプログラム作成を中心に、S・Yさんのお二人でした。

高次脳機能障害の人達が作成したセンター近辺のバリアフリー情報などもありました。良く知った顔、滅多にお会いしない顔、小一時間みなさんとおしゃべりして、帰りに革細工で作られた「しおり」と園芸で作られた「匂い袋」を、お土産にもらって帰って来ました。

下に、作業療法で作られた作品、絵画と書道教室、それに園芸教室の展示の写真を並べておきます。







昨日、Bunkamuraのル・シネマで、今年のノーベル文学賞を受賞した日系イギリス人、カズオ・イシグロ氏原作の映画「日の名残り」を見て来ました。原作発表が1989年で映画化されたのが1993年だそうです。アンソニー・ホプキンス、とエマ・トンプソン、抑えた演技で心理表現が見事でした。
イギリス、ダーリントン邸の老執事スティーブンスが1956年の現在と、1920年代から1930年代の回想を行き来しながら話は進みます。実際の貴族の館で撮影されたとかで、麗しい調度品、当時の上流階級や使用人たちの衣装、登場するクラシックカー、など、物語以外にも見処が沢山ありました。

そうそう、NHKでも放送されたようですが、同じようなシチュエーションのイギリスの歴史ドラマ「ダウントンアビー」が日本でも人気だそうですね。J:comで放送されているので録画しておいて私も見ております。1900年代初めからのイギリス北東部ヨ-クシャーの貴族の館「ダウントンアビー」で当時の史実や社会情勢を背景に、貴族一家とその使用人たちの生活を描いていく連続ドラマで、なかなか面白いですよ。



ゴヨーツツジさんが「釘づけになりました」と仰る作品とはどんなものなのか( ◠‿◠ ) 興味を覚えてネットを見てみたら、出ていました。前原冬樹さんて、私は全く知りませんでしたが、ゴヨーツツジさんに代わって前原冬樹の「一刻・皿に秋刀魚」をご紹介。





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シャコバサボテン

2017年11月13日 | 健康・病気


きれいな花を咲かせ始めました。これからまだどんどん咲くと思います。シャコバサボテンって、日が短くなるのを悟って花を咲かせるんだそうですね。
我が家のシャコバサボテンは、ばあばが、もう30数年前になりますが、母の家から株分けして持ってきたもので、以来毎年花を咲かせて楽しませてくれています。

稀勢の里、初日負けてしまいましたね。昨日はN響の定期演奏会だったので、帰りの車の中で放送を聞いていたのですが、ばあばと二人で「負けるんじゃないか」と、不安を口にしたら、その通りになってしまいました。どうも最近マイナス思考になっているようでいけません( ◠‿◠ ) 今日は又若手の生きのいい阿武咲(おうのしょう)ですからね。どうなりますやら。又マイナス思考のようで、なかなかプラス思考に行けませんね( ◠‿◠ )

昨日のN響の演奏会はマレク・ヤノフスキの指揮でヒンデミット(1895~1963、ナチスの迫害を受けて1940年アメリカに亡命したドイツの作曲家)の二つの曲とメインはベートーベンの交響曲第3番「英雄」でした。

マレク・ヤノフスキはポーランド生まれのドイツ人、1939年生まれとありましたから、私の2つ上です。私は多分初めてだったと思いますが、指揮者の人っていくつになっても元気ですね。

ベートーベンの交響曲第3番「英雄」はフランス革命後登場したナポレオンを讃える曲として1804年に完成した曲。しかし、完成間もなくナポレオンが皇帝となり、その知らせを受けたベートーベンが「奴も俗物」と激怒して、ナポレオンへの献辞が書かれた表紙を破り捨てたと言う逸話が良く知られています。でも実際は、ウイーンの学友協会に残る総譜を見ると、表紙を破り捨てたのではなく、表紙に書かれたボナパルトの題名と献辞がペンでかき消されているんだそうですよ。

N響の演奏、いいですね。いい気持ちで帰って来たのにね。稀勢の里、残念( ◠‿◠ )

11日の土曜日の午後、ばあばは、金沢の高校の大分後輩ですが、ソプラノ歌手の竹多倫子さんがオペラ「ルサルカ」に出演するとかで日生劇場へ出かけたので、私は麻雀教室の大会に参加して、優勝してしまいました。「じいじさん、奥さんがいないと、強いじゃん」なんて言われましたが、何んと失礼な( ◠‿◠ )

Unknownさんからお薦めがあった「北円堂の秘密」、ざっと目を通して見ました。私は「Web小説」は、今まであまり興味もなく、殆ど読んだこともありません。「北円堂の秘密」、その時代の歴史に余り詳しくないので、つい「どれが史実でどれがフィクション」なんて考えてしまって、少々頭が疲れましたね( ◠‿◠ ) ご紹介ありがとうございました。
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運慶展

2017年11月09日 | 音楽・オペラ・美術




ゴヨーツツジさんに促されて、「運慶展」へ行って来ました。雑踏よりも人が多くて( ◠‿◠ ) 疲れました。

上野の国立博物館へ昨日電話をして頼んでおいたので、西門から入った駐車場に車を止めさせてもらい、そこから直ぐに館内(平成館)に入れてくれました。何時も通り「裏口入館」です( ◠‿◠ ) 私は11時頃でしたが、入り口の外を見ると長蛇の列でした。「9時半に着いたが40分待ちだった」と話をしている人がいました。エレベーターの係りの人に聞くと、日を追って益々入場者が増えているんだそうです。会期末の26日までこんな状態なんでしょうね。

運慶は平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した日本でもっとも著名な仏師で、教科書に出て来たのは、多分、運慶・快慶の東大寺南大門の金剛力士像じゃなかったですかね。そんな記憶がありますね。

運慶の作が22点、父康慶と子の湛慶などの作を含めると80点の展示でした。
何しろ人が多くて、車いすに座ったままではとても見れません。両杖で立って見ることにしましたが、人に押されて転びそうになることもありました。そんな訳で特に運慶の作品で目ぼしいものをゆっくり見て、他はチラッと見ることにして回って来ました。

第1会場の入り口に展示されていたのが上の写真、奈良円成寺の「大日如来座像」、若き運慶が世に出た作品で国宝です。入った時あまり良く見れなかったので最後に又寄って、ゆっくり拝観して来ました。

2枚目の写真は奈良興福寺の「無著菩薩」と「世親菩薩」で、これも国宝です。まるで生きているかのような現実感に富んでいますね。

ちょっとはしょった感じでしたが、それでも2時間くらいいたでしょうか。1時過ぎに出て帰って来ました。行き帰りとも1時間半でしたね。

そうそう、興福寺の国宝館は来年2月末まで休館とか出ていました。今月末の奈良旅行は2泊3日で、私はすっかりお任せなんですが、奈良市内、斑鳩地区、橿原地区、明日香地区、と結構周るようです。

キューリー夫人が感動されたローマ・サンピエトロ寺院のミケランジェロの「ピエタ」、私も見た時に感銘を受けましたね。下の写真は、ちょっとボケていて鮮明ではないですが、その時写してきたものです。「ダビデ」と並んでミケランジェロの二大傑作ですね。

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好天続く

2017年11月06日 | 健康・病気


良いお天気が続いて気持ちが良いですね。

大リーグのワールドシリーズもプロ野球の日本シリーズも終わり、ゴルフも石川遼君が予選落ちばっかりでテレビのスポーツ観戦は九州場所が始まるまで端境期です( ◠‿◠ )
ソフトバンクはやはり総合力が上でした。DeNAも頑張りましたが肝心なところでミスが出てはダメですね。最後の第6戦、DeNAが2点リードして迎えた8回裏ソフトバンクの攻撃。1アウト3塁で、ピッチャーゴロの場面。3塁ランナーが飛び出して、「あ、これは3本間で挟殺だ!」と思った瞬間、ピッチャーが一塁へ投げてしまい、3塁ランナーがホームインしてしまいました。ピッチャーにエラーは付きませんが完全なボーンヘッドでしたね。でも、DeNA、来年はもっと頑張れるんじゃないでしょうか。「わがジャイアンツは永久に不滅です」のジャイアンツは、あまりいい材料はありませんねぇ( ◠‿◠ )

ゴヨーツツジさんが行って来られた国立博物館で開催中の運慶の特別展、私も行こうと思いながらまだ行けておりません。この特別展は奈良興福寺の中金堂再建記念と銘打って開催されており、ゴヨーツツジさんが感銘を受けられた「無著菩薩(むじゃくぼさつ)」などは興福寺所蔵なんですね。実は今月末に学生時代の友人たちと奈良旅行に出かけることになっており、多分興福寺にも立ち寄るんじゃないかと思いますが、この運慶の代表作と言われる国宝には現地ではお目にかかれないことになりますね。運慶とは関係ありませんが「阿修羅像」はどうですかね。拝観出来るでしょうか。

昨日の日曜日、センターで「むくろじの会」を開きました。良い天気でしたが、体調不良、別荘行、法事、午後から出席、などで、9時半での出席者は7名。「これじゃ、リハビリ麻雀も1卓しか出来ないな」と思っていたら、なんとそこへ見学者が現れたんですよ。麻雀出来ますかと聞いたら、大好きですとのこと。お陰で2卓で午前1回、午後2回出来ました。年間チャンピオンを争っているS・MさんとT・Sさんでしたが、昨日はS・Mさんが調子が良くて一歩リードとなりました。最終月の12月は二人同組で直接対決をしてもらおうと思っています。ダンドベのF・Yさんは昨日も負けて、「年間12か月、全部マイナスの記録を作ってやる」と、もう、やけくそ状態でした( ◠‿◠ ) 4時過ぎに後片付けをして解散しました。次回は12月10日です。

上の写真はパルコの2回の喫茶店から写した「ひばりの駅前」です。ロータリーを無くして、随分長くかかっていますがまだ全部終わってはいないようです。バス乗り場が変わりましたね。交番側の踏切から入って来る車の進入路も変わり、西友の方から踏切の方へ行く路が狭くなりました。そのせいで今までちょっとだけなら車を止めておけたのですが、今はもう出来ないですね。
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キューリー夫人の長崎旅行

2017年11月02日 | 健康・病気


3勝3敗で迎えたドジャースとアストロズのワールドシリーズ第7戦、朝9時からワクワクしてテレビの前に座っていたんですがね。ダルビッシュが2回途中で5点も取られて降板、30分も経たないうちに期待がしぼんでしまいました( ◠‿◠ ) そのまま、淡々とした流れで進み結局5-1でアストロズが初のワールドチャンピオンになりました。ダルビッシュは第3戦に続いての乱調で、何時もの切れが無かったですね。スライダーの曲がりが特に良くなかったように見えました。

アストロズはずっと低迷していたチームで、アメリカン・リーグ西地区の下の方が定位置だったんですが、今シーズンは良く打って強かったですね。アストロズの本拠地はヒューストンですが、今の球場とは違いますが、以前ここに「アストロドーム」と言う世界で初めてのドーム球場があったんですよ。もう30数年も前になりますが一度行ったことがあります。当時のヒューストンはドーナッツ現象とか言って市の中心部が結構治安が悪くて、「夜はホテルから出るな」なんて言われたこともありましたね。そうそう、ヒューストンのNASAにも行って、展示されていた本物のスペースシャトルの中に入ったこともありました。こんなことを言っていると、観光旅行で行ったように思えるかもしれませんが、お仕事です( ◠‿◠ )

昨日、ばあばと二人、武蔵境のU内科クリニックで胃カメラ検査を受けて来ました。毎年1回、この時期にU先生に診てもらっていますが、もう何年になりますかね。10年以上にはなりますね。鼻からやってもらうので、ホントに楽です。結果は「幾つか小さいポリープはあるけれど、特に問題はないでしょう」とのことでした。「ではまた来年伺います」と先生にお礼を言って帰って来ました。安心したのと朝飯抜きでしたから昨日のお昼は特別美味しかったです( ◠‿◠ )

台風22号が日本列島に向かって来る頃、キューリー夫人は長崎のハウステンボスと雲仙に行って来られたそうです。何枚か写真も届きました。
長崎は、私は転勤で子供たちが小さい頃6年ほど住んだことがあるので懐かしいですね。でも、大村湾の北の方、西海橋近くの「ハウステンボス」は私が長崎を離れた後で計画されたものなので、私は行ったことはありません。

雲仙は、度々出かけていたので良く知っています。雲仙観光ホテルが定宿でした( ◠‿◠ ) 近くに「雲仙ゴルフ場」もありました。このゴルフ場は「神戸ゴルフ場」に次いで日本で2番目に出来たパブリックゴルフ場でしたが、現在はどうなっているかは知りません。ちょっと狭くてトリッキーな所もありましたが何度もプレイしたゴルフ場でした。ここでは良くカラスにボールを持って行かれることがありました。新しいボールでフェヤーウエイど真ん中に打ったりすると、そんな滅多にないことをやると、そんな時に限って持って行かれるんですよ。意地悪ですよね( ◠‿◠ )

キューリー夫人が「良かった」と仰っているんですが、「音浴博物館」と言われる音の博物館も私がいた頃には無かったですね。

ハウステンボスの売りの一つは「イルミネーション」とか。上の写真はハウステンボスのシンボルタワーから見たイルミネーションですって。

以下届いた写真、何枚かご紹介します。詳細はキューリー夫人のご説明をお待ちください( ◠‿◠ )

ハウステンボスのシンボルタワー


地上のイルミネーション


運河のイルミネーション


雲仙の地獄


音浴博物館






いか
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