3月21日、朝6時に起きて驚き、あたりは真っ白に。昨夜の雨が雪に変わっていて、5センチほど積もっていました。
先月、2月20日のお逮夜ナイトウォークは、雪のため中止になった、同室の人が言っていたので、昨夜は、雨で正解。本日は、季節外れの大雪。
お大師さまが、雪景色の高野山をみせてくれたのだなぁと感謝しました。
大阪で戻って調べると、標高がここより150メートル下にある高野山のアメダス観測点、では、雪を観測していないことになっていたので、まさしく、弘法大師様からの私へのプレゼントだと思われました。
朝、7時より、本堂で、阿弥陀如来様のお勤め。
フランス人の団体も含めて、100名近くが参加。
フランス人たちも、焼香。中には、日本人よりも、しっかり作法を知っている者も。
真言宗では、焼香は、ひとつまみをおでこに当ててから、入れます。それを3回繰り返します。
私は、ひとつかみではなく、おおつまみで入れて入れています。
私は、知っているお経の時は、坊さんと一緒になって唱えます。
他の人は、興味本身で見ているだけでした。
朝のお勤めを観光客に見世物にしているなぁと思われました。
そして、7時半から、門を出てすぐ隣の護摩堂へ。御本尊が不動明王様ではなく、毘沙門天様になっているのに驚きました。
護摩焚きです。私は、300円を支払って、添え護摩をもらい、商売繁盛と書いて渡しました。
フランス人の団体や観光客には、護摩焚きは受けるだろうなあと思われました。
護摩焚き中は、般若心経や、毘沙門天の御真言 おんべいしらまんだやそわか が繰り返し唱えられます。
護摩木をくべるお坊さんと、太鼓をたたき、お経を唱えるお坊さんの2名だけです。
護摩焚き中は、私も大きな声を出して、繰り返し、繰り返し、般若心経と毘沙門天様の御真言を唱えていました。
お経を唱えるお坊さんが息継ぎや声が出なくなっているときは、私のお経だけが、堂内に響いていました。
↓護摩堂前で。
そして、朝食。
おかわりできるのは、ご飯とお茶だけ。おひつのなかが、すぐに空っぽ。何回も、もらいに行きました。
2日間、私の専属カメラマンとなっていた櫛田俊さん。
櫛田さんとも別れを告げました。
そして、チェックアウト。といっても、支払いが終わっているので勝手に出ていくと言う感じ。恵光院の入口。
最寄りバス停は、かるかや堂堂前。バスを待つ3分の間に、お参りしました。
そして、バスで奥の院前へ。いつもと同じコースです。
奥の院前のバス停から中の橋に向かいます。
汗かき地蔵様にごあいさつ。
その横にある姿見の井戸で、生命エネルギーをもらいます。
そして、参道を歩いていきます。御廟橋へ。
突き当りに見えるのが、前夜いた燈籠堂。
いつものとおり、御供所に行き、水卒塔婆8枚を書いてもらいます。
山本家先祖代々・父・母・出産時に亡くなった兄・母の水子・山本家水子。母方の佐々木家先祖代々・佐々木家水子。
8枚で1600円。
水向け地蔵さんの左から6体目、大日如来風お地蔵様の前に備え、水をかけます。
そして、御廟橋を渡り、燈籠堂へ。この日は、弘法大師様の入定の日で、燈籠堂では、正御影供(しょうみえく)の法会が盛大に行われていました。テレビカメラも来ていました。
燈籠堂はすごい人でした。いつものように、1本500円の添え護摩に商売繁盛と書いて、窓口に出しました。
そして、御廟で、弘法大師様にごあいさつ、地下法場へ。そして、地上に上がると、法会が終わり、多くのお坊さんが列をなし、出ていくところでした。
そして、みろく石にチャレンジ。まず右手で、重たくて、断念しようとしたけれど、なんとか上の段まで、もちあげられました。
そして、左手で。いつも、左手では、なぜか、楽勝で持ち上げられます。
そして、厄除け不動明王様と、厄除け不動明王様にごあいさつ。あじみ地蔵様にごあいさつ。
そして、昨夜は、しまわれていたおみくじの自販機へ。
100円玉を入れます。出てきたおみくじは、43番大吉でした。
↓向こう側の建物の角っこにある赤い機械がおみくじ自販機。
そして、奥の院前からバスで。大門へ。
私が乗っていたバスは折り返し、高野山駅前行のバスになります。
バスを降りると、櫛田さんが、バス停で、待っていました。
折り返しのバスに乗るためです。
これから、九度山の弘法大師のお母さんを祀る慈尊院に行くとか。
そして、櫛田さんに、大門をバックにして写真をとってもらいました。
大門のすぐ横の道には、現在の気温が表示されます。-2.2度。今日は、3月21日ですよ。寒い・寒い。
櫛田俊さんのフェイスブックにここの気温が表示されていた画像が貼ってあったので、無断で借用させていただきました。
そして、私は、願い事をひとつだけ聞いてくれると言うお助け地蔵に。
お地蔵さまにお願い。赤い帽子がかぶせられた石が堂内にあります。
その石が軽々しくもてたら、願い事がかなうという事でした。
私が、石を持ったところ、軽々しく感じました。
そして、大門からバスで霊宝館前へ。
久々に、霊宝館に。
参与会会員なので、ただで入れます。
この日は寒かったので、カイロをくれました。また、3月21日は、弘法大師様のご入定日なので、記念に、絵葉書をくれました。
そして、金剛峯寺に歩いて行きました。
参与会の粗品、線香1箱をもらい、茶菓子の接待を受けました。
茶菓子の接待を受ける大広間では、適当に、法話があります。
この日は、中門再建の話があり、山門や本堂、大師堂があって、本山になれる。本堂と大師堂があるのが寺で、ないのが院とか言っていました。
高野山の宿坊には、たいてい、本堂があっても、大師堂がないので、寺ではなく、院と称しているのだなぁと理解できました。
そういえば、いつもお世話になっている泉涌寺派大本山法楽寺(大阪市東住吉区)や東寺派別格本山大龍寺(神戸市中央区)は、いずれも、山門と本堂、大師堂があるなぁと気づきました。
そして、3か月に1回ぐらい、21日に、報恩高野市をやっているので、この日は、絶対にやっていると思え、千手院橋バス停近くにある会場に行きました。
やっぱり、やっていました。第7回報恩高野市。小豆粥の振る舞いがあり、いただきました。
小豆粥を食べるのは初めてです。そして、厚揚げの試食コーナーがあり、厚揚げをいただきました。
そして、お大師様からのおさがり米(先着108名)進呈 とあり、まだ、あったのでいただきました。
会場の水木商店のブースで、弘法大師さまから伝わる金山寺味噌をひとつ買いました。
そして、報恩特別企画
小堀遠州の名庭園一般公開(無料)ほっこり茶会 ~普門院の巻~
とあり、整理券(先着100名様)とあり、まだあったので、1枚もらっていきました。
一角に案内され、抹茶とお菓子をいただきました。無料です。
他の人も数名いました。
中に、恵光院の部屋で同じ人がいました。こちらの人は、みやじさんといい、愛知県から来ていました。
この部屋は、戦後の日本将棋の発祥の部屋とか。大きな名人戦が行われた部屋のようでした。
見事な庭園でした。
みやじさんは、この日、この宿坊に泊まる予定ということで、ふたりで、本尊さまを見せてもらいました。
そして、護摩焚きコーナーも。ここでも、護摩焚き時の御本尊が、不動明王様ではなく、毘沙門天様。
どうして、高野山では、不動明王ではなく毘沙門天の前で護摩を焚くのか?案内してくれたお坊さんに聞きましたが、わからないということ。
ひそして、普門院をあとに、千手院橋からバスで、高野山駅前で。
そこからケーブルカーで。
そして、極楽橋駅で、槇10本を2500円で購入して、橋本行の4両編成の各停に。
そして、橋本駅から、6両編成のなんば行き急行に。
そして、天下茶屋駅で下車。いつもの20分手もみマッサージ、健康保険適用で自己負担180円の整骨院へ。この日は、祝日のため、15分自己負担90円のマッサージを受けました。
そして、天下茶屋えきから、堺筋線で恵美須町駅まで。そして、事務所に戻りました。